阿南信義

天国創建の公式はカインアベル問題

天国創建の公式はカインアベル問題です


天国の創建の公式を立てるために、メシヤが苦難の路程を歩まれてこられました。神の子が堕落人間の罪を蕩減して自ら血を流しながら、復帰の公式を示してくださいました。

メシヤが立てられた公式を歩むこと以外で天国は決して創建することはできません。
その公式はカインアベルの問題です。その思想理念をしっかりと理解することがまず、大事なことである思います。

家庭連合において、なぜ家庭教会氏族的メシヤ摂理が進展してこなかった理由の根本は、真のお父様の天国創建の公式の理念を理解することが出来なかったからと言えます。
理解させまいとして逆の論理を展開したカインアベル観をサタンは風潮してきました。それに負けたからでした。

今、アメリカは衰退し、世界は混乱しています。また日本もそのような状況となってきました。それを克服するには真のお父様の氏族的メシヤ思想を実践するしか、救済する道はないと考えます。


なぜなら、天国創建の公式はカインアベル問題であり、アベルがカインを愛する蕩減復帰の路程を勝利するしかないからです。

メシヤが天国創建の公式を示され、実際行動され、それを祝福家庭に相続させてくださいました。それの公式をまず、知的に理解し心情を受け継ぐことで実践が可能となります。

私たちが氏族的メシヤの理念を実践し実体化するしか、救国の道はないと思います。





八定式5


お父様のみことば  1986年1月1日

今年の年頭標語は「天国創建」です。今までは「祖国創建」でしたが、天国を創建するには公式があります。その公式は何かといえば、カイン、アベル問題です。歴史路程において、カイン、アベルの問題です。もし堕落になかったならば、アダム、エバが長子、長女となって本然の神の直系の子女となったはずでした。しかし、堕落することによって、長子の立場を奪われてしまったのです。アダムは長子の立場を奪われてしまったのです。これを復帰するためには、サタンが上にあり、神が下になり、次子を神が取って、長子の立場を復帰する歴史を展開してくるのです。これが個人から家庭、氏族、民庭、国家、世界に至るまで、長子権を復帰しようとすれば、そのままではできません。長子は兄でありますが、兄を次子にし、次子が兄にならなければなりません。そういう道理はありません。

 堕落しないで長子が長子として生まれたならば、その父母の系統を受け継いで父母の代わりに次子を指導することができるのです。そのために長子の権限は、次子を支配することのできる立場です。それで今まで、堕落した後にサタンが長子を取ったので、次子を支配できる立場に立ってきたのです。それで、これを復帰するためには、強制的に復帰することはできないのです。愛をもって、その長子権を復帰するためには、サタンの愛以上の愛がなくては帰ってくる道がないのです。このことを知らなければなりません。サタン側の愛、堕落した愛、堕落した父母あるいは堕落した兄、彼らがもっている、堕落した世界がもっているすべての愛は、サタン圏に属した愛です。このサタンの愛というのは何かといえば、長子圏に属する愛なのです。

 では、これまでこの世のすべての人々が属しているその愛、あるいは夫婦の愛、父母の愛、子女の愛とか、愛というすべての愛は長子圏、堕落圏に属した愛なのです。それでこの長子圏を越えるためには、次子の立場において、逆にこれを蕩減復帰しなければなりません。蕩減という言葉は、そのままに越えることはできません。サタンが必ず代価を払わなければなりません。代価を払わなければ越えることができません。蕩減するのに、何をもって蕩減するのでしょうか? 愛の犠牲、愛の心をもって血を流すところにまでいかなければなりません。それでこの前、話をしたように、旧約時代にはすべての万物が血を流し、神側の人々、神の愛する神の子と神の僕と神の養子とが行くこのとできる道を開いておくのです。これが旧約時代です。それで旧約時代はすべてが万物を犠牲にして神の人々を蕩減復帰するために血を流さないわけにはゆきません。血を流すにも、強制の血をもってではいけません。自ら進んで犠牲の血を流す、そのようなものでなければサタン世界の愛よりも優れたという愛の道を見いだすことができないのです。祭物というのは、そのような意味においてサタン側の所有物を神の側にもとがえす、一つの条件となるのです。

 このような内容をなっていることを歴史路程においてはっきり分かりませんでした。しかし、そのような歴史を経てきたことを知ったので、人間世界では祭祀(さいし)をささげてきたのです。祭物の中には万物の祭物とか、ここには牛とかぶたとか、女性を殺して祭祀を行ったのであります。その祭祀を行うには、どのようにすれば良いかといえば、自分の生命の代わりにささげるのですが、それをささげることによって、自分自身を見いだし、本来の長子の立場を探し出すために、自分自身を犠牲にすることのできる愛の心をもたなければ帰っていく道がないのです。それで旧約時代は、神の人々を探し求めるために犠牲となってきたのです。愛の祭物として犠牲となるのです。自ら進んで犠牲になるこの立場に立てなければ、神へ帰っていく道がないのです。

 新約時代はどのような時代かといえば、イエス様が神の息子として来られ、次にキリスト教信者が養子圏の立場で、キリスト教圏を中心として犠牲となってきたのです。キリスト教圏とは何でしょうか。新約時代は、神の子女、神の人々を犠牲にして何を復帰するための時代であったかといえば、父母様を復帰するのです。そのためにキリスト教は、兄弟であるカイン、アベルのうち長子がサタン側になったので、次子が長子の位置に世界的基準にまで上がっていくのです。そのような世界的使命をキリスト教が今まで歴史を代表してやってきました。それゆえ世界的な迫害を受けながら、キリスト教は今まで血を流しながら、愛をもって奉仕し犠牲になることによって、兄が愛する弟を打ったり、けったり虐待したりあらゆることをやってこれ以上やることができないという限界線に到達したとしても、弟は死ぬまで愛をもって兄に対するのです。ここから回っていくのです。

 イエス様は十字架上で怨讐のために祈りました。今まで先に生まれた人々は長子です。長子権です。あとから生まれた次子の立場から長子権を蕩減復帰しようとするから、全世界の人々を愛したという条件を立てなければならないのです。そして血を流さなければ越えていく道がありません。このような意味から、祭物の代わりに十字架の道理が成立したということをキリスト教信者は知りません。なぜ十字架で亡くなったかという問題を知りません。



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