氏族メシヤ聖殿連合 大分聖殿

先生が迫害を受けながら、160か国の宣教基地を造ったとするならば、あなたたちは160か国にあたる家庭基盤、160軒の家庭を収拾しなければなりません。そうすることによって同じ結晶体になるのです。結晶体になったその位置を獲得した場合には、これは一塊になった結晶体と同じく皆一つになるのです。これは公式になっています。だから160軒には、ヤコブ家庭の12数、モーセの72長老の失敗、イエス様の120門徒の失敗が入っているのです。・・・みことば

阿南信義

永田正治王の聖和式に参加して

永田さん聖和式1



9月20日午後4時から永田正治王の聖和式が東京で行われました。
会場の都合で限られた聖殿シックが全国から集い、江利川会長主礼のもと、厳かに執り行われました。

今回、参加させていただいて多くの恵みを受けさせていただきました。準備してくださったスタッフの皆様に感謝申し上げます。


永田正治王聖和式を通して感じたことは

永田正治王は日本のサンクチュアリの最大の祭物であられた。

永田正治さんは教授をされてきておられながら、謙虚な姿勢で飾りのない姿に誰もが感動していたと思います。理論家であり、文章能力も高く、また責任感も強く、天に対する信仰も素晴らしい方でした。

神様の摂理において、サタンを屈伏せしめるために絶えず、善なるものが犠牲となってきました。興進様の時もそうでした。摂理の危機を越えるために神様の最も愛する貴い供え物が必要であり、打たれて復帰する神様の戦法でした。まさに、永田正治さんはそのために必要な祭物となられたことを感じました。



永田正治王は命をかけて、み旨の最前線で闘っておられた。

神の摂理は見えないサタンとの戦いです。日本のサンクチュアリの中にあって、その最前線で闘っておられた永田正治さんであったと思っています。誰よりも真の御父母様、二代王様を支えんと深刻な闘いを一人で成されていました。孤独でありながらも天の摂理を思い、命がけで責任をもって闘うことを宣言し実践されておられた素晴らしい信仰者でした。



永田正治王は天の勇士としていかれた。

天の勇士であったことは間違いありません。天の勇士として霊界にいかれました。地上で三代王権を慕われ、命と引き換えにしてまで闘っていかれた勇士であることを痛感いたしました。



永田正治王から和合統一の道が開かれた。

イエス様の十字架は120名信徒を一つにしました。興進様の聖和は真の家庭を一つにして7000名の牧師を一つにしました。永田さんの聖和の後はどうなるのか。考えるだけでワクワクして希望が湧いてきます。

神様はすべてをご存じで決して無駄なことはありません。失ったかのようで実は復帰されています。打たれて復帰する神様の戦法からして、必ず新しい勝利の道が作られていくことを確信いたしました。



今回は二泊三日の東京路程でした。永田正治さんの聖和を通して神様を訪ねる旅でした。

永田さん聖和式2
奥様と娘さんと永田先生


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一人車を走らせ高速道路の上で



昨日の夕方大分を出発して、今東京に来ています。

一人車で家から近くのインターまでいき、高速道路にのって、大分空港まで一時間のドライブです。雲一つないきれいな景色を眺めつつ、車を走らせていると別府湾に月がポツンと浮かんでいました。ちょうど時間が薄暗くなっていく時間帯でひときわ美しく感動を受けていました。


その月を眺めつつ、走っているときに、ふと感じました。
地球と月はどれくらい長く、このような関係をもっているのだろうか。月は地球のために回転運動をしながら何百億年と存在しているが、なぜあるのだろうかと。

そして思ったのは、地球と月は主体と対象、プラスとマイナス、その関係で永遠の授受作用をしているという原則を神様の創造理想のままの姿を見せてくださっていて、地球と月はお互いに助け合って存在しているではないかと、今まで月を眺めていて感じたことのない世界を思い知らされました。

本来、堕落していない本然の世界はその主体と対象がなんの矛盾もなく、授受作用をして四位基台を完成しています。ところが人間の世界はそれが崩れて、闘争と対立の歴史となってきました。
神の創造は主体と対象の関係性ですべて創造されています。その主体と対象が神の愛をもって授受作用をなして、神の四位基台を完成しているのが被造世界の姿であることを知っています。それは神様の喜びの姿となっています。

月を眺めて運転しながらあらためて神の創造の凄さ、偉大をを実感しながら感動の時間を過ごしながら空港に向かっていきました。神様との会話の貴重な時間となりました。


東京に行く理由はある方の聖和式参加のためです。突然の聖和にショックを隠せません。このことの意味は何なのかとその時以来尋ねていました。高速道路の上で一つの神様からの答えを頂いたように感じ、感謝しました。その教えられた感動をもって、聖和式に臨みたいと思います。



そして、空港の駐車場に車をとめました。




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訓読会と統班撃破

  真のお父様のみことば  訓読会制定宣布
   一九九七年十月十三日

(抜粋3)



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訓読会と統班撃破

 今や統班撃破の時代になりました。祝福家庭が皆、統や班に住んでいるので、完全に訓読会を行うことで、統班撃破をして一掃できる時が来たのです。根まで抜いてしまうのです。根こそぎ抜く時が来たのです。それを自分の家でやりますか、見物しますか? 自分の家でやりますか、見物する者になりますか? 皆さんが自分の家でできる資格を与えるために、訓読会をしているということを知らなければなりません。(二九六-二三五、九八年十一月十日)

 今から統班撃破の訓練をしなければならないということを知るべし! アーメン! 十本の指の節々を踊らせながら、天に任せられた組織編成のために、今日もこのような歩みをしているということを知らなければなりません。統班撃破、一度言ってみなさい。(「統班撃破!」)。統班撃破!(「統班撃破!」)。統班撃破!(「統班撃破!」)。絶対教育は訓読会!。 絶対教育は訓読会!(「絶対教育は訓読会!」)。訓読、訓読、訓読、訓読!(三〇〇-一八八、九九年三月三日)

 訓読会をできる者がいるなら、誰でも来てやりなさいというのです。政治家もやれというのです。聞いて心に感動を受け、自分の行路を正せる教えがあるなら、自信があるならやれというのです。できなければ、後退せよというのです。口を開くなというのです。今やらないわけにいきません。面(村)まで、統班(字)まで撃破できる運動を始めたのです。世界的です。韓国を信仰の祖国としていますが、その祖国の地にいる本国の人々が、誰よりも訓読会のチャンピオンにならなければならないので、このような挙国的なことをするのです。(二九〇-一五八、九八年二月十八日)

 今や私が基盤をすべて整えました。世界的に整えたのです。統班撃破は結論が家庭だと言ったでしょう? 女性連合を創設するとき、女性連合は家庭連合に移行すると、既にお母様が講演したとき、世界的に発表したのです。行く道がそうです。このような準備をすべてしたのですが、どれほど驚くべきことでしょうか? 多くのお金を使って、全体が全盛時代になったのです。すべての団体が全盛時代を迎えたのです。勝共連合、世界平和教授アカデミーも全盛時代です。郷土学校もその時から出発しました。組織を完全に編成したのです。

 組織の闘いです。今や誰も私たちに反対する者がいません。今回、それを実験したのが訓読会です。「レバレンド・ムーンが真の父母である」ということを世界が皆知っています。「再臨主が雲に乗らないで来るとしたら、レバレンド・ムーンこそ再臨主である」と、西欧社会では結論を出しています。(二九〇-三〇六、九八年三月四日)

 私たちが今から統班撃破を強調して、訓読会をやるようになれば……。訓読会をするというのは、先生の言葉ではありません。天の言葉です。天の言葉なのです。霊界を知り、天を知った、そのすべての内容を中心とした結論的な地上の活動がなければ、地上の解決点を見いだすことができないのです。地上の解決点を見いだすために、旧約時代と新約時代にメシヤ、救世主を送って、終結させようとしたのです。それが救援摂理なのです。(二九七-一九三、九八年十一月二十日)

 どこに訓読会の根を下ろすかというと、班に下ろすのです。全国の人々が班において暮らしています。そうでしょう? 班、家庭の中で暮らしています。家庭を中心として核心要員が、訓読会を通じて今後教えなければならないのです。そのような責任があるのです。統班撃破を今やっているのです。訓読会がそれです。訓読会をやっていますか? 訓読会を中心として週報が出ているのです。

 この週報は私たち食口だけが読むものではありません。一般社会の家庭の実情がどうであるかを知り、地域の問題を知って、それを撃破するため、消化するため、祝福家庭全体が、韓氏ならば韓氏、金氏ならば金氏を動員して、消化する運動をしなければならないのです。


 今や「世界基督教統一神霊協会」ではありません。「世界平和統一家庭連合」、家庭連合です。家庭が根です。サタン世界は家庭を収拾するすべを知りません。中間で堕落し、無知のうちに堕落したので、目的も知りません。班(字)においても皆目的を見いださなければなりません。家庭に定着しなければなりません。国がどんなに仕事をしたとしても、面(町)まで入っていけません。国家的な行事をするにしても、里長(村長)を一人か二人連れて大会に参席するのであり、班まで動くようにはなっていません。しかし、私たちは反対です。反対なのです。ですから、統班を中心として統一運動をしなければならないのです。この訓読会を中心として、全面的にカバーしなければならないということを知らなければなりません。その班の中に祝福を受けた人がいれば、消化するのは問題ありません。そこに配置するのです。

 ですから、他人を伝道するなというのです。自分の母、父、親族、兄弟たちを伝道せよというのです。今まではカインを中心として伝道してきました。カインを救おうとして、自分が犠牲になりましたが、今や長子権、父母権を復帰したので、自分の一族を救わなければならないのです。祝福家庭は氏族的メシヤ、家庭的メシヤになったでしょう? イエス様は氏族的メシヤを失敗しました。ですから、百二十名をすべて伝道しなければなりません。先生の時代には百八十名です。百六十名、百八十名この家庭を救わなければならないのです。それが一族です。七代になるのです。それもたくさん繁殖していない家庭を中心として言っているのです。その計画を立てなさい。以前、宗親連合をつくるように言ったでしょう? 今、その組織ができていないではないですか? まだ、やっていないでしょう? それを活性化しなければならないのです。統班まですべて入るのです。

 家庭を誰が占領するかは、世界を誰が天の側に振り向かせるかにかかっています。サタン世界はどんなにやっても、家庭を振り向かせることができません。今日の問題は青少年問題、家庭破綻です。それは誰も防御できません。私たちしかいません。神様が許した特許権です。この世のいかなる個人も、宗教も、団体もできません。私たちだけができる特権をもっているのです。

 家庭ごとに皆計画を立てて、誰を訪問するかというプログラムを組んで、自分の一族を祝福するのです。自分の氏族の誰かが山の中に一人で住んでいても、誰かが訪ねていって通告するのです。その責任を果たさなければならないのです。今、そのようにする時なのです。一年以内にすべてを終えて、韓国を完全に一掃してしまわなければなりません。

 それで今、若い青年たちを祝福してあげなければならないのです。先生が祝福してあげる人は、結婚して自分勝手に暮らしている人たちではありません。未婚の男女です。それも、家門の伝統に従って純潔を守る人たちを祝福してあげるのが先生の責任です。ノラ犬のような者を祝福しても問題が大きいのです。どれほど私が苦痛を受けているか分かりますか? そのままの生活習慣を続けながら、み旨に向かう姿勢とどれほど隔たっているか知っていますか? それなのに、すべて平準化したと思っているのです。

 バランスを取って水平にならなければならないのです。自分たちが水平にならなければなりません。バランスを合わせなければなりません。低いと思ったら、高いところに行って合わせるのです。主体があれば、主体が願うとおりに合わせていかなければなりません。自分の思いどおりやれば、すべて壊れてしまいます。二人とも壊れてしまうのです。なくなるのです。

 原理がそうです。創造された環境には必ず主体と対象があります。この主体の前に対象が一つにならなければなりません。これが一つにならなければ、発展もないのです。希望もありません。公式的にやらなければなりません。公式のとおりに解いていかなければなりません。ですから、統一食口は自分勝手にできません。公式に参与しなければ、すべて脱落するのです。木の葉は風が吹けば落ちます。それと同じことなのです。(二九九-二五二、九九年二月十八日)

 全国の家庭を全体化しなければなりません。ですから、一万二千の訓読会家庭です。韓国で、最初が一万二千家庭でしょう?(「韓国の状況で一万二千家庭です」)。一万二千家庭だけで十分でしょうか? 一万二千個、その次は十二万です!。十倍に増やしなさい。その次は二十四万個、三十六万個、その次は百六十万個、千六百万個です。訓読会をつくるのです。統班撃破です。

 これからは、家庭でみ言を中心として訓読することによって、天の国の……。それに従って自分の先祖も訓読会に参席するのです。地上ですることに、共に霊界から残らず出勤させることによって、一つの国となるのです。これは聞き逃すような言葉ではありません。実践しなければなりません。

 訓読会をやるのです、訓読会。やらなければ、皆さんが蕩減を受けるのです。放っておかないのです。いったん来たならば、放っておかないのです。こいつ! 災いを転じて福となしながら天国に連れていくのです。サタンは災いをもって地獄に連れていったでしょう? 正にその反対です。強制的にやらなければなりません。今までは蕩減があったので、そのようにぐるぐる遠回りしたのですが、今や蕩減がありません。即決時代です。恐ろしい時を迎えたのです。(三〇二-三二〇、九九年七月二日)


