阿南信義

パウロと私ー日曜礼拝

昨年の2022年12月25日は日曜日でクリスマスでした。
当然のことながらキリスト教の根本を考えるときとなりました。そのキリスト教の土台は初期のクリスチャンが築かれたものです。
その中で、使徒パウロの功績は絶大な影響であると知っています。

今のこの時に、大伝道師、使徒パウロの勝利圏を知り、そしてそれを相続するためにどうすればいいのかを考え悩む者です。








使徒行伝 第9章
 :4)彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
:5)そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
:6)さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。


 :15)しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。
:16)わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。


コリント第一の手紙 第9章
 :19)わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。
:20)ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。


コリント第二の手紙 第11章
 :24)ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、
:25)ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。

:26)幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
:27)労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。


テモテ第二の手紙 第4章
 :6)わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。
:7)わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。
:8)今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。


真のお父様のみことば 1991年11月3日
 復帰摂理はやたらにやるものではありません。既成教会では「唯信じれば救われる」と言いますが、そのようにはなっていません。パウロ信仰が霊界に行ってみると大きな問題になっています。信じることで救われるのではありません。

神様は創造当時、信仰をもって創造されたのではありません。信仰をもって人を造ったのではありません。
何をもって造ったかというと、愛をもって造ったのです。信仰という概念はそこにはありません。愛を中心とした実践概念はありましたが、信仰という概念はなかったのです。


真のお父様のみことば  
イスラエル民族が待ちわびたメシヤは来ましたが、イスラエル民族はそのメシヤが分かりませんでした。なぜ仕えることができなかったのでしょうか。
簡単なのです。メシヤのみ旨は世界を救い、人類を救うところにあります。そして、そのイスラエル民族を選んで立てたのは、イスラエル民族のゆえに選んで立てたのではありませんでした。皆さんはこのことを知らなければなりません。


それゆえ、ヨハネによる福音書第三章十六節を見れば、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」とおっしゃったのです。神様がキリスト教を愛され、ひとり子を与えたのではありません。滅びるキリスト教は覚醒しなければならないのです。イエス様がキリスト教のために来たのではないのです。万民のために来たことを知らずにいるのです。イエス様がキリスト教だけのメシヤになるための方ではないのです。(八一―二三六)



霊界から来たパウロの手紙  2001年7月23日
私、使徒パウロは、地上でどこに行こうと主、イエスのために証したように、ここ主、神様の家では「原理教本」を手から放しませんでした。
とても大切で貴重なので、時が過ぎれば過ぎるほど「原理教本」は私の命のように感じられて、手から放すことができません。もしかしたら、なくしてしまうかと思って、かばんをつくり、首に掛けて歩き回りもしました。



私の生涯の目標
・パウロのように主に侍る
・伝道に命がけとなる
・聖書に通ずるものとなる
・永遠に備えて原理講義を体恤する



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阿南信義
Posted by阿南信義

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