阿南信義

密使と祖国ー礼拝

真のお父様のみことば
「密使と祖国」 1970年2月16日のみことば


復帰摂理歴史と天の密使

 今日この堕落した世界の歴史発展がそうであるように、神様の摂理路程も同様です。この摂理路程は、サタン世界と方向が同じで内容が通じる立場ではなく、方向も内容もすべて反対です。こういう立場から見るとき、新しい基点と、新しい体制を備えて影響を及ぼし得る環境を再建するのは、どれだけ難しいことでしょうか。

 歴史を経て、影響を及ぼすことのできるある一基準を成すまでには、表すことができない内的な闘争の時期があります。その内的な闘争が、時代的なすべての要人と、国家の為政者たちの前に影響を及ぼすことのできる基盤をもつようになるとき、その国家全体を新しい分野で革新することができます。もし狭い範囲に影響を及ぼすようになるならば、一つの村ができるでしょうし、一つの家庭もできるでしょうし、さらには一つの個人もできることでしょう。

 復帰摂理について見るとき、今まで神様がこのような革新運動を悪の世界に提示しましたが、その影響が社会と国家にすぐに及んだことはありませんでした。いつも個人がまずその影響を受け、そのあとに家庭を糾合する運動をして、今まで歴史を発展させてきました。これが今日摂理史において、個人が歩んでいかなければならない伝統的な路程です。

 このように個人を通じて家庭から氏族、宗族、民族、国家、世界基準まで達した宗教世界を見てみると、どんな宗教でも闘争の歴史をつづってきたということを知ることができます。




 そのような歴史をつづってくるのに、公然と現れて戦ったのではなく、自分自身を隠しながら環境に追われたり、または制約された環境を抜け出すことができない立場で発展的な要因を利用できないまま、一つの公的な姿勢を備えてきました。

 このような事実を考えるとき、責任を担った摂理的な責任者の立場は、いつも自由な体ではないのです。自分を表すことのできる立場になく、自己主張できる立場になく、自分の行動をむやみにできる立場にないというのです。

 自分本来のすべての行動の要件を隠して、その社会環境と対する人々の前に、現実の社会環境よりもより有益な与件を新しく提示しなければなりません。その人々と何としてでも関係を結んで、心が通じる立場に立って、自分の本心と連結させて発展してきたのが復帰摂理歴史路程です。

過去の歴史的な先祖を顧みると、彼らはどんな時でも密使の立場、すなわち、自分の正体を現すことができずに隠す立場にいました。そういう環境で、自らの踏み台を開拓するために限りなく努力していった人々です。


それで皆さんが今、み旨を中心として覚悟しなければならないこととは、「神様から密使の特命を受けている私の体だ」ということです。それゆえ、自分自身が行動一つ間違うことによってその環境に及ぼす影響は、自分一人だけに限られることでなく、祖国という広大で途方もない内容に連結するという事実を知らなければなりません。

 今日私たち責任者、すなわち核心の要員であり、精鋭の要員だと言える人たちの中で、果たして祖国の主権回復のための天の特使の使命を成すために召命を受けて、担った責任を現地で果たす一存在だと自認できる人たちが、どれくらいいるでしょうか。

 そのためには、密使の使命時代を経なければなりません。密使の使命が完結されるとき、言い換えればその環境で証されて、その環境が自分を信奉し、自分を信じて、自分と相談できる立場に立つようになるとき、初めて天に代わる特使の使命を果たすことができるというのです。しかし、その環境が自分を信じない立場で、自分の権威と自分の国家ならば国家の権威を先立たせて、その環境に出れば出るほど反発が加重されて、排斥の矢が飛んでくることでしょう。

 ですから、皆さんが今後どのような心をもって地域に行かなければならないでしょうか。新しい密使の使命を受けるためにここに召命されたという事実を知って、内的に深く誓わなければなりません。そうして自分の地域に行って、密使の使命を完結しなければなりません。環境を開拓して、自分が絶対的な権限を成し遂げるようになるとき、そこで地域の人たちと共に初めて天の特使の使命を果たすことができるのです。今まで責任者たちが密使の使命時代を忘れて、特使の使命を成そうとしたので、私たちが発展するにおいて多くの迫害を受けてきたのです。