(終わり)


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訓読会をする理由

  真のお父様のみことば  訓読会制定宣布
   一九九七年十月十三日

(抜粋2)



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訓読会の方法

 訓読会の良い点は何ですか? 本を分けてあげ、読むときには、本を持った人が読んでから、誰が読むようにと指名するのです。これを訓練しなければなりません。そして、訓読会をして必ずいくつかの題目について質問させなければなりません。聞いているだけではいけません。訓読会をやる者が十名来たならば、そのうちの三分の一は、必ず関心があって質問したいのです。一度にすべて質問させるのです。時間が足りなければ、数名だけ質問させ、それについて解説してあげるのです。それが講義よりも重要なのです。本を三回読めば、はっきりと見えてきます。訓読会をするときは、声を出して読まなければなりません。(二九六-三二九、九八年十一月十八日)

 訓読会は本を使ってやらなければなりません。本を使えば、誰でも四十日修練をすることができます。それが及ぼす影響がどれほど大きいことでしょう。訓読会を通じて、本をもって、そのようにやるのです。訓読するにあたって、代表して読むよりも、順番に本を読まなければなりません。今回、私が指示しようとするのはそれです。本を使って訓読会をしながら、自分が読んでから、誰それと指名して読ませるのです。一時間ならば四十ページ近く読むのです。早く読めば五十ページまで読むことができます。十ページずつ五名に読ませて訓練しなければなりません。読みながら自分の声に感動しなければなりません。

 ですから、恵みにならなければ、責任者たちは訓読会のために本を十度以上、読んでから出てくるのです。先生自身もそのようにしているのです。巡回講演するときには、自分が原稿をすべて書いて知っていても、祈る思いですべてを透視しなければなりません。(二九六-三二九、九八年十一月十八日)

 訓読会とは恐ろしいものです。先生がそのみ言を宣布したのが、五十年前、生死の境の真っ只中で語ったものです。このみ言を中心として一人でつぶやいていた……、天下が張り裂けるような思いを抱いて語ったものなので、これは天の心情、霊界が協助するものであり、感じたそのものが生きているのです。永遠に時間圏を超越したものなので、昨日であれ、今日であれ、生きているのです。ですから、私のような者は訓読会に入れば、そのみ言が自分の言葉ではありません。その境地に引き込まれていきます。その境地に入っていくのです。それが必要なのです。(二九六-三二九、九八年十一月十八日)

 太陽の光が朝昇れば、変化無常ではあっても、常にその光、その世界、その力があるので、この宇宙は太陽の光の恵沢に永遠に感謝するのです。それと同様に訓読会を中心として、永遠なる天が生きている……、永遠なる世界の因縁が時空を超越して継続するという感動的な因縁を、どこで結ぶかというのです。生死の境です。死なんとする者は生きるのです。死ぬのは私であり、生かすのは神様なのです。そのような深刻な境地に入らなければ、そのような者たちは使えない者たちです。流れていくのです。過ぎ去っていくのです。根がなければなりません。(二九六-三二九、九八年十一月十八日)

 今から帰って訓読会をするときは、一人でやらないで、必ず一緒に本を音読しながらやるようにしなさい。そして、自分が訓読して、だいたい五ページから十ページほど読んだら、誰それと名前を呼びなさい。そうして、指名された者が引き続いて読むという、そのような伝統を立てなければなりません。そうして、その日の訓読会で重要な内容に関しては、「今日、この訓読会で重要な内容はこれですが、これは私たちが守っていくべき鉄則です」と決めて、その日の標準を立てるのです。(二九七-一〇九、九八年十一月十九日)

 先生のみ言は、五十年の歴史を経ながら霊界と一体的な動きを連結してきたので、そのみ言が現れれば、霊界全体が、自分の協助した過去時代、そのとき先生と切に祈った心情圏が、すべてみ言と共に世界を覆うのです。

 訓読会をする人が涙を流せば、すべての人が涙を流し、訓読会をする人が感動すれば、すべての人が感動するのです。どんな大衆が集まっても、そのような運動が起きるのです。なぜでしょうか? 霊界が直接に再臨するからです。そこに感動したすべての霊人たちが、地上協助、文先生の解放協助………、恨の神様を知る心情を中心として願ってきたすべてが、今この時になって完全に実現するという運動が起きるのです。

 ですから、肉界で「訓読会だ!」というときは、天上世界においてすぐに反応するのです。今や訓読会の独裁時代が来る! 今、私が何と言いましたか? 訓読会の独裁時代です。独裁という表現はあまりよくないですが…………。

 その訓練を今からやらなければなりません。その訓練は家庭訓読会、その次には氏族訓読会、社会では教会訓読会です。面(町)や郡や里(村)、洞(町)の訓読会をやるのです。成約時代に発表したみ言を中心とした十二巻のみ言選集を、党首、道知事(県知事)、郡守、面長(町長)を通して、すべて分けてあげました。訓読会をやらない国は滅びるのです。奪われるのです。後退するのです。(二九六-二二一、九八年十一月十日)

 皆さんは今後、いかに訓読会をすべきですか? 今後、世界的にまず訓読した人々は、世界訓読歴史創建時代の代表的な一つの地域ならば地域、国ならば国の中心指標、中心支柱になることを知らなければならないのです。

 皆さんはここでこうして終わるのではありません。一回から二回、三回、四回までやったなら、ここで教育を受けた者は、全世界に散らばって教育する責任があります。食べて寝ることを心配するなというのです。家を売り、土地をすべて売ってしまって、避難民のようにさ迷ったとしても、皆さんが定着できる所は、世界の主導的な訓読大会の先祖という立場に定着するのです。そのようにすることで、世界化が可能なのです。祝福の世界化が可能です。そのような驚くべき未来があることを知らなければなりません。

 すべての山間に統班組織のような組織をつくり、それに責任をもった人たちは、自分の部署が天の国、霊界の一つの部署となって、霊界と隔たりのない一体的な基準に合うように、責任をもって教育せよというのです。(二九六-二二一、九八年十一月十日)



   訓読会をする理由


 韓国がこんなにも困難な目にあうのは、摂理的な意義があります。精神を取りますか、物質を取りますか? 二つをいっぺんに取ることはできません。物質を先に取ったら地獄に落ちます。物質を壊したのは、文総裁を中心として韓国を愛するためだと考えられます。ですから、私が訓読会をするのは、精神的に結束するためです。これまでの歴史にないことが起きるのです。(二九〇-九三、九八年二月三日)

 世界化時代にどこの橋を渡っていきますか? 文総裁の橋は世界最高です。息子や娘を皆、私に任せなさい。任せますか、任せませんか? 任せるだけのことはありますか、ありませんか? 任せるという者は手を挙げてみなさい。世界に出世できる万全の準備が整いました。それで私がここにやって来たのです。今やみ言を教育しなければならないので、訓読会をするのです。(二九〇-一五八、九八年二月十八日)

 今や教育であろうが何であろうがすべてをたたんでしまえというのです。訓読会さえすれば、すべて終わるのです。ご飯を食べる度に、家族や一族が集まって、しきりに訓読会をやれというのです。先生は熱心にやっているでしょう? 先生は時間さえあれば、訓読会をします。そうすればどんどん大きくなるのです。モヤシに水をやれば成長するように、我知らずどんどん大きくなるのです。一人の人間であっても、どんどん入るのです。愛は無限に縮小や拡大が可能なのです。(二九〇-二一七、九八年二月二十七日)

 よくよく見てみると、訓読会というのは、み言を通じて家庭が定着するという内容です。家庭の伝統になるのです。息子や娘の教育は、心配する必要がありません。真の父母が生きてきた生活と教えが、今すべて成就しているのです。今になって、すべてが合っているのです。(二九二-一七、九八年三月二十七日)

 訓読会をするのは、自分の行く準備をするのです。千年万年の歴史が、私を離れて行くかどうかというテストです。あなたがたが三億六千万双の祝福家庭の教育をどうしますかと尋ねたとき、私は笑いました。皆さんに教育ができますか? 十年もしないうちに、皆荷物をまとめて出ていくでしょう。先生はみ言を残していくのです。(三〇三-七九、九九年八月)

 私は去りゆく者です。地上で私かやるべきことは、すべて成しました。今や八十の老人になったでしょう? 私は世の中をすべて知っているのです。若者たちは皆、八十の老人が前に出て働くことを好みません。「わあっ! あんな人がいるなんて?」と言うのです。それよりもみ言を好むのです。年を取った人の顔と対するのが好きでしょうか? それで今、訓読会をやっているのです。精読させて試験するかもしれません。(二九七-一〇九、九八年十一月十九日)

 沃土というのは肥料が必要ないのです。本来、神様が創造した地は、自動的に自然の栄養分を供給するのです。ですから、精誠を尽くせというのです。精誠を尽くして活動せよというのです。種を植えよというのです、種! それで第一次、第二次、第三次イスラエルの失敗をすべて教えてあげようとして、訓読会をするのです。先生がどれほど苦労し、神様がどれほど苦労したかを知って、そこに一致し得る基盤さえ築けば、すべてが解放されるのです。それで訓読会をやるのです。(三〇二-二九三、九九年六月二十六日)

つづく。


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訓読会制定宣布 1997年10月13日



真のお父様のみことば

訓読会制定宣布

   一九九七年十月十三日

(抜粋1)

 一九九七年九月一日、米国・ベルベディアにて「第九回天父主義記念」のみ言に続き、「今日から新しい時代に移行する」と語られ、新しい時代に適した生活指針を下さった。十月十三日、ウルグアイのビクトリアホテルで、これを「訓読会」と命名された。





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   訓読会の意味

 訓読会という言葉を知っていますか?「訓」という漢字にはどういう意味がありますか? 教えるという意味があります。「訓」という字には、み言の「言」に「川」という字がくっついています。水は流れるものです。高いところから流れていくのです。水というのは、万物において生命の元素となっています。そうして循環運動をします。山から下り、泉となってあふれ、川となっていくのです。地球全体の血のような水、体のような水が海に流れ込んで、海水と生水が和合し、水蒸気となって、天に上り、雲になるのです。統一教会のみ言を中心として動くところには、復活がなされるのです。(二九六-二〇〇、九八年十一月九日)

 「読」という字は何でしょうか? み言を売るのです。ただで与えるなというのです。千金万金以上の価値として、自分の生命までも捧げられる価値として、伝授せよというのです。そうすれば統一天下になるのです。地上天国・天上天国が間違いなく成されるのです。

 「會(会の旧字)」という字は何ですか?「人」という字の下に何と書きますか?「一」と「四」、それから「日」という字を書くのです。それは何に似ていますか?「會」という字を一度書いてみなさい。「人」の下に「一」を引いて、「四」を書くでしょう?「四」の字を上にある「一」まで伸ばせば、西という字になります。その下には何ですか?「日」という字です。

 西洋人は「一」でなく「日」です(韓国語では共に発音が同じ)。西洋民族は単一民族でなく、混合民族なのです。ですから、会議というのはすべて西洋人がやるのです。「これが民主主義である!」と言って、横的にだけ考え、縦的なものがありません。訓読会をやりますか? み言は自分の家を与えても買えません。国を与えても買えないのです。このままでは生きていけない時代になってしまいました。自分の財産や命を捧げても買えないのが、み言というものです。(二九七-二○四、九八年十二月二十二日)

 統一教会の訓読会というのは、川の水が止まらない限り、私たちも訓読会を休むことができないのです。「読」という字は、「言」と「売」からなっています。売るという意味です。良いものを売るのです。み言を知って、そのすべてを売らなければなりません。分けてあげなければなりません。ですから、これからは村と村が競演大会を行うのです。どれほどやったかという問題……、家庭ならば家庭、教会ならば教会、社会ならば社会で表彰し、その次には、すべての国、世界で表彰する訓読会時代を開くのです。(二九六-二一七、九八年十一月十日)

 「訓読」というのは、み言の「言」に「川」という字です。水がすべての生命の要素なのです。青い地帯をつくり、空気の流れる雲を形成して、深く高く動きながら、世界を平準化するのです。水は世界を平準化するのです。「読」という字は何かと言うと、み言を中心として売らなければなりません。売らなければ、集めて使わなければなりません。水は流れて大きな川となり、海となり、この宇宙を生成する力をもっています。み言のもつそのような内容を知らなければなりません。(二九〇-一五四、九八年二月十八日)




   訓読会の標準


 私たち人間の生活、個人は皆、一つの支脈、一族、血族を中心とした形態、支流のようになっており、それがだんだんと大きくなって、一つの国、一つの理想世界、一つの大河を形成し、一つの霊界にすべて帰結するのです。霊界に行って、霊界の生活、海の生活、そのような形態の永遠なる動きが続くのです。正にそのようになっているのです。

 ですから、人間は一人で生きていくのではありません。どのみち人生は、一度は行ってぶつからなければならないのです。川の水が最初に山から流れるときには、千万の形態となって滝として落ち、ぶつかりながら、大洋に入っていくのです。ですから、すべては一つの世界に向かって入っていくということを知らなければなりません。

