阿南信義

アベルがなすべき長子権復帰の原則


一勝日の意義3


①堕落によりアベルとカインは怨讐関係

私たちは原理を通して、アベルとカインは怨讐関係となっていることを知っています。カインがアベルを殺す事態となり、今日までの歴史はその繰り返しとなっています。堕落世界は個人から家庭、世界に至るまでアベルカインの葛藤が現実に続いている悲惨な世界となっています。

②間接主管圏はカインが先に上がるのが原則

神の間接主管圏は長子が先に上がるのが原則で、その後に次子の順番となります。イスラエルの歴史を見ても長子が家系を繋いできています。
神様の原則がそうであるからで、アベルはカインの先に上がることはできません。


③サタンが長成期完成級まで占領している


人間の堕落により、神の間接主管圏の長成期完成級までサタンが占領し、主管しています。カインはサタンの側であるため、間接主管圏を上がることはできません。アベルは次子の立場では上がることはできません。


④アベルはサタン世界に行って長子権を取り戻す

人類歴史で初めて、アベルとして勝利したのはヤコブでした。ヤコブはサタン世界のラバンの下で21年の苦役路程を通して、アベルでありながら長子権を勝利しました。アベルで長子の立場を復帰して神様の願われる間接主管圏を通過して行くことのできる道が開けました。

日本の統一教会家庭連合において「カインはアベルに侍り、命令を聞け」という思想は神様の原則とは全く逆の説でサタンの思想と言えます。日本のサンクチュアリも注意すべき点であると思います。

⑤アベルが兄、カインが弟の立場に帰って、二人とも神様に帰る道ができる

アベルが長子の立場に立って初めて、間接主管圏を通過することができ、次子の立場のカインもともに成長することができます。長子が初めで、次子は次の原則があるからです。

⑥アベルは長子として上がって、責任を果たす

アベルとカインが一つとなって完成するときに、父母の位置を復帰することができます。父母の堕落により分立されたアベルとカインが神の真の愛による一体化した姿で、堕落してない父母を復帰することができるという原理があります。アベルとカインの実体基台の完成によりメシヤを迎えることができます。





真のお父様のみことば  一勝日の意義 1985年8月25日

皆さんが原理を通して既に学んでいるように、人間が堕落してしまったので、それを再び復帰していくのです。それでは復帰歴史において、その全体的責任を、だれがもたなければならないのでしょうか。アダムが堕落したので、アダム的使命をもった方が来られて、そしてすべてを明らかにしなければ、子女となる人たちに責任を果たすことができないのです。この世の人々は、堕落した子女として生まれたので、すべてが怨讐となっています。アダムとエバも怨讐となっていますし、カインとアベル、親と子、天使世界と人間世界、神様と人間というように、すべてが対立し怨讐の立場にあるのです。

 このような歴史過程において、神様は一つの役事をしてこられました。ここにおいて選民を立て、すなわちヤコブを中心としてイスラエルの名を立てて、初めて神様が人に相対することのできる、神の干渉圏が生まれたのです。そして、二〇〇〇年後に、イエス様が生まれてきたのです。しかし、その使命を完成することができなかったため、再臨時代へと摂理は延長していきました。このように、神側において、本格的に人を選んで摂理をし始めたのが、ヤコブの時からの四〇〇〇年歴史なのです。

 そして二〇〇〇年間かけて、神はイスラエル民族を中心としてメシヤを送ってくださったのです。メシヤとは、いかなる人をいうのでしょうか。完成した格位に立ち得るアダム、エバの、その立場に代わって立てる方がメシヤなのです。それでは、メシヤが対することのできる、イスラエル二〇〇〇年歴史に残された人たちは、どのような人たちだったのでしょうか。それはメシヤの後孫ではなく、サタン世界から、堕落したアダム、エバの子女の中から、アベル的な立場に復帰して、探し立てた群れなのです。

 メシヤを迎える時までは、国家基準なのです。そのために、ユダヤ教を中心としたイスラエル民族、国家を中心としてカイン、アベルか一つとなって父母を中心として立たなければ、復帰原則が立てられず、サタン世界から戻る道がないのです。私たちには間接主管圏があり、そののちに直接主管圏に上がっていくようになっています。だれが上がれるかといえば、本来は原理に従って長子が上がれるようになっています。長子が先に上がらなければなりません。長子が上がったあと、次の子たちが上がるようになっていたのです。しかし、堕落することによって、長成期完成級の基準までサタンが占領してしまいました。そしてサタンが長子の立場を占領し、主管しているので、サタン主管圏内に長子の基準がすべて含まれてしまったのです。そこで、神は弟であるアベルを立てるのですが、アベルは次子の立場なので、神のほうに上がっていく道がないのです。原理的に見て次子の立場からは上がっていく道がないのです。それで、次子の立場に立っているアベルが、サタン世界に出ていって長子権を段階的に取り戻さなければなりません。長子権を取り戻さなければ、上がっていく道がないのです。

 すなわち兄が弟の立場、弟が兄の立場へと転換させるために、サタン世界に行ってこれを逆にして戻ってくるのです。兄が弟に従ってきて、兄が弟の立場に立つようになれば、アベルの兄の立場に立ち、兄であったカインが弟の立場に立って、二人ともに神様に帰る道が整えられるのです。そのような歴史を反復するのです。そのようにしなくては、アベルは長子として上がっていって、責任分担を果たす道がないのです。元来は長子が次子より先に上がって、責任分担を果たすはずであったのです。本来は、最初に生まれた息子であれ、次に生まれた息子であれ、神側の人とならなければなりません。しかし、これがサタン側の息子となったので、問題となるのです。

 それで皆さんも堕落することによって、心と体が分かれてしまったのです。体は最初に造られたので長子の立場です。そして、霊人体は次に造られたので、次子の立場にあります。長子の立場にあるこの体は、全世界のサタン圏内に連結されているのです。ですから体が欲するままになしては、次子を復帰する道がありません。そういう結論になります。


以上。

ありがとうございました。



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Posted by阿南信義

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