密使の使命を担う過程においては、特使の使命よりもより厳粛で二重三重に心の中で誓いながら、自分の正体がその環境に露出しないように努力しなければならないのです。
 それで彼らの前に利益を与えることのできる一つの条件を提示することによって、彼らが自分の前に順応できる基盤をつくらなければなりません。直接的な作戦よりも、間接的な作戦を起こさなければならないのです。すなわち、個体を検討して連結する戦いをしなければならないというのです。そういう作戦を展開したのちには、彼らを自分と共に生死を分かつことのできる基準まで引き上げなければなりません。そういう立場で自分の信ずるところを打ち明けて、共同の目的を達成することが密使として果たさなければならない責任なのです。

 皆さんは、この民族が私たちを信任しているその基準に満足するのでなく、ここで神様がまだ明かすことができない内的な心情の事情が多いことを知って、これを発展させ、展開しなければならないのです。こういう密使の使命分野を、まだ経ていない私たち自身であるということを忘れてはなりません。

 私たちは、スパイの生活をするように、その環境で一言であっても同化されてはなりません。行動するにおいても同化されてはなりません。時をおいてその環境で、またその部落ならば部落、地域ならば地域など、全体の前に何かを残してあげることができ、利益となる多くの問題を提示する人として認められなければならないのです。密使として責任を負わなければならない使命分野以上の基準を立てなければなりません。そのような立場で命令し、決意し、約束して、新しい運動を展開しなければならないのです。

 今日天のために行く人たちは、派遣された密使です。個々人において大きい小さい、広い狭い、高い低いの差はあるかもしれませんが、各自が置かれている生活自体は、密使の生活を離れてはならないのです。ここには、いつも生死の脅威が介在しています。まかり間違えば永遠な生命の問題が左右される、こういう立場に置かれるようになるのです。

 それゆえ永遠な生命を支えることができ、永遠な生命を保護してくれる私たちの祖国を探すという観念が、その環境より何百倍も強くなければ密使の生活をすることができないのです。その祖国の栄光を見つめる心をもって、祖国の恨みを解いたときに、全万民が喜ぶということを考えなければなりません。そして新しい歴史を創建して祖国の主権復帰の一日を迎えるその時に、自らの功労が表れることを考えながら、現在の立場を無視することができなければなりません。

 そのような心が先立たなくては、密使の使命を遂行することができないというのです。言い換えれば、祖国の主権復帰のための望みが現実の望みより千倍、万倍強まる心になってこそ、今日の生命を取り替える恨みがあっても、それを克服して密使の使命を遂行することができるのです。

こういう立場で皆さんが、これから新しい時代を迎えて、いかなる姿勢を備えなければならないでしょうか。祖国の主権復帰のための信念が、何よりも高く胸の中に燃えなければなりません。

 言い換えれば、六千年間神様が待ち焦がれた祖国を建設する騎手となって、先駆けて立った精鋭部隊の一員として開拓者になるという、この途方もない使命に責任を負った自負心を感じなければなりません。過ぎ去った多くの人たちが手にすることを望みましたが、もとうとしてももつことができなかった、一つしかなく、この一時しかない特権的な使命を担ったという厳粛な責任感をもたなければならないのです。

 ですから食べて、寝て、行って、来るすべての生活が、祖国創建のためのものでなければなりません。神様から特別に派遣された密使として凛々しく、格好良く、「この使命を遂行する」と言って立ち上がってくれることを神様がどれほど待ち焦がれていらっしゃるでしょうか。私たちは国家の足場を備え、全体の内容を提示して、一度も繰り広げることができなかった天のみ旨、祖国を立てることができるという志を立てなければなりません。今までそのみ旨を一度も立てられなかったというのです。

こういう問題について考えると、皆さんに付与されたことが祖国のための密使の使命ではなく、自分が成功するための使命だと思っているならば、皆さんは滅びるのです。このような観念を皆さんが感じて、皆さんの血に、皆さんの肉に刻まなければなりません。先生は、現れることを嫌います。なぜですか。まだ越えなければならない峠が幾重にも重なり残っていて、歴史上で最後の峠を越えることができずに死んだ先祖がいることを知っているからです。

 黙って自分自ら心的基盤に深い根を下ろして、春を待たなければなりません。春が来れば一斉に生い茂って育つことのできる根深い生の価値のために、また自らの力量をみ旨に導入させるために、何よりも時間を投入し、努力を投入しなければなりません。

 そうせずに自身が現れることを望むことは、あたかも根がない木と同じです。根がなく植えられた木は、そのまま枯れてしまうのです。このような問題を中心として、皆さんは再度自分を分析し、批判しなければならないのです。

