阿南信義

訓読会制定宣布 1997年10月13日



真のお父様のみことば

訓読会制定宣布

   一九九七年十月十三日

(抜粋1)

 一九九七年九月一日、米国・ベルベディアにて「第九回天父主義記念」のみ言に続き、「今日から新しい時代に移行する」と語られ、新しい時代に適した生活指針を下さった。十月十三日、ウルグアイのビクトリアホテルで、これを「訓読会」と命名された。





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   訓読会の意味

 訓読会という言葉を知っていますか?「訓」という漢字にはどういう意味がありますか? 教えるという意味があります。「訓」という字には、み言の「言」に「川」という字がくっついています。水は流れるものです。高いところから流れていくのです。水というのは、万物において生命の元素となっています。そうして循環運動をします。山から下り、泉となってあふれ、川となっていくのです。地球全体の血のような水、体のような水が海に流れ込んで、海水と生水が和合し、水蒸気となって、天に上り、雲になるのです。統一教会のみ言を中心として動くところには、復活がなされるのです。(二九六-二〇〇、九八年十一月九日)

 「読」という字は何でしょうか? み言を売るのです。ただで与えるなというのです。千金万金以上の価値として、自分の生命までも捧げられる価値として、伝授せよというのです。そうすれば統一天下になるのです。地上天国・天上天国が間違いなく成されるのです。

 「會(会の旧字)」という字は何ですか?「人」という字の下に何と書きますか?「一」と「四」、それから「日」という字を書くのです。それは何に似ていますか?「會」という字を一度書いてみなさい。「人」の下に「一」を引いて、「四」を書くでしょう?「四」の字を上にある「一」まで伸ばせば、西という字になります。その下には何ですか?「日」という字です。

 西洋人は「一」でなく「日」です(韓国語では共に発音が同じ)。西洋民族は単一民族でなく、混合民族なのです。ですから、会議というのはすべて西洋人がやるのです。「これが民主主義である!」と言って、横的にだけ考え、縦的なものがありません。訓読会をやりますか? み言は自分の家を与えても買えません。国を与えても買えないのです。このままでは生きていけない時代になってしまいました。自分の財産や命を捧げても買えないのが、み言というものです。(二九七-二○四、九八年十二月二十二日)

 統一教会の訓読会というのは、川の水が止まらない限り、私たちも訓読会を休むことができないのです。「読」という字は、「言」と「売」からなっています。売るという意味です。良いものを売るのです。み言を知って、そのすべてを売らなければなりません。分けてあげなければなりません。ですから、これからは村と村が競演大会を行うのです。どれほどやったかという問題……、家庭ならば家庭、教会ならば教会、社会ならば社会で表彰し、その次には、すべての国、世界で表彰する訓読会時代を開くのです。(二九六-二一七、九八年十一月十日)

 「訓読」というのは、み言の「言」に「川」という字です。水がすべての生命の要素なのです。青い地帯をつくり、空気の流れる雲を形成して、深く高く動きながら、世界を平準化するのです。水は世界を平準化するのです。「読」という字は何かと言うと、み言を中心として売らなければなりません。売らなければ、集めて使わなければなりません。水は流れて大きな川となり、海となり、この宇宙を生成する力をもっています。み言のもつそのような内容を知らなければなりません。(二九〇-一五四、九八年二月十八日)




   訓読会の標準


 私たち人間の生活、個人は皆、一つの支脈、一族、血族を中心とした形態、支流のようになっており、それがだんだんと大きくなって、一つの国、一つの理想世界、一つの大河を形成し、一つの霊界にすべて帰結するのです。霊界に行って、霊界の生活、海の生活、そのような形態の永遠なる動きが続くのです。正にそのようになっているのです。

 ですから、人間は一人で生きていくのではありません。どのみち人生は、一度は行ってぶつからなければならないのです。川の水が最初に山から流れるときには、千万の形態となって滝として落ち、ぶつかりながら、大洋に入っていくのです。ですから、すべては一つの世界に向かって入っていくということを知らなければなりません。

 さて、そこで皆さんに教えたいのは、「川」という字と「読」という字です。この「読」という字は、み言を中心として売る、み言を売るということです。み言を自分に留めておかないで、みな伝授してあげなければならないのです。一雫の水は支流となり、さらに大きな支流、本流となって、大洋に入っていきます。すべて大きくなっていくのです。そのようなみ言をすべて伝授し平準化させる、そのような内容が訓読会なのです。

