阿南信義

天一国の起源


真の御父母様のみことば  1971年11月21日


天国の起源

 では、きょうの題目は「人間の価値と天国の起源」なのですが、その起源とはどこでしょうか。家庭です。言い換えれば、お父さん、相対、お兄さん、この三つの愛です。エバが堕落することによって蹂躙され、失ったこの三大愛を、私の一代にどのように実現させますか。神様のように人類を愛し、死んでいったイエス様のように人類を愛し、生きていらっしゃるときのイエス様のように人類を愛さなければならないのです。

 独身時のイエス様の立場で、その次には霊的な新郎新婦であるイエス様と聖霊の霊的な父母の立場で人類を愛さなければならず、神様の立場で人類を愛さなければならないのです。これが霊肉を中心とした相対基盤です。
 これがアダムとエバと神様が一致できる、三点が結合できる、天情と人情が出合える核心的な決定点です。この決定点を見ることができなかったがゆえに、この終わりの日に初めて新郎新婦の因縁を中心として、天情と人情が結束しなければならないのです。

 そうして、そこで天が探していた真の父母、真の父、真の夫、真の子女の立場を決定しなければならないのです。それが天国の起源になるのです。その天国の起源というのは、人格的基準の愛を中心として決定されなければなりません。これを確実に知らなければなりません。皆さんが天国に行けるか行けないかということは、漠然とはしていないのです。

では天国に行くためには、どのようにしなければなりませんか。イエス様のようにしなければなりません。イエス様は、十二人の心を合わせるために三年の公生涯路程を歩まれ、死んでも行く道を行くことができず、復活して四十日間でそれを収拾していったのです。これと同様に、皆さんも十二人を糾合させなければなりません。十二人の心を合わせることができる資格者になれなければ、春夏秋冬の四季のある十二カ月を越せないのです。四位基台を中心として、そのようにしなければならないのです。父母を中心として、子女の立場で十二人の心を合わせなければならないのです。

 天国はどこにありますか。天国は他の所にあるのではありません。イエス様も「天国はあなたの中にある」と言いました。「天国は私の心にある」と言いました。それは、どういうことかといえば愛について述べた言葉です。神様の愛を中心として述べた言葉なのです。お前は独りでいるけれども、神様が人を愛してくださるので、独りではないというのです。

 絶対的な愛の基準から見るとき、愛だけがあなたを占領し、あなたの心と道とすべての空間世界を超越し、共にあり得る絶対的要因ではないかというのです。そのような基準で、「天国は私の心にある」と言ったのです。心が恋しがる天国をもっていない人は、実際に暮らせる天国を見ることはできないのです。

 天国は皆さんの中からです。兄弟間にあるのです。これはお母さん、お父さんの代身なのです。それゆえ女性に対するときには、お母さん、お父さんの贈り物であり、その方々の他の面を私に見せてくださるための贈り物として考えなければならないのです。男性を見るときも、お母さん、お父さんの他の面を見せてくれる贈り物として考えなければならないのです。

 そうしてこそ、それがすべての幸福の起源が宿ることのできる宇宙史的な一つのかなめになるのです。「統一基盤確保」というのも、その基盤の上で行われるのです。 それゆえ、十二人を狂うように愛してみることのできなかった人は、天国に十二の真珠門があるといいますが、その門を自由に通過できないのです。

 十二人を狂うように、大人なのか子供なのかも分からず愛して暮らした人間は、どの門の前に行ってもふさがらないのです。それゆえ、狂ってみなければならないというのです。世の中の愛を中心としても狂うのに、天の愛を中心としてはもっと狂わなければならないのです。夜が昼のように恋しく、昼が夜のように恋しくあり得る、昼夜を動かせる情緒的な心情の基準を、神様を中心としてどのように体得するかということが大きな問題です。





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