今や皆さんは、新しい密使なのです。神様から新しい命令を受けて、新しい世界の前に立った皆さんです。これから皆さんは深刻でなければなりません。威信をもって村の人たちに対してはなりません。皆さんの生死の問題が掛かっており、今までの世界の問題が掛かっているのです。

 ですから、深刻な心で新しい運命と共に私の基盤を固めて、密使の任務を全うしなければなりません。サタン世界に、崩れることのない基盤を固めるために、自分の身の振り方に気をつけなければならないのです。それにもかかわらず、昔のままの習慣で、新しい命令などしようがしまいが私のしたいとおりにするという心では、神様のみ旨を成し遂げることはできません。

 新しい服と古い服は違います。新しい命令と昔の命令は違うのです。新しい現在の視点と過去の視点はお互いに違うのです。過去の段階と現在の段階とは大きく違うのです。これが発展的な段階だというのです。新しい自覚と新しい気分と新しい決意で、新しい環境の基盤を備えずには、新しいみ旨を成し遂げることができないのです。

今まで六千年の復帰摂理歴史では、数多くの事情とともに先知先烈たちが犠牲になっていきました。このように血の祭壇を連結させてきたものを、この瞬間に恨みを晴らすことができるのでしょうか。それとも、恨みをもっと積もらせるのでしょうか。このような問題を扱っている深刻な立場に、私たちがいるのです。ですから、神様が同情することのできる心の姿勢、神様が同情することのできる生活姿勢、神様が同情することのできる公平で義理固い姿勢を備えなければならないということを、皆さんは知らなければなりません。

 密使は、いつも祖国のために生きる人です。本然の主権者が神様であられるので、「お父様、これからこのようにしていてください」という生活、それ自体とならなければなりません。私たちはこれからどうなるか分からない立場にあるので、私が死んでも父と共に死に、追い込まれても父と共に追い込まれ、追われても父と共に追われ、戦っても父と共に戦うという心が、密使の生活圏内から離れてはならないのです。

 秘密があれば、心を整理してその主権者の前に報告しなければならない責任を負っている人が、密使です。それゆえ、そのような心をもっていくところにおいて、死の道を十峠越えたとするならば、十峠以上の実を結ばなければなりません。実を結ぶことができないときは、神様の前に裏切り者になるのです。

神様は、どのような方でしょうか。神様は密使の大王です。祖国の主権復帰のために、サタン世界に現れる密使の大王であり、総司令官です。では、そういう神様がこの地に対して「私が神様であり、私が教える真理はこれだ」と、六千年の間に一度でも主張したことがあったでしょうか。なかったのです。

 けれども神様は、私たちの澄んだ良心を通じて指示し、因縁を結ぶために苦労してこられました。私たちの心の土台を広めて、一致化することのできる自由な世界へ導き出してきたのが六千年の復帰摂理歴史です。

 このようなことにすべて責任を負ってこの地に来られる神様の息子に、密使の使命を外的、内的に連結させなければならない使命があるために、外的にぶつかる怨 讐のような環境の難しさは、内的な面において神様と一致することのできる刺激的な内容になるのです。

 天の運勢をここに表すためには、自分が千回恥をかいたとしてもそれを気にせず、または百回の死の道があるとしても、それを気にしないで行くという信念をもって出ていくようになるとき、神様が皆さんの行く道を守ってくださるのです。なぜなら、先生が今まで歩んできた生活の中で、どのような時にも神様は私を捨てなかったことを体験したので、皆さんも神様が保護してくださるに間違いないというのです。

 密使は、その姿が良いからなるのではありません。また、能力があるからなるのではありません。密使の使命は、神様と心情が一致した立場に立って、その国の風俗を正しく立てると同時に、絶対的に忠誠を立てて、その環境を収拾しなければならないのです。

 これをする日には、天の主権者である神様の直接的な命令を受けた代行者の立場に立つことができるのです。そのようになれば、神様が責任を負わざるを得ないというのです。

 皆さんが密使の責任を負うようになれば、そのことは必ず成し遂げられるということを先生は、長年の体験を通して知っています。皆さんもこのような生活をしていくことを願うので、きょう「密使と祖国」という題目で少しの間お話ししました。



にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村
スポンサーサイト



阿南信義
Posted by阿南信義

Comments 0

There are no comments yet.