阿南信義

訓読会をする理由

  真のお父様のみことば  訓読会制定宣布
   一九九七年十月十三日

(抜粋2)



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訓読会の方法

 訓読会の良い点は何ですか? 本を分けてあげ、読むときには、本を持った人が読んでから、誰が読むようにと指名するのです。これを訓練しなければなりません。そして、訓読会をして必ずいくつかの題目について質問させなければなりません。聞いているだけではいけません。訓読会をやる者が十名来たならば、そのうちの三分の一は、必ず関心があって質問したいのです。一度にすべて質問させるのです。時間が足りなければ、数名だけ質問させ、それについて解説してあげるのです。それが講義よりも重要なのです。本を三回読めば、はっきりと見えてきます。訓読会をするときは、声を出して読まなければなりません。(二九六-三二九、九八年十一月十八日)

 訓読会は本を使ってやらなければなりません。本を使えば、誰でも四十日修練をすることができます。それが及ぼす影響がどれほど大きいことでしょう。訓読会を通じて、本をもって、そのようにやるのです。訓読するにあたって、代表して読むよりも、順番に本を読まなければなりません。今回、私が指示しようとするのはそれです。本を使って訓読会をしながら、自分が読んでから、誰それと指名して読ませるのです。一時間ならば四十ページ近く読むのです。早く読めば五十ページまで読むことができます。十ページずつ五名に読ませて訓練しなければなりません。読みながら自分の声に感動しなければなりません。

 ですから、恵みにならなければ、責任者たちは訓読会のために本を十度以上、読んでから出てくるのです。先生自身もそのようにしているのです。巡回講演するときには、自分が原稿をすべて書いて知っていても、祈る思いですべてを透視しなければなりません。(二九六-三二九、九八年十一月十八日)

 訓読会とは恐ろしいものです。先生がそのみ言を宣布したのが、五十年前、生死の境の真っ只中で語ったものです。このみ言を中心として一人でつぶやいていた……、天下が張り裂けるような思いを抱いて語ったものなので、これは天の心情、霊界が協助するものであり、感じたそのものが生きているのです。永遠に時間圏を超越したものなので、昨日であれ、今日であれ、生きているのです。ですから、私のような者は訓読会に入れば、そのみ言が自分の言葉ではありません。その境地に引き込まれていきます。その境地に入っていくのです。それが必要なのです。(二九六-三二九、九八年十一月十八日)

 太陽の光が朝昇れば、変化無常ではあっても、常にその光、その世界、その力があるので、この宇宙は太陽の光の恵沢に永遠に感謝するのです。それと同様に訓読会を中心として、永遠なる天が生きている……、永遠なる世界の因縁が時空を超越して継続するという感動的な因縁を、どこで結ぶかというのです。生死の境です。死なんとする者は生きるのです。死ぬのは私であり、生かすのは神様なのです。そのような深刻な境地に入らなければ、そのような者たちは使えない者たちです。流れていくのです。過ぎ去っていくのです。根がなければなりません。(二九六-三二九、九八年十一月十八日)

 今から帰って訓読会をするときは、一人でやらないで、必ず一緒に本を音読しながらやるようにしなさい。そして、自分が訓読して、だいたい五ページから十ページほど読んだら、誰それと名前を呼びなさい。そうして、指名された者が引き続いて読むという、そのような伝統を立てなければなりません。そうして、その日の訓読会で重要な内容に関しては、「今日、この訓読会で重要な内容はこれですが、これは私たちが守っていくべき鉄則です」と決めて、その日の標準を立てるのです。(二九七-一〇九、九八年十一月十九日)

 先生のみ言は、五十年の歴史を経ながら霊界と一体的な動きを連結してきたので、そのみ言が現れれば、霊界全体が、自分の協助した過去時代、そのとき先生と切に祈った心情圏が、すべてみ言と共に世界を覆うのです。

 訓読会をする人が涙を流せば、すべての人が涙を流し、訓読会をする人が感動すれば、すべての人が感動するのです。どんな大衆が集まっても、そのような運動が起きるのです。なぜでしょうか? 霊界が直接に再臨するからです。そこに感動したすべての霊人たちが、地上協助、文先生の解放協助………、恨の神様を知る心情を中心として願ってきたすべてが、今この時になって完全に実現するという運動が起きるのです。

 ですから、肉界で「訓読会だ!」というときは、天上世界においてすぐに反応するのです。今や訓読会の独裁時代が来る! 今、私が何と言いましたか? 訓読会の独裁時代です。独裁という表現はあまりよくないですが…………。

