イエス様のみことばを不信し、御旨を排斥する現象
イエス様はこのような神の切ない心情を抱いていたので、新しい天倫の法度を持って、これを条件として地上の人間と永遠の理念の関係を結ぼうとされたのですが、当時の人間たちの不信によりこのようなみ旨を成すことができず、悲しくも悔しく十字架に架けられていったのです。
それでは、今日このように悲しく逝かれたイエス様を求めている皆さんは、どんな環境に面しているのか。今日も、イエス様の御言を不信し、イエス様の仕事を排斥したと同様の現象が起こっているのです。即ち今日の皆さんもこの地上で迫害され、万人から捨てられ、人ごとではないこの道を行っているのです。それゆえ皆さんは、このように捨てられる悲しみを払い除け、必ず天と地が喜ぶ勝利的な条件を立てるために努力しなければならず、また我々の集まりが、このようなみ旨を成してゆく集まりであるなら、すべてが一心同体となって、イエス様が行かれた歩みの跡に付いて行かねばなりません。
今日皆さんが排斥され、迫害される悲しみ、あるいは教会によって捨てられる悲しみを沢山受けても、皆さんは蕩減復帰原則に従い、その悲しみを踏んで成さねばなりません。即ち統一教会のすべての食口たちは、神の心情とみ旨を感じて悲しむだけの人間、従うだけの人間、良いというだけの人間になっては駄目であり、越えて行くべき道、絶つべき道をみな絶ち、さらにはアボジの復活の栄光に参与しなければなりません。1957.10.4
2000年前と同じように、今、お父様のみことばを改竄し、不信し、お父様のお姿を消し、お父様の仕事を排斥しようとしている現実があります。
イエス様を不信したイスラエル民族の行くべき道は悲惨な姿となりました。
私たちは、捨てられたイエス様の心情を知り、イエス様の歩みの跡について行き、
お父様のみことばを信じ、亨進様の跡について行くことが天命であると信じます。