ルツ記ー聖書の中の女性たち
人類の願いは神様のもとに還ることです。堕落によってサタンの血統となってしまったものを神様の血統へと転換することを意味しています。
地上にイエス様をお迎えするために貴い女性の姿がありました。リベカ、タマル、ラハブ、ルツ、バテシバ、そしてマリアと。
聖書に記録されている女性たちの信仰を知ることを通して、現在の三代王権の重要性を理解し自分の行動を意識づけることができると思いみことばをさがしました。
2月の最高の恵みにそなえるために。
マタイによる福音書第1章
:1)アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。 :2)アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、:3)ユダはタマルによるパレスとザラとの父、パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、 :4)アラムはアミナダブの父、アミナダブはナアソンの父、ナアソンはサルモンの父、 :5)サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、 :6)エッサイはダビデ王の父であった。
ルツ記 第1章
:1)さばきづかさが世を治めているころ、国に飢きんがあったので、ひとりの人がその妻とふたりの男の子を連れてユダのベツレヘムを去り、モアブの地へ行ってそこに滞在した。 :2)その人の名はエリメレク、妻の名はナオミ、ふたりの男の子の名はマロンとキリオンといい、ユダのベツレヘムのエフラタびとであった。彼らはモアブの地へ行って、そこにおったが、
:3)ナオミの夫エリメレクは死んで、ナオミとふたりの男の子が残された。 :4)ふたりの男の子はそれぞれモアブの女を妻に迎えた。そのひとりの名はオルパといい、ひとりの名はルツといった。彼らはそこに十年ほど住んでいたが、 :5)マロンとキリオンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子と夫とに先だたれた。 :6)その時、ナオミはモアブの地で、主がその民を顧みて、すでに食物をお与えになっていることを聞いたので、その嫁と共に立って、モアブの地からふるさとへ帰ろうとした。
:16)しかしルツは言った、「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしに勧めないでください。わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。 :17)あなたの死なれる所でわたしも死んで、そのかたわらに葬られます。もし死に別れでなく、わたしがあなたと別れるならば、主よ、どうぞわたしをいくえにも罰してください」。
ルツ記第2章
:1)さてナオミには、夫エリメレクの一族で、非常に裕福なひとりの親戚があって、その名をボアズといった。 :2)モアブの女ルツはナオミに言った、「どうぞ、わたしを畑に行かせてください。だれか親切な人が見当るならば、わたしはその方のあとについて落ち穂を拾います」。ナオミが彼女に「娘よ、行きなさい」と言ったので、 :3)ルツは行って、刈る人たちのあとに従い、畑で落ち穂を拾ったが、彼女ははからずもエリメレクの一族であるボアズの畑の部分にきた。
ルツ記 第4章
:9)ボアズは長老たちとすべての民に言った、「あなたがたは、きょう、わたしがエリメレクのすべての物およびキリオンとマロンのすべての物をナオミの手から買いとった事の証人です。 :10)またわたしはマロンの妻であったモアブの女ルツをも買って、わたしの妻としました。
:11)すると門にいたすべての民と長老たちは言った、「わたしたちは証人です。どうぞ、主があなたの家にはいる女を、イスラエルの家をたてたラケルとレアのふたりのようにされますよう。どうぞ、あなたがエフラタで富を得、ベツレヘムで名を揚げられますように。 :12)どうぞ、主がこの若い女によってあなたに賜わる子供により、あなたの家が、かのタマルがユダに産んだペレヅの家のようになりますように」。 :13)こうしてボアズはルツをめとって妻とし、彼女のところにはいった。
真のお父様のみことば 1998年5月26日
マタイによる福音書を見れば、バテシバが現れ、ルツが現れ、タマル、そしてマリヤが現れます。すべて淫行の女性です。彼女たちは、二人の男と対しました。本妻は天の相続ができません。レアとラケルもそうです。ラケルの祝福をレアが奪い取りました。その闘いです。これを取り戻してこなければなりません。
真のお父様のみことば 1970年10月13日
ソロモンの母は誰?バテシバ。バテシバはどういう女性か?ウリヤの妻だ。ダビデ王がウリヤの妻を奪い取った。その子供がいかにしてソロモン王になるか。ウリヤは何かというと、第二の主人だよ。これが堕落もしない前のエデンの園のその位置に再び帰った立場、すなわちダビデはアダムの立場、ウリヤは天使長の立場、天使長の妻は復帰しなければならないエバの立場。天使長がアダムの相対者たるエバを、堕落して引っ張っていった。愛によって占領して、盗んでいった。それを蕩減するには、そういう三角関係に立ってもとがえししなければならない。そういう原理的基準に立った条件を成した基台の上に生まれた子供は、天の愛の子供として、栄光の子供として生まれる。
真のお父様のみことば 1971年1月10日
それで、弟が兄嫁と共に暮らしていましたが、その弟も死にました。それ故に、タマルは自分の一代に祝福を受けた血統を繋ぐことのできないことに対して、命を失うよりも、もっと苦悩するようになりました。自分は死んだとしても、どういうことがあっても祝福を受けた血族を残さなければいけないという使命感、神の祝福を残すことのできるその道を追求する心がタマルは、誰よりも強かったのです。
マリアは、タマルと同じように非法な道を行きました。タマルが非法の道において勝利したことを継承するためには、同じ道を行って、自分の夫でない他の男性を通して身ごもらなければならなかったのです。マリアは、タマルと同じように自分の命を捧げることを覚悟していたのです。体面とか威信とか、生死は問題ではありませんでした。神の祝福を受け継ぐためには、自分は石打ちにされてもいいと思ったのです。死んだとしても、子供を生んだ後に死ねばいいという確信をもって立ったマリアの立場はタマルと同じでした。
真のお父様のみことば 1998年5月26日
堕落は二人の恋人をだましたので、終末に女性たちも主を迎えるために二人の恋人をだまします。自分の本当の夫以外に、来られる主は二人の恋人を迎えて夫を立てるので、離婚というものを自由化させたのです。自分の夫以外に他の男性を好きになるのです。それゆえ、女性で男性に多く対する訓練をした人たちが妾です。
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