 さて、そこで皆さんに教えたいのは、「川」という字と「読」という字です。この「読」という字は、み言を中心として売る、み言を売るということです。み言を自分に留めておかないで、みな伝授してあげなければならないのです。一雫の水は支流となり、さらに大きな支流、本流となって、大洋に入っていきます。すべて大きくなっていくのです。そのようなみ言をすべて伝授し平準化させる、そのような内容が訓読会なのです。

 訓読会をする理由は何ですか? 皆さんは今まで旧約時代、新約時代を経て、成約時代を迎えていますが、「成約時代」とは何ですか? それは家庭完成です。旧約時代には家庭を原理的に立てることができず、堕落した家庭となりました。この家庭基盤で失敗したことを復帰するには、家庭で復帰してはいけません。より高い次元の国家的基準で復帰しなければならないのです。そのために第二アダム的なメシヤが来て、復帰しようとしたのですが、すべてが失敗したのです。

 それで第三のアダムが来て、国家的基準ではなく世界的基準において、言うなれば大きなアマゾンのような川の責任を果たしながら………、アダム家庭の失敗、イエス家庭の失敗、その上に民族・国家・全人類的な失敗を、総蕩減しなければならないのです。すべてに責任をもって、きれいに整理しなければならないのです。それでようやく人類の真の父母、アダムとして完成すべき真の父母、神様の創造理想のみ旨の本体である四位基台……、アダム家庭における愛の理想完成の定着地を中心とし、それを伝統とすることによって、万民がそのような種となるのです。アダムが種ですから、皆さんも同じ価値の完成した種のような家庭をもって定着し、天国に入っていくのです。

 それができていないのです。皆さんは祝福を受けてから七年路程を経なければなりません。先生もその道を行くのです。今まで皆さんは、この復帰路程において、蕩減の公式に合わせて歩むのがやっとで、それを知らずについてきたのです。三六家庭を祝福したのも、三十余年前のことですが、四十年近く過ぎた今になって、やっと今までなしてきたことの意味が分かるようになってきたのです。

 それでは、この訓読会の標準とは何でしょうか? 真の父母が、堕落した世界の歴史を代表して、この世における家庭理想を蕩減し整備した基盤の上に、神様の願いである創造理想的な祝福家庭を完成するのです。その完成した家庭は、一個人の家庭ではありません。アダム家庭は家庭王にならなければならず、氏族王、民族王、国家王、世界王、天宙王にならなければならず、地上天国と天上天国の王権を授かることができる代表的家庭です。それと同じように、皆さんの家庭も皆さん一人ではないのです。

 先生のみ言は、今まで先生が歩んできた闘争記です。言い換えれば、家庭完成をする戦勝の記録です。この記録は、皆さんの骨や肉のように一体となり、中心とならなければなりません。そのようなみ言と一体化できる骨と肉となり、生活的環境と一体化させなければならないので、家庭が定着しなければなりません。真の父母の家庭を代身しなければなりません。

 父母の家庭を中心として氏族圏・民族圏、そのレベルがすべて同じ国家的基準に立ち、平面的に同じ位置に立たなければなりません。それゆえ、最後にはこれが蘇生・長成・完成、アダム時代・イエス時代・再臨時代という蕩減を通して、復帰して上がってきたのです。引っ張られて上がってきたのです。上がりきってからは、すべてを横的に蕩減復帰しなければならないのです。

 先生が闘争してきた個人的時代、家庭的時代、氏族的時代、民族的時代、国家的時代を代表して勝利的な真の愛の覇権者(としての闘争記)………、神様と真の父母を代身した一つの愛の種のような家庭に向かって清算するための、歴史的な闘争記なのです。そこに一体となれず、心と体が一つにならなければ、家庭理想は破壊されます。先生はそのようなすべてのモデルとして、戦勝的な記録を築き、皆さんの骨と肉ができる前に、その型を築いておかなければならない立場に立っているということを知らなければなりません。

 それが重要なことです。ですから、この訓読会は皆さんが聞き流してはなりません。毎日のように自分自身と比較するのです。良心がみな知っています。説明する必要はありません。すべて分かるようになっています。自分がいかなる位置にいるか、皆分かるようになっているのです。分からないようにはなっていません。そうして、皆さんの家庭が、全体から見で、み言の内容と比較して一体化、イコールとなれる価値的な存在として、神様に永遠に認められる永生の実体基盤を、家庭において築かなければならないのです。

 サタンの血統が残っている限り、永生の因縁が残らないのです。サタン世界の血統を凌駕した愛を中心として、愛の全体の骨肉、自分の生活圏のすべて、神様が創造した環境にまで、主体的な影響を与えられる家庭にならなければならないのであって、影響を受ける家庭になれば、天国に入っていけないのです。

 そのような膨大な過程を考えてみるとき、皆さんの家庭はどのような位置にあるのでしょうか? 誰も当てはまる者がいません。今や第三次アダムの完成は、三億六千万双を完結すればなされるのです。次は、サタンの血統をすべて断絶しなければなりません。サタンの血統が断絶し、堕落の痕跡がない、そのような基盤の上に定着していく家庭が、第四次アダム圏なのです。(二八八-一〇八、九七年十一月二十五日)


   訓読会の重要性


 訓読会の重要性はなんと大きなことでしょう! 天上世界や地上世界において、自分の子孫や一族を、一挙に打って分別できる内容なのです。それが皆さん自身にかかっていることを知らなければなりません。常に深刻です! 霊界にいる先祖から世界の子孫たちにいたるまで、自分にかかっているというのに、どれほど深刻なことでしょう。一歩誤まれば皆ひっくり返るのです。(二九六-二三七、九八年十一月十日)

 皆さんが今、地上でやっている訓読会は絶対に必要なものです。そこに合わせて着地しなければなりません。霊界は既にそれをやっています。霊界では一週間以内にすべてが定着します。ですから、地上でやるべきことが、どれほど急がれているか知らなければなりません。訓読会を通じて家庭が定着できる時代に入ったのです。それで訓読会が重要なのです。これは霊界にいる自分の先祖の解放と今後の自分の後孫を解放するためのプログラムです。過去・現在・未来が一つなのです。(二九一-二三七、九八年三月十五日)

 訓読会を重視しなければなりません。ご飯を食べることより重視しなさい。そこに面白さ、醍醐味を感じなければなりません。「私が今、どこに向かっているのか、いかに生きているのか?」というとき、何点になるかというのです。すべてに点数をつけなければなりません。自分自身のことは、自分が一番よく知っています。それから一六〇家庭、一八○家庭を祝福し、氏族が入籍するときには、皆さんの姿勢を重視しなければなりません。

 ご飯を食べるよりもおいしく、現在暮らしていることよりも現実的でなければなりません。ご飯を食べることは忘れても、訓読会を忘れてはなりません。一日のうちで朝だけ訓読すべきですか、昼や夜にも訓読すべきですか? 夜食を取る時間があるなら、四回やらなければならないのです。朝に起きて訓読し、昼にご飯を食べてから訓読せよというのです。夕ご飯を食べて訓読し、眠る前にまた訓読するのです。そうすれば霊的な生霊が育つのです。やらなければ、真っ暗で雨の日のようであり、霧がかかったように胸が苦しいのです。祈祷する時間より、訓読会の時間をもっと重視しなければなりません。なぜですか? それは完成するためです。真の父母が皆さんを完成させる時間だというのです。(二九五-二七四、九八年九月八日)

 訓読会は涙なしでは過ごせない時間であるということを、皆さんは知らなければなりません。今は不平を言える内容が何もないのです。すべての者が歓迎しなければならないのです。真の父母が定着したすべての心情世界を、皆さんの家庭に安着させるためにも、訓読会は絶対に必要なのです。家庭的な訓読会、社会的・教会的・国家的な訓読会、世界的な訓読会が始まるのです。(二九二-二一五、九八年四月十七日)

 先生は闘ってきた過程で、霊界の協助を受けてきましたが、皆さんも同じく霊界の協助を受ける条件を立てなければなりません。家庭が地上に定着するとき、サタンが讒訴し得る環境を越えていかなければならないので、訓読会が絶対に必要なのです。(二九二-二一五、九八年四月十七日)

 訓読会が絶対に必要です。三百六十万双、三千六百万双、四千万双、三億六千万双を誰が教育しますか? 私はそれを信じません。私はみ言をすべて知っています。そのみ言に私が涙を流し、生命をかけてみ言を宣言し……、すべてがそのようなみ言であったということを、私はよく知っているのです。そのみ言を皆さんはすべて忘れてしまったのです。(二九六-三三二、九八年十一月十八日)


つづく。


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永田正治王を偲び感じたこと



日本のサンクチュアリにおいて、貴重で重要な一人の方が聖和されました。

誰よりも三代王権サンクチュアリを愛され、まさしく命がけで最前線で闘って来られ肉体を捧げて、天に忠孝の基準を立てていかれました。その方の姿を通して1984年1月に昇和された興進様のことを思い起こすことになりました。

興進様は天の祭物となって、摂理を守られ、真のお父様の代身として先に霊界にいかれたことを知っています。祭物はカインアベルと一つにするために必要でした。

霊界と地上が一つになり、お父様と真の家庭が一つとなり、真の家庭とシックが一つとなり、左翼と右翼が一つとなり、統一教会とキリスト教が一つとなる道を開かれました。


第3回鉄杖自由祝祭を前に、天の祭物として一人の貴重な祭物が必要だったと思わされました。カインとアベルが一つになるために。カインとアベルが一つとなって父母を迎えることができるのが原理であるので。


今回の鉄杖自由祝祭がどれほど重要であるのか、あらためて考えさせられました。同時に命を捧げられた永田正治兄弟のごとく、三代王権二代王様をお守りする絶対的信仰が必要であることを痛感させられています。



真のお父様のみことば  40年摂理路程と「愛勝日」の宣布
1983年1月3日 アメリカ ベルベディア

-文興進様の昇和の意義-



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カイン・アベルがひとつになれる文化圏

 あなたたちは、ここアメリカに長い間いながらも、お母様の話を聞くのは初めてですね。(「はい」)。それは、歴史的な出来事です。皆様が知っているように、一九八三年を中心に先生は全世界に全体動員を命令しました。それで、三月に先生はIOWCを結成して今、全国的な活動を推進しています。

 第二次大戦以後、韓国で先生がこの道を出発した四〇年摂理期間において、一九八三年から一九八五年までの最後の三年間の最初の年が一九八三年でありました。「この三年期間において世界は転換しなければならない」というのが摂理観であります。では、何を中心として転換するのか? イエス様はこの地上において、今から二〇〇〇年前にローマ帝国を中心とした世界的版図において、歴史的な転換点をつくらなければならなかったのです。国家的基盤を中心として、その次は世界と連結されて転換しなければならないということは、イエス時代も今の時代も同様であります。国家的基盤を中心として転換するのです。ユダヤ教とユダヤの国を中心としてローマを転換させるべきでした。しかし、それが失敗してしまったのです。

 それで、韓国の摂理からみるとき、解放された第二次大戦直後に先生は公的路程を出発していました。その時、既成教会が受け入れて一体となっていたなら、既にその時から、アメリカと勝利した自由世界を中心として、信じられないような世界的規模の摂理が台頭し始めていたはずであり、キリスト教最高の文明圏を中心として、今日世界の頂上へと直ちに上がることができたのです。

 そのようになったならば、アメリカのキリスト教が直ちに連結され、ローマ帝国が太陽神、自然神を信じていたそのような時代と異なり、これはキリスト教文化、即ち共同文化体制となるので、国家的統一にただちに連結されるはずでありました。
 では、キリスト教は何かといえば、東洋の韓国に入ってきているが、キリスト教文化圏は東洋と西洋とアメリカと完全に連結されているのです。このように連結されているものはひとつしかないのです。しかし、キリスト教文化圏には東洋の思想を吸収する道がないのであり、東洋の思想ではキリスト教文化圏を吸収する道がないのです。統一思想を中心として、統一教会の原理を中心として、はじめてこれがただちに連結されるのです。

 これをひとつのカイン・アベルとしてみるならば、その時、西欧社会においては、キリスト教文化圏はアベル的立場において東洋を救ってあげなければならなかったのです。ここにカイン・アベルがひとつになれる文化圏、東洋・西洋の文化圏をひとつに連結させなければならない天的意義があるのです。それがなされていたならば、今日統一教会は四〇年の受難の道、四〇年という期間が必要なく、その時から勝利的に七年間経過すれば、キリスト教文化圏を消化することができたのであります。今日のいわゆる統一教会の迫害とか“ムーニー”とかさまざまな歴史の曲折を残すこともなかったでしょう。

 このようにみるとき、こうした立場から生まれた先生一人を中心として、神様はどんなことがあってもこれをなしてほしいと願われるし、サタンはどんなことがあってもこれを破ろうとするこの二つの岐路に立っているのです。では、先生の側に立つことのできる人たちはどのような人たちなのか? それはアベルと天使長です。天使長圏というのは霊界全体、アベル圏としてはキリスト教文化圏であります。

 そこで、キリスト教はどうだったかと言えば、神の摂理的意味を知らずに右往左往していたのです。では、霊界から命令をしてやるべきか? キリスト教自体、アベル自体がカイン圏を収拾すべき責任があります。そのような立場からすると、韓国を中心としてみるときにはそれが可能であります。アベルが韓国、つまり東洋を代表したカイン圏をコントロールするのです。

 一九四五年当時、アメリカを中心としたキリスト教文化圏が、韓民族に大きな影響力をもっていました。形状的蘇生段階において、カインとアベルが民族的レベルでひとつになっていました。外的意味では、米国キリスト教を代表していた米軍がアベルの立場で、カインの立場にあった韓国を治めようとしていたのです。だから、形態からみた国家的な基準においては、カインとアベルがひとつであります。しかし、内的、宗教的な面からみれば誰がカインであるかといえば、キリスト教がカインであり、統一教会がアベルの位置にあります。これがひとつにならなければなりませんでした。ですから、キリスト教が統一教会を受け入れさえすれば、すべてが動き出すはずだったのです。キリスト教が統一教会を支持するようになれば、これは完全にひとつになるのです。わかりました?