 その訓練を今からやらなければなりません。その訓練は家庭訓読会、その次には氏族訓読会、社会では教会訓読会です。面(町)や郡や里(村)、洞(町)の訓読会をやるのです。成約時代に発表したみ言を中心とした十二巻のみ言選集を、党首、道知事(県知事)、郡守、面長(町長)を通して、すべて分けてあげました。訓読会をやらない国は滅びるのです。奪われるのです。後退するのです。(二九六-二二一、九八年十一月十日)

 皆さんは今後、いかに訓読会をすべきですか? 今後、世界的にまず訓読した人々は、世界訓読歴史創建時代の代表的な一つの地域ならば地域、国ならば国の中心指標、中心支柱になることを知らなければならないのです。

 皆さんはここでこうして終わるのではありません。一回から二回、三回、四回までやったなら、ここで教育を受けた者は、全世界に散らばって教育する責任があります。食べて寝ることを心配するなというのです。家を売り、土地をすべて売ってしまって、避難民のようにさ迷ったとしても、皆さんが定着できる所は、世界の主導的な訓読大会の先祖という立場に定着するのです。そのようにすることで、世界化が可能なのです。祝福の世界化が可能です。そのような驚くべき未来があることを知らなければなりません。

 すべての山間に統班組織のような組織をつくり、それに責任をもった人たちは、自分の部署が天の国、霊界の一つの部署となって、霊界と隔たりのない一体的な基準に合うように、責任をもって教育せよというのです。(二九六-二二一、九八年十一月十日)



   訓読会をする理由


 韓国がこんなにも困難な目にあうのは、摂理的な意義があります。精神を取りますか、物質を取りますか? 二つをいっぺんに取ることはできません。物質を先に取ったら地獄に落ちます。物質を壊したのは、文総裁を中心として韓国を愛するためだと考えられます。ですから、私が訓読会をするのは、精神的に結束するためです。これまでの歴史にないことが起きるのです。(二九〇-九三、九八年二月三日)

 世界化時代にどこの橋を渡っていきますか? 文総裁の橋は世界最高です。息子や娘を皆、私に任せなさい。任せますか、任せませんか? 任せるだけのことはありますか、ありませんか? 任せるという者は手を挙げてみなさい。世界に出世できる万全の準備が整いました。それで私がここにやって来たのです。今やみ言を教育しなければならないので、訓読会をするのです。(二九〇-一五八、九八年二月十八日)

 今や教育であろうが何であろうがすべてをたたんでしまえというのです。訓読会さえすれば、すべて終わるのです。ご飯を食べる度に、家族や一族が集まって、しきりに訓読会をやれというのです。先生は熱心にやっているでしょう? 先生は時間さえあれば、訓読会をします。そうすればどんどん大きくなるのです。モヤシに水をやれば成長するように、我知らずどんどん大きくなるのです。一人の人間であっても、どんどん入るのです。愛は無限に縮小や拡大が可能なのです。(二九〇-二一七、九八年二月二十七日)

 よくよく見てみると、訓読会というのは、み言を通じて家庭が定着するという内容です。家庭の伝統になるのです。息子や娘の教育は、心配する必要がありません。真の父母が生きてきた生活と教えが、今すべて成就しているのです。今になって、すべてが合っているのです。(二九二-一七、九八年三月二十七日)

 訓読会をするのは、自分の行く準備をするのです。千年万年の歴史が、私を離れて行くかどうかというテストです。あなたがたが三億六千万双の祝福家庭の教育をどうしますかと尋ねたとき、私は笑いました。皆さんに教育ができますか? 十年もしないうちに、皆荷物をまとめて出ていくでしょう。先生はみ言を残していくのです。(三〇三-七九、九九年八月)

 私は去りゆく者です。地上で私かやるべきことは、すべて成しました。今や八十の老人になったでしょう? 私は世の中をすべて知っているのです。若者たちは皆、八十の老人が前に出て働くことを好みません。「わあっ! あんな人がいるなんて?」と言うのです。それよりもみ言を好むのです。年を取った人の顔と対するのが好きでしょうか? それで今、訓読会をやっているのです。精読させて試験するかもしれません。(二九七-一〇九、九八年十一月十九日)

 沃土というのは肥料が必要ないのです。本来、神様が創造した地は、自動的に自然の栄養分を供給するのです。ですから、精誠を尽くせというのです。精誠を尽くして活動せよというのです。種を植えよというのです、種! それで第一次、第二次、第三次イスラエルの失敗をすべて教えてあげようとして、訓読会をするのです。先生がどれほど苦労し、神様がどれほど苦労したかを知って、そこに一致し得る基盤さえ築けば、すべてが解放されるのです。それで訓読会をやるのです。(三〇二-二九三、九九年六月二十六日)

つづく。


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