阿南信義

7年路程のみことば

7年路程のみことば

アベルとして長子権を復帰することが宿命的責任であることを知っています。人間の責任分担である間接主管圏を勝利的に通過するためには伝道を通して、真のお父様の真の愛を相続することがもっとも必要なことであり、重要なことであると思います。

世界は混とんとする終末的様相と益々なってきました。
限りある地上生活の中で、その根本的目標を成就するために全力を挙げたいと思います。





真のお父様のみことば

七年路程  一九七八年一月二日アメリカで語られたみ言

万物と旧約時代
 創造原理の観点からみると、神は宇宙を先に創造しました。経済基盤をつくられたのです。万物、物質を先につくられたのです。復帰摂理は再創造の道です。故に創造原理にのっとっていかなければなりません。ですから私たちは第一に物質を先に手がけます。私たちは再創造の時、神との共同再創造者となるのです。創造原理に沿って、万物再創造の条件を立てていかなければなりません。

 神がこの世界を創造される時、遊び半分で中途半端になさったでしょうか。全身全霊を込めて集中して創造しました。それと同じように私たちも再創造の過程において、全身全霊を込めなければなりません。自己を忘れた無我の目的のために一日中、くる日もくる日も黙々と働くのです。そしてそこで得たものを神と国家の偉大なる目的のために捧げるのです。三年間、それを続行することによって、犠牲的生活、奉仕精神は皆さんの生活習慣となって身につきます。それがあなた方の人生の生き方になります。

 歴史的にいえば、皆さんがこの期間を経過することにより、旧約時代を通過することになるのです。なぜならば、旧約時代は万物を捧げることにより、神の前に近づいた時代だからです。ですから、統一教会のメンバーであれば誰でも最初に、この基準を通過しなければなりません。最初にそれをすることによって、旧約時代の歴史的な負債を支払っているのです。統一教会のメンバーは誰でも、先生もそうです。

 皆さんが最前線で活動する目的がわかりましたか。これを通じてアダムになろうとしているのです。今はあなた方はまだ万物よりも劣る立場です。ですから自分を引き上げ、アダムより以上の立場に位置させ、神に受け入れられたアダムに自分をつくるのです。ですから結局は自分自身のための摂理路程を歩んでいるのです。

 しかし、実際のところすべての物質、万物を復帰することは非常に困難です。皆さんは必死になって働き、ひたむきに汗を流しながら多くのものを投資して行うのです。したがってその体験、成したことはあなた方にとって、本当に貴重なものとなるのです。皆さんは、それに必死にしがみついていなくてはなりません。皆さんはこの責任分担で多くのものを投資します。心、魂、汗、労働など。そうしてここでの経験が成り、実績がでるのです。ですからそれは、いつまでもあなたにとって忘れることのできない、貴重なものとなって残るのです。思い出の頂点に立つのです。霊界では蕩減や復帰ほど重要なものはありません。蕩減を払って自分自身を復帰した人は、霊界では最も貴重な存在となるのです。もし皆さんがこの期間を通過できないとすれば、神と先生と何らの関係のない者となるのです。ですから私たちは乗り越えて旧約時代を蕩減していかなければなりません。今、皆さんはまさに、それをなしているのです。

伝道と新約時代
 次に皆さんは、人間再創造の道へと移行していかなければなりません。その理由は、神は万物をつくられ、そしてアダムとエバを創造されたからです。人間再創造の道、これが伝道です。この期間は新約時代に相当します。

 皆さんは三年以内に三名以上、十二名までの霊の子女を復帰しなければなりません。イエス様は、三年間に十二弟子を見つけられました。ですから皆さんも三年間に、イエス様の十二弟子の蕩減復帰をしなければなりません。まず、十二人の霊の子女を見つけることです。しかし、皆さんにぜひ知って欲しいことは、イエス様でさえその三年の末に、十字架にかかる時、十二弟子は逃げ去ってしまったということです。皆さんはどの点からも、イエス様より勝らなければなりません。皆さんは、自分自身が十字架につくような時にも、決して逃げ去ることのない十二人の霊の子女を見つけなければなりません。

 一つの魂を救うことがどれほど困難なことか、皆さん良くおわかりでしょう。その経験を通して、先生が復帰のためにどれほど困難な路程を歩んできたか良くわかりますね。伝道もまた公的生活、無私の生活をしなければできません。聖書に“一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる”とあるように、他者を生かすために自分を無にし、犠牲となって行うのです。すべてのエネルギーを排出して、自分を死なせその中から新しい生命が誕生するのです。それが伝道です。

