阿南信義

ダビデの如くー日曜礼拝



今日(陽暦1月22日)は天暦の1月1日真の神の日が日曜日となった貴重な一日でした。

礼拝の内容をどうするかとこの一週間尋ねていましたが、真のお父様が1976年9月にワシントン大会を勝利されたときの状況とみことばをふと思い出しました。

真のお父様が、世界復帰路程を前に、ゴリアテに立ち向かうダビデのことを例にして、ご自身の深刻な心情世界を発表されておられました。

今、二代王様がまさに同じ立場と場面でゴリアテを相手にされていること痛感させられ、今の私自身も同じような環境に向かわなければならないと思わされました。








サムエル記上 16章
:11)サムエルはエッサイに言った、「あなたのむすこたちは皆ここにいますか」。彼は言った、「まだ末の子が残っていますが羊を飼っています」。サムエルはエッサイに言った、「人をやって彼を連れてきなさい。彼がここに来るまで、われわれは食卓につきません」。
:12)そこで人をやって彼をつれてきた。彼は血色のよい、目のきれいな、姿の美しい人であった。主は言われた、「立ってこれに油をそそげ。これがその人である」。
:13)サムエルは油の角をとって、その兄弟たちの中で、彼に油をそそいだ。この日からのち、主の霊は、はげしくダビデの上に臨んだ。そしてサムエルは立ってラマへ行った。


サムエル記上17章
:20)ダビデは朝はやく起きて、羊を番人に託し、エッサイが命じたように食料品を携えて行った。彼が陣営に着いた時、軍勢は、ときの声をあげて戦線に出ようとしていた。
:21)そしてイスラエルとペリシテびととは戦列を敷いて、軍と軍と向き合った。
:22)ダビデは荷物をおろして、荷物を守る者にあずけ、戦列の方へ走って、兄たちの所へ行き、彼らの安否を尋ねた。
:23)兄たちと語っている時、ペリシテびとの戦列から、ガテのペリシテびとで、名をゴリアテという、あの戦いをいどむ者が上ってきて、前と同じ言葉を言ったので、ダビデはそれを聞いた。
:24)イスラエルのすべての人は、その人を見て、避けて逃げ、ひじょうに恐れた。
:25)イスラエルの人々はまた言った、「あなたがたは、あの上ってきた人を見たか。確かにイスラエルにいどむために上ってきたのだ。彼を殺す人は、王が大いなる富を与えて富ませ、その娘を与え、その父の家にはイスラエルのうちで税を免れさせるであろう」。
:26)ダビデはかたわらに立っている人々に言った、「このペリシテびとを殺し、イスラエルの恥をすすぐ人には、どうされるのですか。この割礼なきペリシテびとは何者なので、生ける神の軍をいどむのか」。


サムエル記上17章
:43)ペリシテびとはダビデに言った、「つえを持って、向かってくるが、わたしは犬なのか」。ペリシテびとは、また神々の名によってダビデをのろった。
:44)ペリシテびとはダビデに言った、「さあ、向かってこい。おまえの肉を、空の鳥、野の獣のえじきにしてくれよう」。
:45)ダビデはペリシテびとに言った、「おまえはつるぎと、やりと、投げやりを持って、わたしに向かってくるが、わたしは万軍の主の名、すなわち、おまえがいどんだ、イスラエルの軍の神の名によって、おまえに立ち向かう。
:46)きょう、主は、おまえをわたしの手にわたされるであろう。わたしは、おまえを撃って、首をはね、ペリシテびとの軍勢の死かばねを、きょう、空の鳥、地の野獣のえじきにし、イスラエルに、神がおられることを全地に知らせよう。 
:47)またこの全会衆も、主は救を施すのに、つるぎとやりを用いられないことを知るであろう。この戦いは主の戦いであって、主がわれわれの手におまえたちを渡されるからである」。
:48)そのペリシテびとが立ち上がり、近づいてきてダビデに立ち向かったので、ダビデは急ぎ戦線に走り出て、ペリシテびとに立ち向かった。
:49)ダビデは手を袋に入れて、その中から一つの石を取り、石投げで投げて、ペリシテびとの額を撃ったので、石はその額に突き入り、うつむきに地に倒れた。



お父様のみことば  1979年10月4日
誰にとっても、これは神なしには不可能な業績です。一人の男が韓国の山奥から出てきて、言葉も通じない見知らぬ文化の国にきて、三年半という短期間のうちに全世界に知られるようになったことは、ありふれたことでしょうか、それとも並はずれたことでしょうか(並はずれたことです)。さらに、先生が遂行した絶頂点の戦いは法廷闘争でなく米国議会でした。そこが戦場でした。その戦いは、現代のダビデがゴリアテにむかっていった戦いでした。先生はこの日を預言しました。私たちは栄え、勝利するだろうと。これは対決でした。



お父様のみことば  1973年7月1日
数においては小さな我々ですが、負けることはできません。共産主義との闘いはダビデとゴリアテの闘いに例えることができます。 先生は砂漠の中の羊飼いであり、アメリカを導かなければなりません。しかし、アメリカの中には、それを自分自身の責任として、共産主義から国を守ろうとする者はいないのです。どこにゴリアテに立ち向かうアメリカのダビデがいるでしょうか?ダビデは武器を持っておりませんでした。みすぼらしい格好をしていました。しかし、敢然と立ち向かったのです。アメリカのダビデは――ここにいる皆様です。アメリカの統一教会です。たとえダビデは小さくとも、神が共にいてくださることを信じていました。



ダビデの信仰

この戦いは主の戦いであって、主がわれわれの手におまえたちを渡されるからである




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