阿南信義

自由について考える

すいせん5


自由について考える



真のお父様のみことば  1982年4月1日


 それでは次に、自由について考えてみましょう。「自由」とは何でしょうか。今までみてきたように、自分の思うとおりに(自分中心に)することができるというのが自由の概念ではないのです。外的な世界全体における最大の法(公的な法)や公認された組織形態(公的組織形態)をすべて認めた上でなければ、自由は成立することができないのです。

 従って、法や組織を破壊したり妨害したりするところに自由は成立しないという結論になるのです。言い換えれば、自由は公的な基盤の上でのみ可能であるということです。それを仮に「それがなんの自由なのか、そんなことはできない」と反対する者がいて、万一、自由がそのように間違ってみなされれば、すべてのものが破壊され、悪がもたらされ、混乱がもたらされ、やがてすべての正常的な状態が破壊されるようになるのです。

 今日のアメリカの青年たちが考える自由は、まさしく、自分の勝手にする自由です。学校に行けば自分勝手に学校を破壊し、自分の勝手に社会までも破壊しています。それが彼らの自由なのです。しかし、それは亡国の兆しであり、破壊のための破壊なのです。皆さんはそのとおりだと思いますか、思いませんか。(そのとおりです)。そのような観点から、自分勝手な自由は本来あってはならないことなのです。ですから統一教会に入ってきたならば、統一教会の法を守らなければなりません。そして、定められた道を全うするまでは勝手な行動をすることはできないのです。

 自由とは法を守り、道を全うした後に与えられるものなのです。苦しくても、自分にいやなことでも、それを完全に克服して越えなければ、真なる完全な自由と解放はないのです。そのことは、皆さんだけでなく、このレバレンド・ムーンにもいえることです。レバレンド・ムーンは一体何をしようとしているのでしょうか。世間では、「レバレンド・ムーンは自分勝手にする人だ、若い青年たちを集めて、仕事を死ぬ程やらせている」と言っています。その他にもいろいろのことを言っています。

 今回の法廷闘争においてもそうです。はたしてレバレンド・ムーンは自由でしょうか。どこに行っても迫害され、すべての人から嘲{ちよう}弄{ろう}されています。これが自由なのでしょうか。それでは、どうしてそのような道を行くのでしょうか。苦痛であり、いやな道であるけれども、これを克服し、勝利した後にくる自由な世界こそ、蕩減復帰という神の摂理上における本当の喜びの世界であるということを知っているからです。

 蕩減復帰の道においては常に衝突が起こります。衝突する両者は互いにどちらが正しいか、公的かを知っていませんが、衝突した結果、より公的なものが勝利し、より公的でないものが敗北するのです。このことを知らなくてはなりません。皆さんはそのとおりだと思いますか。(はい)。学校において、先生の前で二人の学生の間に争いが起こり、先生が二人の話をよく聞いてみるとどちらも自分が正しいと主張している場合、どのようにして先生は勝敗を決定すべきだと思いますか。それは簡単なことです。誰がより公的であるかによって決定することができるのです。より公的な者を正しいとみなければならないのです。






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