監獄からの出発

 ところが、キリスト教が統一教会に反対したのです。先生に反対したのです。反対した立場から完全にサタンの立場に立ったのです。キリスト教が統一教会に反対した時、初めは韓国政府は統一教会の側に立っていたのであります。しかし、当時サタン的になってしまっていたキリスト教会の悪らつな先生への攻撃により、統一教会反対にまわってしまったのです。それは何故かといえば、韓国政府はキリスト教会の強い影響下にあったからです。このようになることによって、共産主義が完全に浸透し、完全に定着するようになって、世界的なサタンが奮起するようになったのです。

 それは国内の内的キリスト教文化圏もそうであり、外的にもそうであるので、完全にサタン圏内に入ってしまいました。こうしてあらゆるものが、先生に反対するようになったのです。キリスト教が怨讐となり、キリスト教サタン圏と共産圏サタン圏がひとつになって、それにさらにユダヤ教、全宗教を動員して打とうとし、全人類を動員して打つし、全共産主義を動員して先生一人を亡き者にしようとするのであります。それで、先生は行くところがなかったのです。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるのに、しかし、人の子には枕するところがない」と聖書に言われたその道を行くのです。

 先生は本来苦難を受けるために生まれてきたのではなく、高貴な立場で生まれた人なのです。本来、歴史的な基盤が先生のために整えられていたはずなのに、それが全部破られたので、それがくずれるようになったときには、その基盤を代わりにつくることなしには生きる道がないのです。キリスト教の目的は再臨主が立つ基盤をつくることにあるにもかかわらず、キリスト教が先生に反対したので、再臨主が立つ基盤がすべてくずれてしまったのです。そのため先生は一から建て直しを始めなければならなかったのです。先生はサタン世界の絶頂にまで追いやられました。誰も味方する者もなく、立つべき地もなく、自らの基台を最低の状態から再建しなければならなかったのです。それで、先生は国を捨てて、キリスト教と血みどろな闘いをし、解放後のすべてを捨てて北韓の共産世界に入っていったのであります。監獄に入って、イエスの公生涯と同じ二年八カ月を過ごしました。
その獄中でイエスが失った弟子たちを探し求めてもどってこなければならなかったのです。逆の道をたどってくるのであります。
 イエスが果たせなかったことを世界的な基準に連結させて、イエス様とまったく同じ立場に立つのです。その二年八カ月の苦役の後、国連軍により解放されました。これは意味のあることで、全世界が蕩減を払い先生を守護したということになるのです。

国家的迫害を越えて

 解放後、先生は南に行き、二年八カ月の蕩減路程で造った基台の上に、新しい運動、統一教会を出発するのであります。キリスト教が出発するのではありません。先生が蕩減条件を立てた瞬間から、新しいキリスト教文化圏として、キリスト教が失敗した立場を更新するための基盤造成のために出発したのが統一教会であります。十二弟子を訪ねて行って蕩減することによって、初めて南の地に入ることができ、それで神の前に弟子たちを探し出すことができるのです。イエス当時においては、獄中に向かう途中、使徒たちは皆逃げてしまったのに、先生は獄中において弟子を探したのです。逃げ散っていくのではなく、逆に最も危険な状況下で先生の所に集ってきたのです。

 その時、西側世界を代表する十六カ国の国連軍が協助したので、国連軍が払った犠牲ゆえに、今日アベルの位置を得、西欧文明がアベルの立場になったのです。それで、韓国と、北韓にいた先生のために血を流したという条件のゆえに、西欧文明と自由世界は真の父母の救いを受けることができるようになりました。国連の理想は何かといえば、世界をひとつにするという神の理想に通じます。こうして、生死の境ともいうべき最低の状況から出発した先生の苦難の路程が始まったのです。それで、この過程においては個人として、サタンと神との死ぬか生きるかの闘い、また家庭を中心として死ぬか生きるかの闘い、また種族を中心とした死ぬか生きるかの闘いにおいて、世界的にこのような生死をかけた闘いをしてきたのであります。

 それで、いつもその国の主権者が我々の運動を妨害しようとして、先生は常にそれらと直面してきたのです。彼らはどんな小さな条件でもそれを利用して、先生を投獄しようとしました。そのため監獄にも入りました。機会さえあれば、獄殺までもしようとしたのです。それは北韓の続きのようでした。主権者のだれもが先生の運動に反対し、つぶそうとしました。

 七〇年代に入ると神の摂理は民族的基準、国家的基準となっているので先生は絶対的愛国の位置にあって、政府に最後のメッセージを送りました。しかし、拒否しました。それを受け入れていれば完全にひとつになることができたのです。それで先生はアメリカに渡ったのです。

 その当時、ニクソン大統領は地に落ちていました。先生の話を聞いてニクソン大統領が追放されなかったなら、統一教会を中心としてニクソン政府、アメリカ、韓国と一連の連結をすることができ、西欧文明と国家的基準において完全にひとつとなることができたのです。しかし、ニクソンは先生を利用するだけ利用して放り出してしまおうとしたのです。先生を個人的に見たため、韓国人で何でもない一人の宣教師と思って、天命をもってきたということを知らなかったのです。そのとき、先生の話を聞いていたならば、ウォーターゲートは勝利し、そこから先生を中心として新しい連帯による新しい時代が始まるはずでした。

 その次にフォードが現れましたが、彼は力量不足でした。その次の政権はカーターで、彼は闘いを挑んできました。カーターは就任するや否や先生に宣戦布告をしたのです。ここから悲惨な四年間が始まり、先生は最初から彼の行政に反対しました。先生はカーターが共産世界の道具として選ばれていたことを知っていました。彼は共産主義という神を否定する力に仕えていました。彼の任期中、マスコミ全体が先生は市民の敵であると宣伝し続けたのです。そうなると、全世界の言論界、宗教界、アメリカ全体がひとつとなってレバレンド・ムーンを打ってくるのです。先生はカーターの目標が先生をアメリカから追放し、アメリカでの影響力を消去することであることを知っていました。あって無き者にしようとしたのであります。

 彼の後にくる大統領がレーガンであるとは誰も夢にも思いませんでした。神のみ心を知って、彼の地すべり的な勝利を予言したのは先生だけだったのです。今、レーガン政権を中心としてアメリカをもと返す運動をしています。先生がそうしようとしたら、神様もそうするしかないのです。

統一主義の時代

 このようにみるとき、レバレンド・ムーンには、キリスト教文化圏が失ったものを探し出すことと、サタン圏内で反対しているアメリカを再び探して立てなければならないという二つの使命があります。あなたたちもそれを協助しなければなりません。まず、何をなすべきかというと、米国国家、キリスト教国家を再び復活させることです。そうすることによって、キリスト教文化圏が滅びないのであります。それからアメリカが滅びない、この二つのことをやっているのです。しかし、裁判問題を通してすべて亡きものにしようとしています。

 目標は、新しいキリスト教の復興と新しい国家的蘇生であり、生き残ることのできる道なのです。その基準が第二次大戦以後に行くべき道であり、世界へ行くことのできる神の道でした。
 その内容を提示したのが、先生がアメリカで行くところの歴史的路程であり、今のこの闘いであります。
 そして、統一主義と神主義のみがアメリカの行くべき唯一の方向であり、それなしにアメリカには何の方向性も展望もありません。先生がカウサ運動を始めた時、人々はそれがアメリカの蘇生にあまりにも有効であることを目の当たりにしました。全世界の既成キリスト教も、統一教会に代わることができないということを人々がはっきりと知るようになる時が近づいていることをみなさんは知らなければなりません。また、全世界の思想、共産思想、民主思想をはるかに上回るものが統一思想です。このような判決が出れば、すべてが新たになってくるのです。

 今まで人々は、この統一主義が果たしてそんなに大きくなるものかどうか興味津々でみていました。彼らは先生の思想を笑い草にし、我々の運動が続かないと思っていました。ところがどうでしょうか。これらのことが広まって、アメリカにおいても国家や教会の死活問題に影響力をもつことのできるような人々がカウサ運動に命がけで取り組む段階に至っているのです。今はよく考えてみると、アメリカにおいては宗教を収拾する道がなく、民主世界をも収拾することができません。経済でもっても収拾できないし、軍隊をもっても収拾できず、アメリカを生かす道がないのです。

 今はそのような立場にいるので、共産主義は解答をもっていると言いながら、アメリカを引っ掛けようとしています。それで、先進国に住んでいる西欧の人々には共産世界の思想と経済を消化する道は絶対にありません。そのことが完全に明らかになって判定が下される時代がくるのです。さらにソ連や中共自体の内部をみたら、どうすることもできない混乱状態にあります。深刻な経済問題をかかえており、自由世界を消化する力はありません。地下の情報からすると二年ももたないようです。そのなかにおいて、お互いが争っているとすればなおめちゃくちゃになります。

 ところが、ムーニーたちはその後で腕を組んで見ているのです。先生は「よし、裁判問題ゴー、何がおこるか見ていなさい」と言っています。今、世論が変わりつつあります。ワシントン・ポスト紙までも、レバレンド・ムーンもそんなに悪い訳ではないなどと書き出しています。ムーニーは完全に地にたたきつけられてなくなってしまったと思っていました。ムーニーはここにいるのにあまりにも大きいので、よく見えないのです。その地から信じ難い成長を遂げて、葉や幹がこんどはすべてをとり囲み始め、今や先生の影響は至る所に及んでいます。それで、世界的に連合を造って連結させなければなりません。統一教会の時代が来たことを知らなければなりません。

一人で荒野に立つ先生

 そうすると韓国も、全世界に連結させている勝共、統一主義、神主義を中心にする以外に国際的につながる道はありません。今や、最後の三年期間に、韓国の地で自由世界を再創造するのです。このために、今回の韓国での勝共大会があったのです。解放後に国連がありながら、キリスト教文化圏、全自由世界を連結させえなかったことを、再度四〇年目を迎えるこの時に、統一主義を中心に世界をひとつに結んでいこうとすることなのです。わかりますか?

 こうして第二次大戦直後に、再臨主がこの地上にきて、神様の御旨が正常な道を行くはずであったその時代が再び訪れるのです。ひとつにさせるのにおいて、何が一番必要であるかといえば、経済力をもってしてもできないし、科学力、技術力をもってしてもできません。国際共産主義の脅威のもと、自由世界の共通の利益である勝共という唯ひとつの道を通してのみ可能なのです。それで、米国を連結し、日本を連結し、世界を連結するために韓国において、「勝共決起大会」を行なったのです。国民も国家も行く方向を知らないでいます。今回、先生は行くべき道を完全に提示しました。国民と国家に希望と方向を提示しました。先生は方向と希望をもって、国民と国家が行くべき道を提示したのであります。

 それで、国民全体が「レバレンド・ムーンが帰ってくる」と言ったら、政府は勝共大会をしないように反対したのですが、完全に満場となりました。韓国政府は半分だけ協助したのです。レバレンド・ムーンと統一教会に反対したら大変なことであり、また一方、キリスト教があるので、どうすることもできず、その間に立って右往左往していたのです。
 政府はこのような時には、統一教会を受け入れるべきだったのです。そうであったなら、今回の蕩減条件は必要なかったのです。

 韓国自体は四〇年前、即ち解放以後にキリスト教文化圏に組みこまれました。そして、今回は西欧社会、つまりキリスト教文化圏と統一文化圏がひとつになったのであります。そこから世界へ行くことができ、生きる道が生ずるのです。
 それで一九八三年に、一九八三、一九八四、一九八五年の三年を残した一年目に勝共決起大会を行なったのです。これを一年目になさなければなりません。二年目はいつもサタンの攻撃を受けるのです。アベルもそうであり、ノアの息子ハムもそうであり、イサクも、イエスもそうであり、二番目がいつもサタンの侵入を受けるのです。それゆえ、八四年度、二年目になると困るのです。いかなる冒険をしたとしても、行なわなければならなかったのです。一年目に決定的に基盤を固めておかなければなりません。二年目では考えられないほどの統一教会への迫害が来るのです。それで、生命をかけて行なう以外に道はありませんでしたから、先生は神を信じて、誰もが「やってみろ、やってみろ、成功するはずがない」と関心さえもたずに嘲笑するなかで行なったのです。