 ですからこの期間はしっかりとロープにつながって、公的生活をしなければなりません。サタンも神も私たちをじっと凝視しているのです。もしそれができないと、サタンが皆さんを釣り上げて「これはわしの子よ。神よ、これはお前の子ではなく、自分のものだ」と言って、とりあげてしまうのです。

 またある人が先生のところにきて「伝道にどれほど力を入れて働けば良いのでしょうか」と質問したとすると、それに対して「皆さんは最前線で一生懸命頑張って、わずかなものを得ることがどれほどの苦労か良く知っているでしょう。伝道においてはそれ以上に一生懸命働くのです」と先生は答えます。実際、前線の伝統は統一教会の運動の基準を定めるものです。なぜなら万物を復帰するには、大変な努力を注入しなければならないからです。ですから万物以上に貴い人間を復帰するには、それ以上の力を注がなければならないことがわかるでしょう。

 このように伝道において一生懸命努力して十二名を復帰することにより、新約時代を乗り越えることができるのです。新約時代はイエス様が十字架につけられてから始まるようになったのです。十二人の弟子が逃げ去って始まるようになったのです。ですから皆さんは、十二人の霊の子女を復帰し、しかも十字架につけられるのではなく、新約時代を蕩減復帰するために生き残り、乗り越えるのです。私たちは、二千年前のイエス様の失敗を蕩減復帰していくのです。

 そして同時に、アダムの再創造の道を歩むのです。皆さんはアダムとエバの立場であり、十二人の弟子が皆さんの子女の立場をとるのです。ヤコブの十二人の子供たちが、イスラエルの十二の氏族を率いていきました。霊界には十二の門があります。一年には十二カ月があります。十二という数は全宇宙をさします。ですから皆さんは十二という数を勝利しなければなりません。

 皆さん、伝道は何の目的のためにするかわかりましたか。それはイエス様の摂理路程を蕩減復帰するためです。祝福を受けるためには、イエス様を上回らなければなりません。それはどういうことかと言いますと、イエス様の弟子は裏切って去って行きましたが、私たちの霊の子女は決して裏切らない者でなければならないということです。そのためには霊の子女と共に、彼らの先頭に立って昼夜働かなければなりません。危険がきたら皆さんがそれを封鎖するのです。石で打つなら霊の子女を守って、皆さんが打たれるのです。このようにして勝利するのです。

愛の時代
 これから以降は、最前線での勝利と十二名の霊の子女が復帰できなければ、祝福を受ける資格はもてません。去年までは、先生自身が蕩減を払って、それにより多くの人に祝福を与えてきました。先生は「神よ、私に蕩減を負わせて下さい。私に彼らの責任をとらせて下さい。私はそれを自分の肩に背負って参ります」と祈って今まできました。しかし今からは皆さんが背負っていくのです。今までは、その故にたった三人の霊の子女で良かったのですが、今からは十二名の霊の子女が必要とされます。

 十二名の霊の子女を得ることのできない人の中には、教会を去る人が出てくるかも知れません。残念なことですが、鉄則を曲げることはできません。妥協は許されません。私たちはあくまでも原理に従わなければなりません。ですから、祝福は皆さん次第です。教会に三年いたからと言って、それが祝福を受ける資格にはなりません。どういう責任を完遂したかによって、資格が与えられます。すでに祝福を与えられた者であっても、責任を遂行していない者は一度戻ってでも、完遂する条件を立てなければなりません。

 この基準を越えた者を、先生は神の国へと移します。旧約時代と新約時代を蕩減復帰し、自分自身に関してアダム復帰をして、祝福圏へと移行するのです。皆さんが小さなレバレンド・ムーンであるということは、まさに先生がこのようになしてきたことを、皆さんもなしているからです。このような意味なのです。

 このように旧約時代、新約時代と勝利して入る新しい成約時代は、愛の時代です。故に結婚を奨励する時代です。今までの宗教の世界では、そこまで到達しなかったために、結婚を寧ろ思いとどまらせてきました。しかし、そのレベルまで到達した時、結婚は奨励されるのです。

