死なんとする者は生きる
真のお父様のみことば 摂理から見たアベルの正道 1979.12.30
神様の前に絶対に不平のない統一教会の伝統
神様の息子の位置で、私は養子になり、たとえ僕の僕の位置で死んだとしても、私は息子の位置でかつて死んだ人以上に、その人に尽くしたのです。ですから、見えないサタンも讒訴できないのです。「神様の息子がどうしてこのような位置にまで降りて来てこんなことをするのか?」などとは言えないのです。僕の僕の道は、私が願って行ったのです。イエス様がゲッセマネの丘で三回の祈祷をする時、「この杯を私から過ぎ去らせてください」と言いましたが、私は僕の位置に行っても、そのように祈祷することができませんでした。「私は自ら願ってこの杯を飲みます。たとえ僕の僕の位置で死んだとしても、お父様の願い以上の位置で死んでいきます」と祈ったのです。
先生ですらこのような道を歩んできたのに、皆さんは何を望むのですか? 神様の息子、娘になるというのですか? たとえ神様の僕の僕になり、何千倍尽くして死んだとしても、神の前に不平を言えないのです。それが統一教会において受け継がなくてはならない伝統であると私は考えるのです。何の話か分かりますか? 私たちは天の前に不平が言えるのですか? 私はありとあらゆる悔しい目に遭っても、私は不平を言ったことがありません。私はどういう所に置かれても、「神様、私をどうしてこのような所に送ったのですか?」とは言いませんでした。手錠をかけられて監獄に入っても、「神様、私をどうしてこのような道に送るのですか。息子に栄光の座を約束したのに、これは何ですか?」と言うのではなく、「あなたの心情はいかばかりでしょうか?」と祈るのです。何の話か分かりますか? (はい)。
皆さんは、苦しければ「苦しい」と言い、寝なければ「眠たい」と言い、食べなければ「おなかが空いた」と言い、寒ければ「寒い」と言える、そういう位置に立っているのです。おなかを空かし、寒さに震え、休むことのできない人を見つめる神様が、どれほど悲惨であるかということを知っていますか? それを知らなくてはなりません。
そうであるために、神様がいるとすれば、レバレンド・ムーンを愛さなければならないようになっているのです。ですからレバレンド・ムーンが苦労の道を行くとすれば、神はいつも友人をつくってくれたのであり、慰労の対象をつくってくれたのです。険しい道では食事を用意して待っている人がおり、車に乗って行かなくてはならないのに歩いていこうとすれば、車を用意してくれる人がいたりしたのです。話そうと思えば、謎めいた出来事が数え切れないほどたくさんあるのです。そのようなことが起こるたびに私は、「この責任を果たさない男に対して、天はこれほどまでに助けてくださるのか、私は死に値する罪を犯しました」と、このようにしてきたのです。「死なんとするものは生きる」と、先生は一生の間そのような道を歩み、今日まで生きてきたというのに、皆さんは何年間苦労してきたというのですか? 神様はこの歴史を、このあと一〇〇〇年をおいて復帰しなければならないというのに、その神様のみ旨を考えてみる時、私たちが不平を言うことかできるでしようか?