 このような意味で、二週間以内に全国的に行なおうとしたのです。我々に体育館等大きな会場の使用を許可したのは、その体育館を満たそうとしても、一年間かかっても満場にすることはできないと思って、失敗するのを見て笑おうとしたからです。今回の大会においては、私だけが勝利すると確信していたのであって、ほかには誰ひとりいませんでした。何度も間違いなく勝利すると言ったのです。疑い方があまりにもひどいので、私は出発する前から「大勝利をする」と手帳に書きました。それは条件付きでありました。信じなかったからです。

 大韓民国が信じ、統一教会が信じ、幹部が信じて勝利したならば、これは一大勝利としてすべての道が一度に開かれるのです。先生をみれば、全員が先生を疑って、先生を守る盾とはなっていなかったので、一人だけで荒野に立っていました。だから危険なのです。そこで、先生が指示をし、このような危険を防御する対策を立てました。サタンはすべての不信仰の条件を取って攻撃しようとしたけれども、光州の場合は十一時に始まるはずだったのに、十時半には完全に満場になってしまいました。そのため、集まった人々が会場内に入ることができなくて外に溢れ、悪党たちも入る余地がなかったのです。そのような大会でありました。

 サタンはレバレンド・ムーンを攻撃することができなかったので、仕方なしに二番目の息子を打ったのです。何の話かわかりますか? そのため今回の事件があったのです。私はこの大会を終えずには帰ることができなかったため、お母さんは帰ると言ったのですが、「帰ってはならない」と言って引き留めました。そして、リトル・エンジェルス学校での最後の大会が終わるや否や、空港へ向かったのです。

 「七十二使徒国家が完全にひとつになる」

 それで、その間何をしたかというと、世界の碩{せき}学{がく}たち、民主世界を代表した七十二カ国の教授たちを呼んだのです。シカゴの科学者大会が終わって、まだ自分たちの家に到着もしていないのに、その内容を説明もしないで、「韓国に行きなさい」と方向を変えたのです。教授にとってクリスマス、年末のその時期は一年間で時間をとるのが一番難しい時です。それらを完全にさておいて神の命令に順応したということは、これは歴史的な事実です。サタンが讒訴することのできない事実です。それは何を意味するかといえば、先生を中心として世界の碩学者たち、知性人たち、その国が、完全にひとつとなったということであります。

 民主世界圏は、統一教会の国家基盤の拡張と共に、世界に民主世界の運勢圏ができて、韓国で完全に接ぎ木されたのです。七十二使徒国家が完全にひとつとなったのであります。だから結局は解放以後に韓国が新しく独立国として出発したように、新しく出発することのできる国家基準が立ったのです。キリスト教文化圏と自由世界のすべての運勢圏を合わせて、七十二カ国の人たちが先生を証すのであって、自分たちの自慢はひとつもなかったのです。そして十二月十八日付で、この学者たちが宣誓決意文を出したのです。宣誓決意文を中心として全部がひとつとなって、主にあって「世界をひとつにしよう」と私たちの誓いの五番を決意し宣誓したのであります。

興進様の死はすべてをひとつにした

 では、世界がひとつになったでしょうか? なってないでしょうか? (「なりました」)。失われたキリスト教文化圏が、統一教会によって実現されたでしょうか? どうでしょうか? (「実現されました」)四十年前に失ったものを完全に復帰しなければなりません。それが、このような基準においてなされたために、今年の標語を「祖国創建」としたのであります。

 あなたたちは、今まで話を聞いてそれが蕩減復帰を中心として四十年前を蕩減したことに間違いないと思いますか? 間違っているでしょうか? (「間違いありません」)
 今や、この民主世界も、キリスト教世界も、共産世界も、すべてが大転換期に入って来たのです。サタンが反対し、政府が反対し、既成教会が反対し、キリスト教が不信し、統一教会が不信し、幹部が不信し、すべてが不信したのを、どこにいって痛哭するのでしょうか。先生が生命をかけてやる以外にありませんでした。先生が亡くなれば大変なことです。しかし、先生だけは信仰をもって出て行き、勝利しました。

 統一教会の息子、先生の二番目の息子は世界的であります。先生の家庭において生きておられるイエス様と同じ立場なのです。だから、二番目の興進を打ったのです。この興進が亡くなることによって、どうなったかといえば、父と母をひとつにし、父母と統一教会の幹部たちをひとつにし、兄弟たちをひとつにし、統一教会をひとつにし、キリスト教をひとつにし、西欧社会をひとつにすることの条件となったのです。

 病院にいる時、カトリック教会の神父も来て慰めてくれたし、すべての宗教、教授たちが皆この期間を中心として、哀悼の涙を流し、すべてがひとつになったのです。今、「神様会議」に参加している哲学者、神学者らもすべて興進を哀悼したのです。しかし、その犠牲が必要であっただろうか? どうだろうか? 仕方がなく祭物としてこのようなことが起きたのです。
 すべてのものがサタンの讒訴によって分裂してしまうしかなかったのが、祭物を中心として再びひとつの方向に、涙と共に連結されたという、このような事実があることを知らなければなりません。だから、先生はできる限り涙を流さなかったのです。私は涙を流さなかったのです。
 今この時は興進がこの地上に来て、歴史的な深刻な峠を越える時間なのであります。

偉大なる勝利

 一九八三年、私たちは信じられないほどの犠牲により、歴史的な蕩減を支払いました。そして、一九八四年は二年目ですが、これからは希望的な時代が訪れるのであります。一体となって越えることが、統一教会に希望をもたらすことになるのです。そのために、興進様の死は他のいかなる死よりも偉大なものであります。イエス様は、ユダヤ人の激しい迫害のために死んだが、興進様は、すべてをひとつにするために亡くなったからです。

 今年は、統一教会が創立から三十年になる年です。一九五四年から一九八四年、ちょうど三十年になります。これから二年八カ月ほど残っているこの間に、勝敗を決めなければなりません。

 先生は、あなたたちが知らない蕩減復帰の深刻な歴史を、あなたたちが知らないうちに耐え忍び、そして、曲折の峠を亡びないで生きている先生であることを、皆さんは知らなければなりません。私が、お母様の言う通りに、“行かないで下さい”ということばに従って、韓国に行かなかったらどうなったでしょうか? 興進様は生きたかも知れないが、世界は一切の希望を失っていたことでしょう。先生も死に、一般の統一教会の信者たちも、これから先、共産党にやられる危険性があったということを知らなければなりません。そのために、先生は自由世界を代表し、すべての家庭、国家を代表し、そして、死を覚悟して立ったのです。
 皆さんはこの話を聞いて、興進様が亡くなられたことが、このように価値があると思いますか? 価値がないと思いますか? (「あります」)では、価値がはっきりわかった者は手を上げてみなさい。

 あなたたちは、興進様の死の価値を確実に知らなければなりません。私たちの興進様は、亡くなる時まで完全な信仰を持って、偉大なる勝利を残していかれたのです。それゆえ彼が成せなかったことを私たちが成さなければなりません。あなたたちは、それを宣誓するのです。あなたたちは、一九八四年の神の日に、神と真の父母の前に決意したのですが、今、このことをはっきりと知り、そして、神の前にもう一度誓わなければなりません。(「アーメン、アーメン、アーメン」)

 このような歴史的意味を、あなたたちは、先生の話を聞いてはじめて知ったでしょう。もし、このことを知らなかったら、歴史的な謎として、いつまでも批評することができます。“先生の息子はなぜ死んだの?”とか、“神様のお仕事をしているのに、神様は保護しなかったではないか”とか、さまざまな曲折が世界に広まり、「神様は先生の家庭を保護しない」と決めつけ、統一教会の歴史において悲惨な記録として、人々はさまざまにいうのであります。だから、はっきりわからなければなりません。(「はい」)。それで、この話を聞いたあなたたちは幸いですよ。

神の国の総司令官として

 興進様は亡くなったが、霊界に行ったのです。イエス様はこの地上に来られて霊界に行かれたのですが、真の父母とか、真の家庭、そして氏族、民族、国家を得ることなしに行かれたのです。だから、イエス様は行かれてから再び地上に来なければならなかったのです。そして、行く時、彼に従っていた数多くの人々が縦的に血を流していかなければならなかったのであります。しかし、今回興進様が行かれるにおいては、世界的な基盤を連結させ、国家的な基盤を連結させ、真の父母を中心として、地上に確かな基盤を整えて行かれたので、霊界に行かれても自由に地上に来ることができるのです。わかりますか? 霊界と地上界を自由に行き来することができるのです。イエス様は行かれてからすぐには来られなかったのです。興進様は、歴史以来の若い二世の霊たちを皆引き連れて全世界の至る所におりてくることができるのであります。

 カナン復帰は二世たちがやったでしょう。それゆえ興進様や二世の霊たちもカナン復帰をするのであります。二世の霊たちを引き連れてくるので、一世の霊たちも自然についてくるようになるのです。民主世界の若者たち、ティーン・エイジャーたちは皆サタンによって犯されています。フリーセックスとか、ドラッグで病身になっているのです。しかし、この霊たちが協助することにより、統一教会に入る刷新運動が本格的に始まるのです。

 それで、興進様はカナン復帰の先頭に立ったヨシュアとカレブのような使命を成すのであります。サタンは奪っていって自分は勝利したと言うが、神様はこのような復活の役事でもって、興進様を神の国の総司令官とされるのであります。天使長がアダムとエバと完全に一体となっていればサタンの侵入を受けなかったように、統一教会の皆さんの実体が霊界とひとつになり、興進様と完全にひとつとなれば、ちょうど天使長がアダムとひとつになったのと同じ結果になるのです。そうなると霊界が協助するようになります。今や全霊界が開いて新しい道が開かれたのです。

 皆様も世界中の統一教会のメンバーも懇切に祈り、どうか興進様を“生かしてほしい”と願ったのでありますが、興進様が生きるかわりに統一教会はどうなり、世界はどうなり、先生はどうなるか、はっきり意味を知らなければなりません。私たちは、興進様の霊の中に生まれ変わらなければなりません。何の話かわかりますか? (「はい」)一人がそのようにして霊界に行くことによって、何千万の人たちが復活することができるので、興進様は、霊界において栄光の立場に立たざるを得ないのであります。

 今日出発する前に、私たちはそのような心を持たなければなりません。米国から次は、韓国に連結されなければなりません。西欧社会の心も完全に興進様が持っていかれて、韓国と連結させるのです。縦的に横的に一つに調和させるのであります。今までの歴史時代にない神の国へと道が開かれたのであります。それだから泣いてはいけません。喜びの心で未来の希望の日を待って下さい。「私たちが実践して、あなた様が生きておられる以上の何百倍も解放の日の到来を短縮いたします」。このような心のみが、興進様を見送る者としての心持ちでなければなりません。

 だから、これは歴史的な転換式であるということをあなたたちは実感できますか? (「はい」)。
 今年の神の日にこういうようにして、憂{ゆう}鬱{うつ}な悲しい顔をして大変だと言っていた人々が先生のお話をわずか一時間ほど聞いたら、みんな復活したのです。あなたたち、復活しました? どうですか? (「復活しました」)\D006「ああ事実を知ってみると、そうだったのか」ということがわかるでしょう。では、アメリカもこれからIOWCをつくって世界をまわってみましょう。アーメンですか? (「はい」)「アーメン」というのは、腹の底からですか? (「はい」)これからは死んでも死にがいがあるでしょう。(「はい」)何も惜しいことがないのです。先生のお話が事実であるならば死んでも惜しいことはありません。

 先生は首を差し出してから長いのです。(先生の)個人時代においても世界的に殺そうとしたり、家庭時代においても世界的に殺そうとしたり、種族時代においても殺そうとし、民族時代においても殺そうとし、世界時代においても殺そうとしたのであります。今我々は自由世界においてナショナルレベルからワールドレベルへ上がっていくのです。アメリカに対して私たちが主体であります。ローマに対してイスラエルの主体がイエスでした。そうですか? どうですか?(「そうです」) 私たちは、「ひとつの言語と、ひとつの文化と…」という私たちの誓いの第五番目の宣誓が絶対必要であることを知らなければなりません。アーメン。(拍手)

愛勝日の宣布

 今日は歴史的な日であります。皆さんは「天勝日」を知っているでしょう。八年目に愛の道に立つのです。一九七六年十月四日に「天勝日」、それから八年目で「愛勝日」が定められたのです。今まで“神様の勝利した日”はもっていましたが、“神の愛を中心として勝利した日”はもっていませんでした。愛勝日をもってはじめて間接主管圏内に入っていくことができるのです。わかりますか?(「はい」) 間接主管圏を越えて神の直接主管圏内においてはすべての主管は愛の基盤の上になされるのです。
 今までは何かといえば、サタンの死亡圏が愛の領域を支配してきたし、愛の領域を\D07E蹂躙{じゆうりん}してきたのであります。(黒板に書かれる) そのために、愛をかけて、皆地獄に行くのです。フリー・セックスなどは(黒板を指しながら)ここに引っかかるのです。

 しかし、この日から、愛が死亡圏を主管するのです。世界の人々は天国へと入っていきます。どれほど大きな転換式なのかわかりますか? 歴史時代に一度しかない転換式なのです。皆さんがこの時間に参席して、このお話を聞くということは驚くべき事実であります。