七年路程
 神はこの復帰の道を七千年生きてこられました。神の復帰歴史の七千年です。キリスト教は人類のために七百年の歴史で貢献してきました。その土台の上に、キリスト教徒は七十年でこの路程を歩むのですが、統一教会は七年間で完了します。クリスチャンは同じ栄誉、特典を得るために七十年の期間を費やします。七十年の犠牲と蕩減の道を歩んだあげくに結婚しても、その結婚は意味をなしません。しかし、皆さんの場合、七年間という青年期のある期間を通して天国圏に入ることができるのです。

 全七年路程において、三年半は夫と妻の立場で歩みますが、純潔を保たなければなりません。神と真の御父母様の目的に対し、完全に遂げていかなければなりません。そしてその頂点に達した時は、天国へと進行するのです。それが原理です。本来は、蘇生期から完成期まで全期間を歩むのに二十一年間かかるのです。先生自身も二十一年間歩んできましたし、統一教会の全歴史は二十一年路程を通過してきました。しかし先生は、皆さんに特別な摂理路程を組みました。二十一年路程をたった七年で歩む路程です。激しい七年路程の働きを通して、皆さんはこの段階よりトップの位置まで達成できるようになります。それは祝福です。ある意味では大きな値引きだと言えます。

 また皆さんは、先生の電車に無賃乗車しているとも言えます。皆さんが行く必要のある路程はこの七年コースです。この路程を完遂して欲しい、無事修了して欲しいと先生は願っています。皆さんは七年間で全摂理路程を歩む立場に立つわけです。七年間は蘇生、長成、完成の三区分に分かれます。

 この期間に自分のことを考えるような、自己中心的な者がいるとすれば、その者は七年路程を歩めません。堕落性本性とは何でしょうか。それは自己中心主義、利己主義で、自分のみを貴重に思うことです。この堕落性本性の中に安住する者は誰でも、七年路程のどの領域をも歩むことができません。たとえ七年路程を歩んだとしても、そこから何ら益として得るものがないでしょう。だから無私なる、公的生活をしなければなりません。それは最前線においても、伝道においてもそうしなければならないのです。その生活を通過すると次の段階へと移行するのです。

 長成期に移行し、真の父母の位置にまで到達するのです。真の父母は、すでにこの道を私たちのために開いて下さっているのです。歴史上、今までこの橋を渡った人は真の父母様以外にいないのです。私たちのために基台を造成して下さったので、高速道路を建設して下さったのです。その御跡を歩むことによって、同じ高峰に達成できるのです。これが理由で、たとえ祝福を受けたとしても、その後三年間は別離の路程をいかなければなりません。一心不乱に自分を犠牲として捧げていくのです。

 成約時代圏まできた時、皆さんは祝福を受けることができるのです。神が自分に最高の花嫁を選んで下さるのです。皆さんの人生は、明確に神によって形づくられているのですから、神は皆さんの人生を設定しておられるのです。神はアダムを創造して「アダムよ、行って好きなように女性を嫁にとりなさい」とは言われませんでした。神はすでにアダムのために妻を準備しておられたのです。それと同じように、自分好みで女性を嫁にする立場にはありません。神がその人を与えて下さるのです。それが創造原理です。創世記に“神はアダムを創造され、その妻エバも創造された”とありますが、それと同じです。すると、男性にとって十五億の女性は何ら関知するところではありません。ある意味では堕落した天使長のようで、敵です。もし皆さんが「堕落した天使長よ。私を誘惑しようと巧みに近寄ってきても、私は絶対揺らぎません。動じません」ときっぱりと、堅固に神側に立つならば、神は「息子よ、私は誇らしく思う。さあついてきなさい。一緒に天国に行きましょう」と言います。

しかし誰かが「神様、ここにもっと素晴らしい女性がいます。私はあの女性のところに行きたい」と申し出たら、神は「お前は何を言うか、お前に最高にふさわしい妻を創ったではないか」と言います。それが原理です。
 このように神が授けて下さった夫、妻を最前線あるいは伝道で一生懸命に働き、尽くし、努力した以上に愛するのです。そして祝福の後、窮極の目的である神の愛を相続するために蘇生、長成、完成級の段階を経るのです。これは私たちの絶対的な義務です。十字架にかかって死ぬのではなく、生き残って憶えられ、神の窮極の目的に達して、神の愛を相続するのです。天国にゴールインするのです。はっきりわかりましたか。蕩減を完全に払い終えた時、歴史上で負債を完全に返済した人となるのです。そうすると、神の愛の世界に辿りつき、神の愛の中で信頼されるにふさわしい、神の愛の相続者になるのです。




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