 訓読会をする理由は何ですか? 皆さんは今まで旧約時代、新約時代を経て、成約時代を迎えていますが、「成約時代」とは何ですか? それは家庭完成です。旧約時代には家庭を原理的に立てることができず、堕落した家庭となりました。この家庭基盤で失敗したことを復帰するには、家庭で復帰してはいけません。より高い次元の国家的基準で復帰しなければならないのです。そのために第二アダム的なメシヤが来て、復帰しようとしたのですが、すべてが失敗したのです。

 それで第三のアダムが来て、国家的基準ではなく世界的基準において、言うなれば大きなアマゾンのような川の責任を果たしながら………、アダム家庭の失敗、イエス家庭の失敗、その上に民族・国家・全人類的な失敗を、総蕩減しなければならないのです。すべてに責任をもって、きれいに整理しなければならないのです。それでようやく人類の真の父母、アダムとして完成すべき真の父母、神様の創造理想のみ旨の本体である四位基台……、アダム家庭における愛の理想完成の定着地を中心とし、それを伝統とすることによって、万民がそのような種となるのです。アダムが種ですから、皆さんも同じ価値の完成した種のような家庭をもって定着し、天国に入っていくのです。

 それができていないのです。皆さんは祝福を受けてから七年路程を経なければなりません。先生もその道を行くのです。今まで皆さんは、この復帰路程において、蕩減の公式に合わせて歩むのがやっとで、それを知らずについてきたのです。三六家庭を祝福したのも、三十余年前のことですが、四十年近く過ぎた今になって、やっと今までなしてきたことの意味が分かるようになってきたのです。

 それでは、この訓読会の標準とは何でしょうか? 真の父母が、堕落した世界の歴史を代表して、この世における家庭理想を蕩減し整備した基盤の上に、神様の願いである創造理想的な祝福家庭を完成するのです。その完成した家庭は、一個人の家庭ではありません。アダム家庭は家庭王にならなければならず、氏族王、民族王、国家王、世界王、天宙王にならなければならず、地上天国と天上天国の王権を授かることができる代表的家庭です。それと同じように、皆さんの家庭も皆さん一人ではないのです。

 先生のみ言は、今まで先生が歩んできた闘争記です。言い換えれば、家庭完成をする戦勝の記録です。この記録は、皆さんの骨や肉のように一体となり、中心とならなければなりません。そのようなみ言と一体化できる骨と肉となり、生活的環境と一体化させなければならないので、家庭が定着しなければなりません。真の父母の家庭を代身しなければなりません。

 父母の家庭を中心として氏族圏・民族圏、そのレベルがすべて同じ国家的基準に立ち、平面的に同じ位置に立たなければなりません。それゆえ、最後にはこれが蘇生・長成・完成、アダム時代・イエス時代・再臨時代という蕩減を通して、復帰して上がってきたのです。引っ張られて上がってきたのです。上がりきってからは、すべてを横的に蕩減復帰しなければならないのです。

 先生が闘争してきた個人的時代、家庭的時代、氏族的時代、民族的時代、国家的時代を代表して勝利的な真の愛の覇権者(としての闘争記)………、神様と真の父母を代身した一つの愛の種のような家庭に向かって清算するための、歴史的な闘争記なのです。そこに一体となれず、心と体が一つにならなければ、家庭理想は破壊されます。先生はそのようなすべてのモデルとして、戦勝的な記録を築き、皆さんの骨と肉ができる前に、その型を築いておかなければならない立場に立っているということを知らなければなりません。

 それが重要なことです。ですから、この訓読会は皆さんが聞き流してはなりません。毎日のように自分自身と比較するのです。良心がみな知っています。説明する必要はありません。すべて分かるようになっています。自分がいかなる位置にいるか、皆分かるようになっているのです。分からないようにはなっていません。そうして、皆さんの家庭が、全体から見で、み言の内容と比較して一体化、イコールとなれる価値的な存在として、神様に永遠に認められる永生の実体基盤を、家庭において築かなければならないのです。