 興進様は天の人として死亡圏を勝利したという条件を立てなければなりませんでした。
 父母様が一番悲しい立場、一番悲しむ立場であるのに、体をまともにしていられないほどの立場であるのに、条件を立ててその死を越えることにより神の愛、本性の愛というより強い力に到達することによってこの世が逆転するのです。父と母が生命圏を中心として死亡圏を突破しても残るという、そのような条件を立てるのであります。

 サタン世界の数多くの愛をも顧みないで神の愛にひたることのできるそのような式がなければなりません。これが今朝午前四時、先生とお母様が特別に行った儀式なのです。わかりましたか? それで一九八四年一月三日を「愛勝日」として決めたのです。

 興進様も今や愛の圏内で死んだ息子として送るのであります。わかりますか? 昔、イスラエルの人々は、みな麻で死体をくるみ、イエス様の死体もそうしたでしょう。それを越えるのです。サタンが死亡圏から生きたものとして認めざるを得ない条件をもった愛の圏内の死体として、解放された霊として送るのであります。

 イエス様も死体をめぐって争いがあったでしょう。興進様の場合はそういうことはありません。完全に神の圏内にいるのです。死を征服した人となるのです。わかりますか? だから、イエス・キリストが願っていた以上の、霊界と肉界に対する充分な負債が払われたと感ずるときがきたので、すべての世界史的蕩減路程が終わったことを決めて、「愛勝日」を宣布することができるという驚くべき事実を知らなければなりません。だから、この日を思う時は、興進様の精神を忘れてはなりません。わかりました? では次のことを指示します。

「祖国創建」の方案

祖国創建は次のような思想をもってやらなければなりません。

第一に、家庭における孝子の思想。(家庭的段階)

① 父母との一体化 孝子の思想は何であるかといえば、父母とひとつになるための思想です。誰を中心としてひとつになるか? それは父母を中心としてひとつになるのです。② 父母と子女の一体化 これが孝子思想です。
③ 兄弟との一体化
④ 全家族の一体化 全家族といえば、義理の親族や従兄弟も含みます。
⑤ 愛と責任的中心者 見せてあげるのです。愛と責任はこのようにしなければならないし、父母を愛する愛はこのようにし、父母を敬うことはこうすることであると見せてあげるのです。

⑥ 歴史的最高の実行者 これから私たちが祖国創建するのにいかなる思いをもってやるかといえば、今まで歴史時代の数多くの人々が国を独立させるためになくなっております。父母のために犠牲となり、家庭のために犠牲となった人々、歴史時代におけるそれらの人々以下であってはなりません。それ以上に上がって行かなければなりません。わかりますか? だから、父母に対しては異義がありません。このようにして孝子という名をもつことによって、忠臣の立場に行くことができるのです。孝子の名をもたずしては忠臣の立場にいくことができません。人は孝子という過程をパスしなくては神の国へ行く資格がないのです。アメリカはそうでないでしょう。この世では、父母に不孝しても、愛国者として生命をかければ愛国者になりますが、神の国はそうなっていないのです。家庭で孝道をしなかったらそのような国家的基準を満たすことはできません。それが、この世とは異なる点です。今や私たちは国を創建しなければなりません。神の国を創建するために、このような過程を経なければなりません。そのために今これらのことを話したのであります。

第二に忠臣の思想(国家的段階)


① 国の父母と一体化 国の主権者は国の父母であります。わかりますか? その国の王はその国の何ですか? 国の父母です。今{こん}日{にち}の民主世界の国の父母は四年ごとに変わりますが、それはいいことですか? それで神の国となれますか? (笑い)どうですか? 本来は、神様を中心としてひとつとなった真の父母が家庭を成し、大きくなって国の主人となり、世界の主人となり、天と地の主人とならなければならないのです。そのようにみれば父母はただひと方なのに、孝子とならずして神の国に行くことができますか? 国を経ずしては世界に行くことができますか? 世界的になれないのに神の国に行くことができますか? それは確かでしょう? これは、この世ではそうなっていないけれど、神の国においてはそうなっているのです。「祖国創建」という言葉はそのような国を中心として使うのであります。これは原理に合いますか? (「合います」)それで、忠臣思想が一致されたなら、国の父母との一体化がなされます。

② 国の父母と子女の一体化
③ 国の兄弟との一体化
④ 全家庭の一体化(ここでの家庭は国の家家をいいます。)
⑤ 愛国思想の確立化
⑥ 歴史的最高の実践者 だから、中心がひとつに合っていれば、⑤、⑥番は同じなのです。

第三に聖人の思想。(世界的段階)

① 世界のために一身奉献 国のために自分個人を完全に捧げること
② 世界のために一家奉献 父がやっていたことを自分がやる。それを今、私たちがしようとしています。聖なる子女たちがやるのです。これまでの聖人は神様の家庭をもてなかったのです。それで、統一教会は家庭全体が出動して伝道するのです。先生はあなたたちを聖人以上にしようとするからです。そうしなくてはおかしくなります。最後の立場はホーリー・サン(聖子)であります。

③ 世界のために一国奉献 大統領になっても一国を一度に捧げなければなりません。自己の国、自己の民族を犠牲にしても、世界を救い、神様を救わなければなりません。家庭の主人、父は家庭を国のために捧げなければなりません。そうしなくては、国を相続することができません。その家庭が受けることができません。わかりますか? 霊界の組織がそうなっています。すべてがその思想で連結されており、それ以外は、行くことも通ずることもできません。

④ 宇宙、天宙のために世界全体の奉献 宇宙献祭。再臨主が来られたとしても、再臨主が「私に世界を出しなさい」とは言えません。地獄の解放と霊界の解放のために世界を捧げることができなければなりません。
⑤ 神のために全天宙の奉献 天と地を神のために、神様の愛のために捧げることです。それで、再臨主自体が天宙を捧げると一人になってしまうのではありません。再臨主がこられて、天宙までも奉献したとしても、再臨主一人だけが残るのではありません。再臨主自らも、神様の愛のために、自身までも祭物として捧げなければなりません。“愛の生けにえ”となるのです。私の愛までもそうするから神様の愛が返ってくるのです。
⑥ 愛の献祭

第四に聖子の思想

 地上と霊界とに通ずることのできる人とならなければ聖子になれません。聖子というのは神様の愛をもって愛そうとするのであって、愛を受けようとはしないのです。天と地に通ずることのできる愛を捧げることができて、聖子になれるのです。その後は何も必要ありません。ひとつとなったときには、奉献等必要はありません。完全に和合するのであります。

①神に対して一身奉献 (神様の愛のために)
② 神の愛に対して一家庭奉献 再臨主も何もないのです。再臨主自体が、聖子自体が自分の家庭も惜しくないのです。その国があればその国は勿論、その世界も勿論、自分が主管するという観念(見方)がないのです。そして、その天宙も、その次は愛の化身となるのです。自分が神様の愛に対して、愛を中心として神様が喜ばれるといつでも犠牲となれるし、何千年も何万年も犠牲になることができます。一度だけではなく何度でも続けて犠牲になれるのです。愛の祭物として、化身となっているのです。何千年、何万年祭物、愛の化身祭物となっているのです。

 神の愛の細胞が一つの体に四〇〇億兆あるとしたら、四〇〇億兆の愛の主体の前に、私は四〇〇億兆の犠牲的対象となっている。何の話かわかりますか? 愛の化身祭物。そうなれば、あの世に行って私たちは有形無形の体、神様のようになれるのです。そのような国に行けばいいでしょう。自分を考える国ではないのです。自分を愛するということは絶対ありません。そこには関係がありません。わかりますか? そのような思想をもって、そのような国をつくろう。そのような国をつくるために私たちは働くのです。今年初めて、そのホーム・ランド(神の祖国)を創建しに行くのです。それを知らなければなりません。

 あなたたちは孝子になりたいですか?(「はい」)何のために? 何故? 愛国者になるために。何故、愛国者になりたいのですか? 聖人になるために。何故、聖人になりたいですか? 聖子になるために。何故、なりたいですか? 神と兄弟となるために。それ以上はありません。それは何か? 愛の化身です。

 形がなくとも、すべてが神様と通ずることができるようにならなければなりません。自分が神様になるのです。そのようになると、皆さんにできないことがないのです。一〇万、一〇〇万、一億の人たちも一瞬にしてバンケット(饗宴)をすることができるのです。皆さんがそのような能力で大会をするとき、神様の弟となったと思い、それはどれほど栄光なことでしょうか。
 神様は縦の枝であり、私たちは横の枝であります。それが兄弟なのであります。木で言うなら、神様が縦の幹で、私たちは横の枝です。(黒板を使いながら説明) 何の話かわかりますか。花がここで咲くでしょう。神様も花が咲きますから、神様は枝が必要です。花の香りがみな愛であります。愛は枝に咲くのであって、芽には咲きません。だから神様は私たちが必要であり、私たちは神様に侍ることができるのです。

 あなたたち、何故宗教を信じますか? 神様になるために宗教を信ずることを知らなければなりません。家庭において神様になれるその修練場が孝子の道であり、国の次元での修練場が愛国者たちの道であり、世界の次元で神様になるための修練場が聖人の道であり、天と地における神の修練場がホーリー・サン(聖子)の道であります。だから、神様が主体となっておりてこられて愛して下さるのです。わかりますか? 同じ現象です。そのような国をどう思いますか。そういう国、そういう世界に行きたいですか? (「はい」)

 ですから、口を勝手に開いてはいけません。自分のために開いてはなりません。見るのも自分のためではなく、人のために見るようになっています。口が自分のためにできたのですか? 自分のためでなく、他のためです。目が自分のためにできたのですか? 他のためにできたのです。自分のものではありません。だから、自己中心と個人主義の観点から、自分自身を実現しようとするすべての考え方は神の主義に反します。

 自分が生まれて孝子の道、忠臣の道、聖人の道、聖子の道を行くのは何かというと、愛の道を残しておくためです。だから、愛国者が別にいるのではなく、自分が愛国者になり、聖人が別にいるのではなく、自分が聖人となるのであり、その次にホーリー・サンがいるとしたら、それは自分がなり、神様が別にいるのではなく、自分が神様になるのです。

 愛は父母の愛から、私たち人間は父母の愛から生まれてくるでしょう。それが家庭において、また父母の愛を中心として、国の愛を中心として大きくなっていくだけです。(黒板を使いながら)すべてこの愛の部分(黒板を示しながら)は同じなのです。
 生まれるとき、あなたたちは父と母の愛の中から生まれたでしょう。そのために、国を愛さなければならないし、その地方の木々のひとつひとつを愛さなければなりません。それはすべて国の父母の相対であります。わかりますか? (「はい」)このような愛の思想をもっていかなければ、祖国創建はできないのです。祖国創建とは関係がなくなります。


以上。
ありがとうございました。


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今までの日本のカインアベル観が間違っているところ





統一教会家庭連合時代から長らく、カインアベルが間違った形で伝わってきています。アベルは神が選ばれたものであり、カインはアベルに屈伏して従っていくべきである、という観念がいつの間にか浸透しています。


実体基台の造成で「カインはアベルに侍るべき」、という思想は神様の原理ではありません。アベルがカインに対して投入につぐ投入を行いその結果、自然屈伏により一つになることができ、神様が主管することのできる実体基台がはじめて完成することができるというのが原理です。


氏族復帰において言えば、氏族的メシヤがアベルだから、カインである氏族は侍るべきであるなどと考えて行動すれば、反発され、攻撃されることになります。決して復帰することはできません。


真のお父様は日本のカインアベルに対して、何度もその間違いを指摘されています。正しいカインアベルの原則を知ってこそ、天一国創建の歩みを積み上げていくことができると考えます。



カインアベルに関する真のお父様のみことば


 まあ、アベルとカインとして、アベルにカインは絶対服従、カインのいないところにアベルがあるの、同等な位置だよ。アベルはやることであり、カインはもらってそれを返す立場である。だからまことにやるんだからまことに返してくる。サタン屈服させる方法なんだよ。神は自分をやって損をして、サタンの悪の基準を消耗する蕩減条件を導入して、誰が導入するか、アベルが導入する。

いままでの日本の考えでまちがっているところがある。カインはアベルに屈服する?そうじゃないよ。やって蕩減させてやる。蕩減させてやることによって善なる結果が帰ってくるんだよ。蕩減させないところには、善なる結果は帰って来ないよ。善なる基準というのは悪なる基準にとどまらない。悪なる基準を善に返すのは、それ相当の善が蕩減される基準に犠牲にならなければ、悪なる世界において善なる基準は絶対に生まれてきません。だからアベルというものは、カインに善を授けてやらなければならない。蕩減の条件を授けてやらなければならない。

 今まで日本の責任者たちの観念は反対である。絶対服従すればよい。それは通じませんよ。カインがアベルの方に絶対服従するという原則が成り立つか、サタンだよ。カインが絶対服屈するか、絶対反発だよ。そういう指導方針はまるっきり間違っている。

神の世界とサタンの世界はカイン・アベルにかかわらず、アベルにカインは服従という立場は、そういう原則は反発原則であって、服従はありません。だからそれを服従させるには自分の投入結果が三倍あったらひとつ返ってくる。それは原理原則なんですよ。なぜかといえば蘇生、長成はサタンが持っている。完成基準が神の基準として復帰の基台となっている。だから三倍投入して一つが帰ってくるのが復帰路程の原則である。

