燎原の火のごとく
お父様のみことば 御旨と世界 852p
メシヤたる者はいったい、神の前にどういう男か。神もそういう者が必要だね。しかし、メシヤたる者はいかなる者か。メシヤは、ただ一つ、神の内心にあったその愛があるとすれば、その愛の全体が集結したその愛、方向を固め、出発点を同じくして、一致した方向のその愛を、総合された愛を受ける最初の者である。その者とは何か。神の前に初めて生まれた長男。長男だね。分かりました?
メシヤとは何かというと、神の愛の前に初めて生まれた、神の愛の前に立った、初めて神の長男としての愛を受けるそういう立場に立った者がメシヤだ。だから、イエス様もそういうことを言ったんだね。
イエス様はひとり子、一人息子である。ひとり子、息子であるというのは、全体の愛を受けることである。始めから終わりまでね。神が絶対なる主体となれば、(メシヤは)男として、絶対なる主体圏に立つ者だ。
それはどんな立場か。親子の関係だ。親子の関係。分かりました?だから神の全体の愛を、個人に向ける愛、それから家族に向ける愛、氏族、民族、国家、世界に向ける愛。神の長男の子供として、すべての圏を超越したその基準において、代表的な愛を受ける資格をもって来られる者が何?(メシヤ)。だから、神の子供。神の愛する子供が生まれてきた。
しかし、愛する子供一人で何になるか。子供自体は、その相対者を得なければならない。相対者をどこから得るか。天上から得るんじゃない。堕落の結果地上で失ったんだから、地上で再創造しなければならない。それで地上において宗教は何をやったかというと、天がプラスと言えば、地はマイナス。だから、天に向けてメシヤを願う。愛の主体者を願うところは神様ではなくして、この地球だね、人間世界だね。主体の愛を願うんだ。その思想がメシヤ思想だ。
全体蕩減 1983.4.3

お母様が堕落したということを受け止めることのできない家庭連合(旧統一教会)の多くの食口がおられることと思います。
完成した立場で堕落は有り得ないと信じ切っています。
しかし、現実、起きてはいけない事柄が起きています。
アダムとエバの時もそうであり、イエス様の時もそうでした。
神様からするならば有り得ないことです。そのためにどれだけの準備をしてきたかということ、どれだけの蕩減を払ってきたかということを神様の立場から見るならば、更に考えられないことです。
しかし、人間の責任分担という原理があります。
再臨のとき、第一の復帰されたエバの立場の崔オモニはお父様を偽キリストと言いながら、お父様を不信し、荒野路程へと追いやりました。
第三の韓オモニは自分が独り娘、独生女であるとして、上記のお父様のみことばとは全く違うことを言うようになりました。そしてお父様の代身者相続者の亨進様を追放したのです。
メシヤを追放することは神様の摂理を破壊することであり、サタンの主管下に堕ちたことを意味します。
私たちは天の心情から判断しなければなりません。
そして、正しい方向に早く、戻らなければ歴史的な汚点を後孫に末永く残すこととなります。
ところで、
私の自宅のお風呂は太陽光で沸かしているのですが、太陽がでないときは薪を燃やして沸かしています。今日も大分は大雨で、薪で沸かすことになりました。
最初は湿気が多く、なかなか燃えつきがよくありません。しかし、一旦火がつけば、それはだんだんと強い火となり、ほっといても風呂のお湯が沸いてきます。
今、サンクチュアリは小さな火かもしれませんが、間違いなく燎原の火の如く燃え上がり、この世を照らす光になる日も近いことを感じています。

同感の方は下のボタンの
クリックをお願いします。

にほんブログ村
メシヤたる者はいったい、神の前にどういう男か。神もそういう者が必要だね。しかし、メシヤたる者はいかなる者か。メシヤは、ただ一つ、神の内心にあったその愛があるとすれば、その愛の全体が集結したその愛、方向を固め、出発点を同じくして、一致した方向のその愛を、総合された愛を受ける最初の者である。その者とは何か。神の前に初めて生まれた長男。長男だね。分かりました?
メシヤとは何かというと、神の愛の前に初めて生まれた、神の愛の前に立った、初めて神の長男としての愛を受けるそういう立場に立った者がメシヤだ。だから、イエス様もそういうことを言ったんだね。
イエス様はひとり子、一人息子である。ひとり子、息子であるというのは、全体の愛を受けることである。始めから終わりまでね。神が絶対なる主体となれば、(メシヤは)男として、絶対なる主体圏に立つ者だ。
それはどんな立場か。親子の関係だ。親子の関係。分かりました?だから神の全体の愛を、個人に向ける愛、それから家族に向ける愛、氏族、民族、国家、世界に向ける愛。神の長男の子供として、すべての圏を超越したその基準において、代表的な愛を受ける資格をもって来られる者が何?(メシヤ)。だから、神の子供。神の愛する子供が生まれてきた。
しかし、愛する子供一人で何になるか。子供自体は、その相対者を得なければならない。相対者をどこから得るか。天上から得るんじゃない。堕落の結果地上で失ったんだから、地上で再創造しなければならない。それで地上において宗教は何をやったかというと、天がプラスと言えば、地はマイナス。だから、天に向けてメシヤを願う。愛の主体者を願うところは神様ではなくして、この地球だね、人間世界だね。主体の愛を願うんだ。その思想がメシヤ思想だ。
全体蕩減 1983.4.3

お母様が堕落したということを受け止めることのできない家庭連合(旧統一教会)の多くの食口がおられることと思います。
完成した立場で堕落は有り得ないと信じ切っています。
しかし、現実、起きてはいけない事柄が起きています。
アダムとエバの時もそうであり、イエス様の時もそうでした。
神様からするならば有り得ないことです。そのためにどれだけの準備をしてきたかということ、どれだけの蕩減を払ってきたかということを神様の立場から見るならば、更に考えられないことです。
しかし、人間の責任分担という原理があります。
再臨のとき、第一の復帰されたエバの立場の崔オモニはお父様を偽キリストと言いながら、お父様を不信し、荒野路程へと追いやりました。
第三の韓オモニは自分が独り娘、独生女であるとして、上記のお父様のみことばとは全く違うことを言うようになりました。そしてお父様の代身者相続者の亨進様を追放したのです。
メシヤを追放することは神様の摂理を破壊することであり、サタンの主管下に堕ちたことを意味します。
私たちは天の心情から判断しなければなりません。
そして、正しい方向に早く、戻らなければ歴史的な汚点を後孫に末永く残すこととなります。
ところで、
私の自宅のお風呂は太陽光で沸かしているのですが、太陽がでないときは薪を燃やして沸かしています。今日も大分は大雨で、薪で沸かすことになりました。
最初は湿気が多く、なかなか燃えつきがよくありません。しかし、一旦火がつけば、それはだんだんと強い火となり、ほっといても風呂のお湯が沸いてきます。
今、サンクチュアリは小さな火かもしれませんが、間違いなく燎原の火の如く燃え上がり、この世を照らす光になる日も近いことを感じています。

同感の方は下のボタンの
クリックをお願いします。

にほんブログ村
スポンサーサイト