 サタンの血統が残っている限り、永生の因縁が残らないのです。サタン世界の血統を凌駕した愛を中心として、愛の全体の骨肉、自分の生活圏のすべて、神様が創造した環境にまで、主体的な影響を与えられる家庭にならなければならないのであって、影響を受ける家庭になれば、天国に入っていけないのです。

 そのような膨大な過程を考えてみるとき、皆さんの家庭はどのような位置にあるのでしょうか? 誰も当てはまる者がいません。今や第三次アダムの完成は、三億六千万双を完結すればなされるのです。次は、サタンの血統をすべて断絶しなければなりません。サタンの血統が断絶し、堕落の痕跡がない、そのような基盤の上に定着していく家庭が、第四次アダム圏なのです。(二八八-一〇八、九七年十一月二十五日)


   訓読会の重要性


 訓読会の重要性はなんと大きなことでしょう! 天上世界や地上世界において、自分の子孫や一族を、一挙に打って分別できる内容なのです。それが皆さん自身にかかっていることを知らなければなりません。常に深刻です! 霊界にいる先祖から世界の子孫たちにいたるまで、自分にかかっているというのに、どれほど深刻なことでしょう。一歩誤まれば皆ひっくり返るのです。(二九六-二三七、九八年十一月十日)

 皆さんが今、地上でやっている訓読会は絶対に必要なものです。そこに合わせて着地しなければなりません。霊界は既にそれをやっています。霊界では一週間以内にすべてが定着します。ですから、地上でやるべきことが、どれほど急がれているか知らなければなりません。訓読会を通じて家庭が定着できる時代に入ったのです。それで訓読会が重要なのです。これは霊界にいる自分の先祖の解放と今後の自分の後孫を解放するためのプログラムです。過去・現在・未来が一つなのです。(二九一-二三七、九八年三月十五日)

 訓読会を重視しなければなりません。ご飯を食べることより重視しなさい。そこに面白さ、醍醐味を感じなければなりません。「私が今、どこに向かっているのか、いかに生きているのか?」というとき、何点になるかというのです。すべてに点数をつけなければなりません。自分自身のことは、自分が一番よく知っています。それから一六〇家庭、一八○家庭を祝福し、氏族が入籍するときには、皆さんの姿勢を重視しなければなりません。

 ご飯を食べるよりもおいしく、現在暮らしていることよりも現実的でなければなりません。ご飯を食べることは忘れても、訓読会を忘れてはなりません。一日のうちで朝だけ訓読すべきですか、昼や夜にも訓読すべきですか? 夜食を取る時間があるなら、四回やらなければならないのです。朝に起きて訓読し、昼にご飯を食べてから訓読せよというのです。夕ご飯を食べて訓読し、眠る前にまた訓読するのです。そうすれば霊的な生霊が育つのです。やらなければ、真っ暗で雨の日のようであり、霧がかかったように胸が苦しいのです。祈祷する時間より、訓読会の時間をもっと重視しなければなりません。なぜですか? それは完成するためです。真の父母が皆さんを完成させる時間だというのです。(二九五-二七四、九八年九月八日)

 訓読会は涙なしでは過ごせない時間であるということを、皆さんは知らなければなりません。今は不平を言える内容が何もないのです。すべての者が歓迎しなければならないのです。真の父母が定着したすべての心情世界を、皆さんの家庭に安着させるためにも、訓読会は絶対に必要なのです。家庭的な訓読会、社会的・教会的・国家的な訓読会、世界的な訓読会が始まるのです。(二九二-二一五、九八年四月十七日)

 先生は闘ってきた過程で、霊界の協助を受けてきましたが、皆さんも同じく霊界の協助を受ける条件を立てなければなりません。家庭が地上に定着するとき、サタンが讒訴し得る環境を越えていかなければならないので、訓読会が絶対に必要なのです。(二九二-二一五、九八年四月十七日)

 訓読会が絶対に必要です。三百六十万双、三千六百万双、四千万双、三億六千万双を誰が教育しますか? 私はそれを信じません。私はみ言をすべて知っています。そのみ言に私が涙を流し、生命をかけてみ言を宣言し……、すべてがそのようなみ言であったということを、私はよく知っているのです。そのみ言を皆さんはすべて忘れてしまったのです。(二九六-三三二、九八年十一月十八日)


つづく。


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