 だから原理的指導方法をいつも考えなければならない。カイン・アベルのことばの方法を間違えた結果はとんでもない結果になる。原則的方法を適用することによって、原則的発展をなすのが原理であって基準を立てずしては原理的結果は生まれてこないのが自然だよ。問題はそこなんだよ。だから食口たちは必要だ。絶対必要だ。朝御飯より必要なのが食口だよ。
  1974年2月7日祈祷と環境的刺激


・・・・・・


 統一教会の欠点は何かと言うと、地区長になると天的完成基準に立ったと思い、侍ることと敬意を表わすことを要求します。しかしそれは大間違いです。今、日本も韓国もそういう風潮になっています。

侍られるより、侍ってやる、為になるのが父母の立場です。兄弟の立場からみればアベルですが、父母の立場からみれば父子関係です。それを自分はアベルだから、カインは侍るべきだと思うのは大間違いです。そのために発展する多くの人々を殺してきたのです。何のためのアベルかというと、父母の立場を復帰するためのアベルです。

ですからアベルは父母の心情を先に持たないと、アベルになれません。それが原則です。兄弟同士のアベルと思い、親としての立場を忘れてしまっている者が多いのです。その欠陥を早く一掃しなければなりません。改めなければなりません。
1970年10月21日777双祝福のとき


・・・・・・

 先祖の道は後孫にとって恐ろしい道です。すべてアベルのせいです。日本の責任者たち、イエス様の先頭に立った兄さんの使命を行っていますか。アベル圏だから兄さんでしょう。上の幹部たちが下の弟たちを犠牲にするのですか。それは反対です。あなたたち考えてみなさい。今まで勝手なことをやって来ました。日本から、エバ国からこれを訂正しなければなりません。そうしないと将来大変なことになります。


 日本で統一教会から離れた者が、サタンの戦略で入って来て、サタンも統一教会に入れさせて、引っ張って反対の基準を作るのです。これは怨讐の怨讐です。そうなれば、一家族、一族全体まで、後孫まで引っ掛かります。恐ろしいことです。売国者の後孫は、国、歴史が批判するのです。自分の先祖が引っ掛かり、自分の後孫が引っ掛かります。霊界に行ってみなさい。
  1993年6月4日救援摂理史の主流責任




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家庭連合への名称変更と祝福家庭の使命




真のお父様は1997年4月8日、世界統一基督教統一神霊協会から世界平和統一家庭連合への名称変更を指示されました。八定式の宣布によって、縦横の八段階の蕩減路程を勝利されたメシヤは天宙的な父母の立場から氏族メシヤの勝利圏を祝福家庭に伝授されて、家庭連合時代を宣布されました。


昨年の4月、その世界平和統一家庭連合の名称を変更した韓氏オモニの狙いは、真のお父様の勝利圏を破壊するとともに完全に氏族的メシヤの道をも塞ぐかたちとなり、天一国創建のプロセスを破壊しました。


氏族的メシヤの勝利のために世界平和統一家庭連合に変更された真のお父様の心情圏を理解することが重要であり、その摂理的な意義を理解することが天一国創建の根本であることを痛感します。



世界平和統一家庭連合時代の開幕宣布1997年4月8日のみことば
(抜粋)

昨日は第三十八回の「真の父母の日」でしたが、三数と八数はアダム時代、イエス時代、再臨時代の三段階の時代を代表した八数に該当する数です。これからの三年路程、三年分別期間……。いつも大転換の時期には三年路程が必要なのですが、この分別期間を中心として歴史的な新しい方向、新しい目的地に向かって出発する時代が訪れるということを、皆さんは知らなければなりません。

 皆さんも知っているように、私たちの組織は今、二重組織になっています。これからは「世界平和統一家庭連合」が中心となって先頭に立っていきます。今までは統一教会が先頭に立っていましたが、これからは家庭連合が先頭に立って、統一教会は徐々になくなっていくのです。統一教会の「世界基督教統一」という言葉がなくなるのです。

 キリスト教は責任を果たせませんでした。ゆえに、その次元を超え、キリスト教の祝福が万民の前にすべて委譲される時代に入ったということを、皆さんは知らなければなりません。世界基督教統一神霊協会ですが、神霊というのも結局、真の父母を中心として地上に家庭的メシヤの基準が定着する時には終わるのです。神霊の実体をこの地上に迎えて生きるべき人たちが、真の父母の継承者たちなので、その真の父母は、霊的完成と地上完成を代表した家庭の出発から、国家出発、世界出発、天宙出発を代身し得る、一つの模型的な基台になるということを皆さんは知らなければなりません。

 したがって、今後残る名前は何でしょうか? 世界基督教統一神霊協会の時代は過ぎ去りました。それは闘わなければならないのです。キリスト教を統一しなければならないのです。統一するためには闘いを経なければなりません。平和の基準がありませんでした。闘争的概念を中心として、サタン世界に引継・委譲していく過程にあるため、平和という概念もなく統一という概念もないのです。キリスト教を統一する時代は既に過ぎ去ったのです。

 長子権復帰、父母権復帰を完成したので、イエス様がイスラエル圏に着地し、ローマ帝国という世界舞台に移っていけるはずだったその基盤を、統一教会において長子権復帰、父母権復帰、王権復帰時代に移行していくことによって、すべてを回復したのです。ですから、キリスト教の統一だけではありません。世界統一時代に移行したのです。

 ですから、今日この第三十八回の「真の父母の日」を中心として、統一教会という名称はなくなり、世界平和統一家庭連合とするのです。四月十日からこの名称を使うのです。

 堕落によって植え付けられたために、終わりの日には堕落のその実が、普遍的に世界人類の家庭で結ばれるのです。実が結ばれるにあたって、サタンもどうすることもできません。取り返しがつかないのです。神様もどうすることもできません。ですから主人がいません、主人がいないのです。

 今、統一教会が教えているのは復帰路程における血統復帰、その次は何ですか? 二つ目は所有権の復帰です。神様は主人になれませんでした。血統を中心として人間を失いました。その次に物を失いました。その次に何ですか? 心情圏の復帰です。一族が生きることのできる環境と、人と、天の伝統をすべて失ったのです。

 心情圏というのは七代先祖、一族のことを言います。氏族的メシヤの使命を果たすことによって、その一族というのは自分の所有圏、自分の血族ではありません。神様に帰らなければなりません。神様の血族となって所有権をもたなければなりません。この地は自分の地でも、一族の地でもありません。この宇宙の地なのです。宇宙の主人となり、宇宙の先祖となるためのものなのです。

 ですから、自分の一族に対する血統問題、一族に対する所有権問題、一族に対する心情圏が問題ではありません。神様を中心として宇宙の心情圏へと拡大しなければならないのです。そのような大転換を標準として統一教会は進んでいるのです。心情圏復帰とは何かというと、氏族的メシヤ圏の確立です。そこでは血統転換、所有権の転換がなされなければなりません。人を失い、万物を失いました。ですから、人と万物を取り戻さなければなりません。人と万物を取り戻して一つに結び、「この地上の私たちが生きた地が、神様の所有圏となり、神様が活動できる生活の基台となり、神様の心情的な対象圏となりましたから、神様の前にお捧げします。天のものと致します」と言わなければならないのです。

 氏族さえ編成すれば、民族が自動的に編成され、国が自動的に編成されるのです。七代になれば何家庭になりますか? ヤコブのときは一族です。系列的な出発です。その次にモーセ時代は民族時代であり、イエス時代は国家時代です。国家を編成しなければならないのです。すべての家庭の目的は国を探し求めることです。そうではないですか? 家庭があれば自然に国が形成されるでしょう?

 個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代、天宙時代、神様時代、この八段階を越えていかなければならないのです。この縦的な歴史を横的にすべて展開し、サタンのすべての蕩減条件、サタンが残した壁や穴をすべて埋めなければなりません。そうして水平にしなければなりません。




祝福家庭天宙化時代(天宙平和統一家庭連合) 1997年5月4日のみことば
(抜粋)

 「天宙」という言葉について私たちは知っていますが、一般人は知らないのです。一般的には世界というのです。天宙とは、霊界とこの地上世界を指します。地上天国・天上天国を意味するのです。そこで「祝福家庭天宙化時代」なのです。一般人は知りません。私たちだけが知っているのです。統一教会、世界平和統一家庭連合は「天宙平和統一家庭連合」という概念をもたなければならないのです。


 「祝福家庭天宙化時代」なので、今からでも正さなければなりません。今までは好き勝手に生きてきました。真の父とは何ですか? 真の父は全細胞の真なる王です。すべての細胞の中で、真の王となる細胞です。では、真の母とは何ですか? 真の父はプラスであり、真の母はマイナスです。その方向が同じでなければなりませんか、ジグザグに食い違わなければなりませんか? 同じでなければなりません。これを絵に描けば、このようになりますが、真の父はプラスです。センターをこのように描けば、上は神様を中心としてプラス・マイナスであり、下は真の父母を中心としてプラス・マイナスになります。それが垂直を中心とした運動、円形を中心とした運動をするのです。

 そうなれば、この場は数多くの個人代表、家庭代表、国家代表、世界代表、全天宙の前に、すべての細胞が一つになった場です。

 それゆえ、堕落した世界において、一つの細胞で勝利し、個人的に勝利し、家庭的に勝利し、氏族・民族・世界・天地の前にも勝利して、神様と完全に一つになったその場でなければ、真の父母が出てこないのです。ですから、祝福家庭が完成してこそ、すべて定着するのです。真の父母の家庭が出発してこそ、すべて成就するのです。

 完成は天宙的な完成です。世界的な完成なのです。それは家庭連合を中心として、家庭を中心としてです。家庭連合も、家庭を中心として完成するのです。誰の家庭ですか? 私の家庭です。皆さんの家庭は一つの細胞と同じです。細胞が完全でなければならないのです。すべてが完全でなければならないのであって、そうでなければ故障するのです。祝福家庭も一つの細胞と同じです。家庭も一つの細胞と同じなのです。


 先生は中心の根であり、中心の幹であり、中心の芽です。先生は一つの方向に育ったまっすぐな幹です。皆さんは四方に育った枝です。皆さんはどれほど大きな幹になりますか? 皆さんは大きな幹になりますか、小さな幹になりますか? 皆さんには氏族的メシヤの使命があることを知らなければなりません。アメリカは小さな幹ですか、大きな幹ですか? アメリカと中国ではどちらが大きいですか? 中国はアメリカより人口が何倍多いですか? 三倍、四倍にもなります。ソ連も皆さんよりも大きいのです。芽が出て、どれほど大きくなるかによって、幹に枝が生じたり、幹が生じたりするのです。これをぷっつり切って植えれば、違う木になるのです。

 それで家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、宇宙的メシヤ圏へと、解放世界の神様を占領するために出動するのです。神様の愛に抱かれるのです。アーメン!

 祝福家庭は確かにメシヤに違いありませんが、メシヤとは真の父母圏を意味するのです。祝福家庭は、真の父母とメシヤを同時に所有したのです。旧約の未来の願いはメシヤです。新約も同じです。成約時代も真の父母、メシヤを願ってきました。旧約時代には、メシヤがこの地上に来ることを待ち望んでいました。二番目の新約時代にはイエス様がメシヤとして来られましたが、家庭をもてませんでした。すべてを失ってしまいました。地上に定着できなかったのです。イエス様は、そのように来られて逝きました。三番目の成約時代には、メシヤが再臨主として来られました。そうして、家庭から出発した世界的な勝利基盤を、縦横に拡張したのです。いかなる障害物もない世界です。

 今や真の父母を知りました。真の父母は何かと言うと、天地を代表した勝利的な立場に立った三次理想的なメシヤであると共に、真の父母であることを知らなければなりません。旧約時代の真の父母、新約時代の真の父母は失敗しました。しかし、成約時代の真の父母という名前は世界化されたのです。それで祝福したのです。これは天宙史的な解放のためです。これは横的世界、縦的世界においても反対がありません。歓迎です。歓迎あるのみです。被造万物がみな解放されます。万歳!(「万歳!」)。祝福するようになれば世界化、天宙化時代になるのです。

 十一月二十九日の三百六十万双は天地が接する時です。縦的世界と横的世界が接する時です。ですから、アダム家庭において堕落せず、全人類が堕落せず、横的なすべての世界が待ち望むべきであった祝福の日が、この時なのです。エデンの園においてアダムとエバが、家庭完成を成就するのです。引っ張って強制的に結婚させてもサタンが反対しません。強制的に祝福を受けながらも、受けた後には永遠に真の父母に感謝することでしょう。宇宙の価値を相続する代表的家庭として立てるのです。

 さきほど、女性の生命や男性の生命を引っ張れば、すべて引っ張られてくると言いましたが、皆さんが祝福家庭になることによって、皆さんの先祖も子孫も解放されるという、統一的な解放時代が到来するのです。

