私が家庭連合(旧統一教会)を退会するに至った最初の理由
私の家庭が天一国経典(赤色)の天聖経を貰い受けたのは(献金して)2013年の11月でありました。早速、それを一読した時に、その異変に気付いたのでした。
私は以前から家庭教会摂理がいかに重要であるかを感じて、そのみことばの整理をしていました。古いファミーを引っ張り出して、お父様のみことばを何度か読み直していました。
その中で、1981年1月1日にお父様が教会と家庭教会の関係を具体的に語られていました。教会は事務所のようなもので、天国の鍵は家庭教会であり、それは天国の基地となるという内容が明確に語られていたので、その関係性をとても納得し、本来の天の願いであると確信していたところでした。
ところが赤色の天聖経を読めば、家庭教会が事務所ということに変わっているではありませんか。前後を読めばだいたい同じことであるにもかかわらず、肝心な家庭教会に対する位置が全く逆に記されていることに、驚き、不信をもつこととなりました。
以下はそのみことばです。
■1981.1.1「家庭教会は私の天国」ワールド・ミッションセンター お父様のみことば
ここで、先生は同じような状況にいます。先生は地上天国の鍵を与えなければなりません。すると、その鍵を与えた後、私はイエス様のように十字架へ行くのでしょうか。(いいえ)。それをすでに確保したので、違う方向へ、違った状況へと向かって行くのです。大きな希望と期待をもって、より高い次元の働き、すなわち完全な天国へと向かって行きます。イエス様が地上を去ったとき、彼は自由に、思い通りに、また帰ってくることはできません。この点でも私は異なっています。弟子に鍵を与え、地上を去った時、また戻って来たければ戻ってくることもできます。
私が戻ってくるときは、統一教会に戻ってきますか。それともホーム・チャーチに戻ってきますか。(ホーム・チャーチ)なぜですか。教会は家庭のための、社会のための事務所のようなものです。それはちょうど中間のようなもので、事務所です。しかし、ホーム・チャーチは神が働くことができる所、父母様が働くことのできる所、息子、娘がすむことのできる所、一生涯ともに暮らすことのできる所です。真の兄弟がそこに住み、真の氏族がそこに住みます。それがホーム・チャーチです。
■天一国経典天聖経(赤色) 第一節家庭教会の摂理的意義 P941
3 先生は、統一教会の教会員に天国の鍵をあげるのです。先生は、死ぬために十字架に行くのでしょうか。死ぬために行くのではありません。希望をもって、より高い所に行くのです。イエス様は、行って帰ってくることができず、何千年の間、来ませんでしたが、先生は、行けばいつでも来ることができ、思いのままに行ったり来たりできるのです。
帰ってきてからは、統一教会を訪ねていくのではなく、家庭教会を訪ねていかなければなりません。先生が訪ねるべき所は家庭教会ですが、家庭教会は神様が臨在できる所であり、父母様が臨在できる所であり、息子、娘が暮らせる所、一族が暮らせる所です。家庭教会は、家庭のための社会的事務所です。
かつて、ダンベリー刑務所でお父様が神山元会長にみことばを訓読させながら、まとめられた「み旨と世界」を出版された時に、お父様のみことばを一字一句変えてはならないと強く指導されたことを思えば、このような改竄はあってはならないことであります。
なぜそうなったのかということに対して、2015年になってからその意図が明らかになってきました。お父様のみことばを改竄するということは、サタンの仕業としかいいようがありません。お父様のみことばを変えることはお父様本体を曲げ、その姿を否定することとなります。
結局のところ、1976年9月ワシントン大会を勝利した真のお父様は、翌月10月天勝日を宣布されて、すべての勝利の恩恵を子女たちに与えるとして家庭教会の摂理を開始されたのですが、今に至るまで、その目的は成就することなく、40年経ってしまいました。
その背景には、教会と家庭教会の関係を意図的に転換して、曲げてきた教会側の姿勢があったからと気づかされました。絶えず、中央集権体制をとり、食口と家庭教会を下の下においてそれを利用してきたからにほかなりません。
そして、みことばを改竄することにより、お父様の心情の奥深くにある人類をいかにして救い、天国を実現して、神様を慰めようとする摂理を永遠に破壊しようとする今の体制は、サタンの機関となってしまいました。
今の家庭連合(統一教会)は悲しいかな、その道を突き進んでいます。
私が退会することに至った最初の理由がそれです。
大分教会 阿南信義