「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」
きょうは、一九七九年最後の聖日です。八〇年代に向かって越えていく前日です。怨恨多い七〇年代は過ぎ去り、希望に満ちた新しい八〇年代に向かって越えていかなくてはならない今、世界でレバレンド・ムーンを知らない人はいません。一度であっても、レバレンド・ムーンの話を聞いたことがないという人はいません。みな聞いているはずです。レバレンド・ムーンを知らない人は、この世のことも知らない、新聞も見ない、ラジオも聞かない人たちです。国に関心がなく、この世に関心のない人たちです。しかしそれほど悪い人たちなのに、滅びるはずなのに、今も残っているということを考える時、それは一度訪ねて行くべき人々ではないでしょうか? ですから足が腫れても、かたわになるまで訪ねて行って話をするのです。
皆さんが行き、反対されて、悪口を言われながらも、監獄に行くほどに皆さんが州や町や村の人々すべてに話せば、彼らはもう知らなかったとは言えないのです。そのようにして、伝道のパンフレットを配って歩くのです。そして迫害され追われる人に一円を恵んだことが、千万金を与えたよりも、もっと神様が心に留められるために、その人を忘れられなくなるのです。金持ちには絶対にムーニーを後援する人はいません。黒人たちと貧しいスパニッシュたちしかムーニーを後援しません。

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神様の前に絶対に不平のない統一教会の伝統
神様の息子の位置で、私は養子になり、たとえ僕の僕の位置で死んだとしても、私は息子の位置でかつて死んだ人以上に、その人に尽くしたのです。ですから、見えないサタンも讒訴できないのです。「神様の息子がどうしてこのような位置にまで降りて来てこんなことをするのか?」などとは言えないのです。僕の僕の道は、私が願って行ったのです。イエス様がゲッセマネの丘で三回の祈祷をする時、「この杯を私から過ぎ去らせてください」と言いましたが、私は僕の位置に行っても、そのように祈祷することができませんでした。「私は自ら願ってこの杯を飲みます。たとえ僕の僕の位置で死んだとしても、お父様の願い以上の位置で死んでいきます」と祈ったのです。
先生ですらこのような道を歩んできたのに、皆さんは何を望むのですか? 神様の息子、娘になるというのですか? たとえ神様の僕の僕になり、何千倍尽くして死んだとしても、神の前に不平を言えないのです。それが統一教会において受け継がなくてはならない伝統であると私は考えるのです。何の話か分かりますか? 私たちは天の前に不平が言えるのですか? 私はありとあらゆる悔しい目に遭っても、私は不平を言ったことがありません。私はどういう所に置かれても、「神様、私をどうしてこのような所に送ったのですか?」とは言いませんでした。手錠をかけられて監獄に入っても、「神様、私をどうしてこのような道に送るのですか。息子に栄光の座を約束したのに、これは何ですか?」と言うのではなく、「あなたの心情はいかばかりでしょうか?」と祈るのです。何の話か分かりますか? (はい)。
皆さんは、苦しければ「苦しい」と言い、寝なければ「眠たい」と言い、食べなければ「おなかが空いた」と言い、寒ければ「寒い」と言える、そういう位置に立っているのです。おなかを空かし、寒さに震え、休むことのできない人を見つめる神様が、どれほど悲惨であるかということを知っていますか? それを知らなくてはなりません。
そうであるために、神様がいるとすれば、レバレンド・ムーンを愛さなければならないようになっているのです。ですからレバレンド・ムーンが苦労の道を行くとすれば、神はいつも友人をつくってくれたのであり、慰労の対象をつくってくれたのです。険しい道では食事を用意して待っている人がおり、車に乗って行かなくてはならないのに歩いていこうとすれば、車を用意してくれる人がいたりしたのです。話そうと思えば、謎めいた出来事が数え切れないほどたくさんあるのです。そのようなことが起こるたびに私は、「この責任を果たさない男に対して、天はこれほどまでに助けてくださるのか、私は死に値する罪を犯しました」と、このようにしてきたのです。「死なんとするものは生きる」と、先生は一生の間そのような道を歩み、今日まで生きてきたというのに、皆さんは何年間苦労してきたというのですか? 神様はこの歴史を、このあと一〇〇〇年をおいて復帰しなければならないというのに、その神様のみ旨を考えてみる時、私たちが不平を言うことかできるでしようか?
「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」
きょうは、一九七九年最後の聖日です。八〇年代に向かって越えていく前日です。怨恨多い七〇年代は過ぎ去り、希望に満ちた新しい八〇年代に向かって越えていかなくてはならない今、世界でレバレンド・ムーンを知らない人はいません。一度であっても、レバレンド・ムーンの話を聞いたことがないという人はいません。みな聞いているはずです。レバレンド・ムーンを知らない人は、この世のことも知らない、新聞も見ない、ラジオも聞かない人たちです。国に関心がなく、この世に関心のない人たちです。しかしそれほど悪い人たちなのに、滅びるはずなのに、今も残っているということを考える時、それは一度訪ねて行くべき人々ではないでしょうか? ですから足が腫れても、かたわになるまで訪ねて行って話をするのです。
皆さんが行き、反対されて、悪口を言われながらも、監獄に行くほどに皆さんが州や町や村の人々すべてに話せば、彼らはもう知らなかったとは言えないのです。そのようにして、伝道のパンフレットを配って歩くのです。そして迫害され追われる人に一円を恵んだことが、千万金を与えたよりも、もっと神様が心に留められるために、その人を忘れられなくなるのです。金持ちには絶対にムーニーを後援する人はいません。黒人たちと貧しいスパニッシュたちしかムーニーを後援しません。

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