 アダムとエバが堕落し、イエス様が失敗はしましたが、再臨して完成することによって、家庭を築き、成約時代を迎えたように、皆さんの先祖が誤まりはしましたが、皆さんが再臨した家庭のように、再臨主に属した家庭のようになっているので、皆さんの先祖も解放されるという統一圏時代が到来したのです。祝福以降に天上世界がすべて解放されるのです。地上祝福時代から霊界祝福時代に拡張するのです。

 今まで霊界に行った人たちは天使長の立場だったので、相対と別れ別れになりました。天国というのは、本来アダムとエバが堕落しなければ、夫婦で完成して入っていくところです。天国家庭から、天国氏族、民族・国家・世界・天宙と拡張しなければならないのが原理であるため、神様に侍って生きたことのない家庭は、天国に入っていけないのです。それゆえ、天国に入っていける家庭が今までありませんでした。しかし、真の父母が来られて、そのような家庭を編成することによって、空っぽだった天国を人類の子孫で一挙に埋められるようになったのです。

 再臨主がアダム時代とイエス様時代の家庭を復帰したように、地上世界の皆さん、祝福家庭が、霊界の家庭を復帰し、天国を一挙に埋めつくせるような時となったのです。これまでの宗教は、個人の救いを目標にしてきました。天使長の子孫なので、個人の救いを目標にしてきたのです。それから抜け出れば、家庭の救い、氏族の救い、民族の救いをなすのです。一国が祝福さえ受ければ、天国に属すことができるという大変革時代に入るのです。

 統一教会の祝福された者たちが、氏族的メシヤになれば……、氏族的メシヤさえ連結されれば、世界のどこであろうと一挙にすべてを合わせられるのです。氏族的メシヤの責任さえ果たせば、この世界は完全に、霊界と地上の解放が成されるのです。それゆえに世界基督教統一神霊協会、統一教会は看板を下ろして、「世界平和統一家庭連合」に改称するのです。これまで統一教会は、キリスト教会が必要でした。キリスト教には旧約と新約が含まれます。それを離れては成約時代が到来しません。これまで、なぜレバレンド・ムーンがキリスト教を離れることができなかったのでしょうか? そこに旧約と新約があるからです。旧約と新約がなければ成約を定着させることができないので、彼らと共に歩まずにはいられなかったのです。

 今やすべてが終わりました。祝福が全世界的に展開されたのです。キリスト教時代は終わりました。すべて追い出されました。キリスト教徒の誰であれ、レバレンド・ムーンを迫害することはできません。家庭連合はキリスト教徒とは違います。国家統一圏、強力な指導者と内閣構成員……、違うのです。世界平和統一家庭連合なのです。

 誰も私たちに敵対できません。自由なのです。キリスト教もレバレンド・ムーンに従わなければなりません。ローマ・カトリックやプロテスタントもそうです。古代の人々も皆、私の後ろに立たなければなりません。前にも横にもどこにも障害物がありません。高速道路ができあがったのです。いつ、どこでも、誰でも解放させることができます。個人はもちろんです。家庭の救い、氏族の救い、国家であれ、世界であれ、一斉に全指導者や王、大統領たちが一つになり、「レバレンド・ムーンから祝福を受けよう!」となりさえすれば、同日同時刻に、全世界が祝福を受けるようになります。どれほど驚くべき時が近づいていることでしょう! 先生が語った単なる概念ではありません。実際の出来事です。世の中が動くのを見てみなさい。堕落世界の家庭はすべて破壊されました。青年たちは堕落していきます。いかなる指導者、いかなる宗教者もこれを収拾できません。レバレンド・ムーンしかいません。真の父母であるレバレンド・ムーンだけができるのです。神様はアダム家庭が堕落するとき干渉できませんでした。神様はそのような家庭の群れをすべてご存じですが、干渉することができません。ただ一人、真の父母だけができるのです。真の父母が来られて役事を始めました。そのような能力がなければ、人類を永遠に救うことができないのです。堕落世界にいる人たちが一回でもこの原理を聞くならば、その場でたちまち解放されます。今やこれを全世界の指導者たちに実施しようと思っています。

 ですから「祝福家庭天宙化時代」です。皆さんの一族をすべて祝福家庭にしなければならないのです。160家庭から180家庭です。それでこそ入籍するのです。それを中心として国を救うことができるのです。そのような時が来たというのに、氏族的メシヤにならなければなりませんか、なってはいけませんか? 個人救援時代ではありません。家庭と氏族と国家と世界が一挙に転じ得る時となったのに、家庭的基準で座り込んでいたらどうなりますか?

 このような転換期は最も深刻な時です。神様から見ても、人間から見ても同じです。深刻です。どうしたら氏族的メシヤの責任を果たせるでしょうか? そのような実践と行動がなければ、いくら皆さんが有名な家庭であっても、国家基盤において完結することができません。

 皆さんが興隆しようと思えば、家庭組織を天宙段階まで引き上げなければなりません。他に方法はありません。サタンに打ち勝たなければなりません。私たちはサタンよりも、もっともっと熱心に取り組まなければなりません。時間がありません。抱える問題を解決する時間がないのです。遊ぶ時間、眠る時間、食べる時間がありません。堕落した世界は寝て休んでいます。私たちにとっては、発展して機構を拡張できる良い時です。

 時の価値は本当に貴重です。時間を浪費してはいけません。この聖業に対して自負心をもたなければなりません。
(二八五-一八四、九七年五月四日)


以上。

ありがとうございました。



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地上天国の生活を始める



地上天国の生活を始める


1.真の父母様を信じること
2.真の父母様を知ること
3.真の父母様と生活
4.真の父母様の家庭と愛一体となること
5.地上天国生活を始めること





真のお父様のみことば  1997年9月14日

一、真のご父母様を信じること

 歴史は、時代とともに後退するのではなく、発展します。歴史の目的とは、何でしょうか? 神様の創造理想と救援摂理、また、あらゆる宗教摂理や人類歴史も歴史の目的に含まれるのですが、その歴史の目的とは、一体何なのでしょうか? これが問題です。

 「神様のみ旨」というとき、それは歴史の目的、創造目的が完成することです。
 それでは、創造目的完成とは何でしょうか? 創造目的完成とは、み旨の完成であり、それは四位基台の完成のことです。そして、その四位基台の完成は、真の家庭を完成することです。
 真の家庭には、真の父母がいなければならないし、真の男性と真の女性がいなければならないし、真の子女がいなければなりません。これは理論的なことです。

 一番中心的なことが何であるのかといえば、個人の目的も真の父母であり、男性と女性の目的も真の父母であり、赤ん坊たちの目的や兄弟の目的も真の父母なのです。その真の父母は親になって、子供を持つようになります。
 それでは、統一教会とは何でしょうか? そこでは、「真の父母を信じよう」というのです。信じるものをはっきりさせるのです。はっきりすれば、信じる立場を越えることができるのです。今まで、はっきり知らなかったので“信じる”のではありません。そのはっきりと“知っている”ことと自分自身とを一体化させることのできる生活をしなければなりません。そのような生活を経由していかなければならないのです。このような論理が成立します。

 最初に、信仰とは何かというと、人間が、信じることのできない自分自身を発見し、それか相対を見いだし、それから子どもを見いだし、家庭を見いだすことです。結論は同じなのです。


二、真のご父母様を知ること

 二番目は、真の父母を知る、ということですが、皆さんは、真の父母の家庭については、信じるのではなく、真のご父母様を知り、真の父母様の家庭を知っているのです。信じているのではありません。
 ですから、“真のご父母様を信じている”と考えてはいけない、というのです。“知っている”と考えなければなりません。


三、真のご父母様と生活

 その次、三番目には、真の父母と生活しなければなりません。“知った”のですから、共に暮らさなければなりません。そうして、真の父母のように生きなければならないのです。
 それは天地が完成し、神様の理想が完成し、神様の愛が完成することであり、それらのものすべてが、その中に入っているというのです。ですから、真の父母とともに暮らさなければならないのです。

 さあ、真の父母が必要ですか? (「はい」)。なぜですか? 堕落したからです。神様に追い出されて、偽りの父母が生まれ出て今までの歴史になったために、これが帰っていかなければならないのです。救援摂理は帰っていくのです。復帰してどこに行くのかといえば、本来の真の父母の位置に帰っていかなければなりません。

 真の父母を知ることによって、神様を知り、この宇宙を知り、愛の世界を知り、それらすべてのものを知るというのです。サタン世界では、堕落することによって、そのことを知りませんでした。
 ですから、再臨主が来ることによって、真の父母が来ることによって、このようなすべてのことを知るようになったということは、驚くべき事実です。

 皆さんは、神様の愛がどのようなものであり、宇宙がどのようなものであるのか知っているのです。統一教会は、すべて知っているというのです。それ以上、教えてあげることがありません。
 それでは、真の父母と生活すれば、どのようになるのでしょうか? 個人的な生活、家庭的な生活、氏族的な生活、民族的な生活、国家的な生活、世界的な生活、天地での生活、神様に侍っての生活、それらが全部、通じるのです。

皆さんは、真の父母の家庭を中心として、氏族も皆さんの家庭であり、民族も皆さんの家庭になるのです。それらは皆、自分の家庭なのです。そうして、「民族も自分の民族であり、国家も自分の国家であり、世界も自分の世界であり、天地も自分の天地であり、神様も自分の神様である」という、そのような観念を持たなければなりません。

真の父母と一つになれば、氏族、民族、国家、世界、神様と一つになるのです。真の父母が神様とともに一つになっていれば、神様は世界人類とともに暮らそうとされるのであって、一つの宗派とともに暮らそうとはされないのです。


四、真のご父母様の家庭と“愛一体”になること

 その次に「生活」ですが、生きて何をしようというのでしょうか? それが四番目の「真のご父母様の家庭と“愛一体”になろう」ということです。一つの家庭になるのです。愛で一つにならなければなりません。
 子女も成長して親になれば、父母と同等の価値を持つようになるのです。このように一体です。そうして、英語には体恤という言葉がありませんが、心情的な体恤をしなければなりません。分かりましたか? これが目的です。


五、地上天国生活を始めること

 その次に五番目は何ですか? 「地上天国生活を始めよう」ということです。
 これは妄想ではありません。理論的なのです。これを越えて、ここに来ていなければ、地上天国にならないというのです。そうして、「第四次アダム家庭」であるというのです。このことを知らなければなりません。
 もう分かりましたね。「真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」(ヨハネによる福音書八章32節)とあるように、真理を知ることによって解放が始まるのです。

 それでは、この道を十年間歩いて行くつもりですか、百年間歩いて行くつもりですか、千年、万年、億万年歩いて行くつもりですか? それとも数か月で行きますか、数日で行きますか?(「数日で行きます」)
 それでは、数日ですか、数時間で行きますか、数秒で行きますか?(「数秒で行きます」)。数秒なのですが、“そこに神様の能力を加えてやる”と思って、やってみなさいというのです。

 「信ずる者には、どんな事もできる」(マルコによる福音書九章23節)というのは、このことです。信じなさいということです。ですから、もはや、このような道を離れるのです。開拓しなければなりません。世の中の誰も知らないことを探査しなければならず、神様が創造された本然の価値を探査し、川へ、海へ、山へ、谷へと訪ねて、本然の神様の心情に連結され得る務めを果たさなければなりません。

 皆さんも、先生のように、“この仕事を完成する”という覚悟で、“先生に負けまい”と一生懸命に成せば、また、今まで八十歳近くまで苦労するご父母様のことを知るならば、若い者たちは楽に座って休むことも、寝ることも、遊ぶこともできません。飛行機のようになって峠を越え、山を飛び越えていかなければならないというのです。走って、“アメリカの五十州の中で行かない所がない”というように、そして自らの心で“行く。行く。私たちの先祖を総動員して行く。行く。連結する”と決意して、このような役割を果たさなければなりません。

 アメリカはあまりにも小さいです。先生一人で仕事を果たしたではないですか?
 さあ、ですから、「地上天国生活を始めましょう」。「しよう」ですか、「やめておこう」ですか?(「『しよう』です」)ここで、「天地父母天宙安息圏」を発表した後には、先生が家庭に入ってきて「家庭盟誓」文を読み、その次には三大演説文である「救援摂理史の原理観」、「宇宙の根本を探して」、「真の愛を中心とした真なる家庭と真なる宇宙」、さらにその次には、『御旨の道』と『祝福と理想家庭』を読んでいるのです。

 今まで、先生の家庭は捨てておきました。もはや皆さんとともに、第四次アダム家庭とともに、先生の家庭と子供たちを皆さん以上に、世界を愛する以上に愛して、問題になったすべてのものを収拾していくべき時が来たというのです。



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小祭司長として礼拝を捧げる

小祭司長として、日曜礼拝を捧げさせていただきました。


基元節六周年の二代王様の祝祷を視聴した後、真のお父様が1991年7月1日に制定された「神様祝福永遠宣布式」の内容がどのような意味であったのかを求める時間でした。


真のお父様は宣布式を通して、摂理の節目を確定しながら、一段一段勝利されてこられました。私たちはその宣布式の意味を理解するときに自らが何を成していけばいいのか、三代王権に従う者としての使命と責任を知ることができます。


奥深い真のお父様の勝利圏の内容を探り求めるときに、自らの不足を感じざるを得ません。反省することも多い中ですが、逃げることなく、遅くなっているけれどもその責任を果たすために前進していきたいと思います。









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