霊の子女はなぜ必要か

神様の祝福を受けた家庭が壊れたり、また様々な問題で困難な事情が生じることがあります。また組織もそうです。混乱したり、発展しなかったりします。
その根本問題は霊の子女の問題であると言えます。
霊の子女はサタンを分立するための神様の復帰摂理の戦略でした。霊の子女を復帰することを通して本然の家庭基盤を形成することができ、本来の出発をすることが神様の意図でした。
みことば 信仰の三子女と本然の家庭基盤 1983.5.13
だから、堕落観念をいつももたなければなりません。分かりました? それをもたないと、とんでもないことになる。それが失われて、習慣性になると、恐ろしいことになる。神も霊界も関係をもつことができなくなる。我々は心情世界とは何ら関係ないことになります。分かりました?(はい)。
だから、我々は、堕落圏にいるという自覚をいつでももたなければなりません。食事をするときもその観念を忘れてはいけません。何をするときも、その観念を忘れてはなりません。いつかは整理しなければならない渦中にある。時が来たら、間違いなく整理する。個人からはっきりと整理するし、家庭、氏族、国家、世界に至るまで整理する。この整理の徹底化した伝統基盤を各自が確立しなければ大変なことになります。 この世の中の生活は、堕落圏だから、神様に通ずる生活ではありません。
この世界の八〇パーセント以上がサタン世界に彩られているというんだね。これを否認して、肯定の立場に立ち帰るには、嫌々ながらも、習慣性に自分なりに気づかなければ崩壊に遭うというんだね、分かりました?この世の中では、子女関係、親子関係、国家関係がみんな堕落結果の基準を中心としてつながってきている。子供がいるとしても、みんな堕落の血統をそのまま認定した子女関係、家庭関係、氏族、民族、国家関係である。ここに、新しく我々が持ち出すのが“霊の子”という問題です。
■三人の霊の子は絶対必要である
霊の子とはいったい何か。これは失われた三人の天使長を意味する。アダム、エバが、三人の天使長の共同圏、協助圏に立てなかったから人間は堕落した。それを蕩減しなければならない。だから、三人の霊の子は三人の天使長に当たる。それらが一つになって、アダムに対して命を捧げるような立場に立たなければなりません。 あなたたちは霊の子に対して、アダムの立場、エバの立場に当たる。そうなった場合、三人の天使長の代わりに立った霊の子は、その霊の親に対して、命を捧げても何の未練もないような心情圏をつくらなければなりません。教育して、そのような関係をつくらなければなりません。
そして、アダムの立場から見た場合、自分自体が結婚するのを遠慮しなければならなかったのが、天使長の立場だね。三人の天使長がつくられた目的は、アダム、エバを教育して、家庭をもつことのできる心情圏確立の日まで遠慮せざるを得ない立場であったのに、逆に問題を起こしてしまった。そのことが堕落でした。
ですから心情圏の復帰は、三人の天使長自体が一体となって、あなたたちのために命を捧げても、天の法に違反しないというような決定的な三人の天使長をあなたたちがもった立場に立つことによってなされる。そうして初めて、アダムが三人の天使長を一致させ得なかったその基準を蕩減復帰した立場に立つ。分かりましたか?(はい) 。 それで、イエス様の三人の弟子も、イエス様のために死ななければならない。イエス様は親である。本当は、天使長には子供はないんだね。堕落して、天使長系の子供の立場に立ったのであって、切って離すことはできません。
だから、それを結びつけながら、元のほうに帰るために天はそれを認定せざるを得ないんだね。それが、アベルの道である。まず、三人の天使長が一体化した基準であなたたちの一切の祝福を援助し、準備してくれなければなりません。だから、統一教会は三人の霊の子がなければ生活することができません。分かりました? 三人の霊の子がいなければ、三人の天使長が完全に援助した基準に立てないから、その基準は、そのまま堕落圏内にある。サタンはいつでも引っ張っていく。
だから、三年間、霊の子が絶対的に一体化した基盤の上で、すべてを犠牲にしながら祝福の一日を待つような環境で、三人の天使長はアダムとエバに侍らなければなりません。それを通過したのちに神の認定を受けて、神の心情圏を共にしながら、アダムは三人の天使長に対し、「どうぞ、成熟いたしましたから、相対者と祝福を受けさせてください」と言う。これが統一教会の原則である。だから、三人の霊の子女がいなければ祝福できないということは、理論的であり、原則的である。絶対できない。それをもたないで結婚した者は、堕落圏内にとどまる。 今はいい時にきた。あなたたちは、万物を与えてでも伝道する時にきたよ。ヤコブがエサウを屈服させる時、金を与え、万物を与え、すべてを捧げて屈服させたように、我々は物を使って、平面的に天に屈服させることができるようになった。だから、我々は万物に恵まれる。統一教会は世界一、万物の祝福を受けるようになるだろう。分かりました?
■再臨を待つ心情で霊の親の実子に侍りなさい
そういうふうにして、この霊の子は何を待つか。霊の親の実子が生まれるのを、歴史において、再臨の救い主が来られるように思わなければならない。分かりました? だから、この霊の子はいろいろと何も思う必要はないというんだね。ただ一つ願うべきことは、その霊の親の実子が生まれるのを待ち望まなければならない。胎中にいる時から実子を敬わなければならない。天使長は、アダム、エバに対しそれを貴く思い、相談し、援助するように造られたと同じように、腹中にはらむその時から愛し、自分の命よりも貴く思うような基準において、生まれる日を指折り数えて待つ、何よりも高い希望をもって待たなければならない。
そして、生まれた場合には自分の財産をすべて捧げ尽くさなければ、天使長基準の所有権を復帰する道が生まれてきません。それで、イエス様がお生まれになった時、東方の三博士たちがなぜ訪ねてきたか。それは、世界的な基準を連結させる蕩減条件として、霊的に高い水準の者が訪ねて、捧げ物を捧げるためである。彼らは、どこかに世界の救い主が来られることを、親がはらむ以前から待っていた者である。その誕生を知れば、すべてを捧げて、すべての冒険を乗り越えてでも自分たちは侍りに行くというようになっていた。イエス様の前に現れたこの東方の三博士は原理的である。
イエス様が三人の弟子を連れながら、死んでも生きても歩んでいかなければならなかったのも、「霊的子女」という原則があるからである。その原則を我々は今まで、はっきりと理解できなかったから、サタンがこの世界を蹂{じゆう}躙{りん}して、自分の気ままに、すべてを卑しくしてしまった。そういうふうにして、アダム、エバを愛さなかった天使長、アダム、エバがはらむ、その子供を愛さなかった天使長がサタンであるというんだね。 天使長圏をもとがえすには、霊の親であるアダム、エバを愛するとともに、おなかにはらむ子供を愛した基準を通して、その子供が生まれ、さらに、その子供たちが結婚する日まで責任をもたなければならない。それが、原理原則の道だね。これを先生の家庭で見れば、先生の子供を、先生が干渉して育てるようになってはいない。三家庭が責任を果たさなければならなかった。
霊の親の中にはらんだ子供が、宇宙と取り替えることのできないほどの喜びと希望でもって生まれた場合には、自分のすべての成功をなし得た喜びでもって迎え、その子供を結婚させて、定着させることによって、天使長がアダムと、カイン、アベルを愛し得なかったすべてをなし得た基準において、サタンは完成基準を中心として完全に分別される。そうしなければ、サタンを回れ右させる道はない。あなたたちはいつも蕩減復帰と言うんだけれど、いつ蕩減復帰したか。それは、家庭を中心としたこういう徹底した内容でもって、分別させる原理があるから可能なのである。だから、霊の子は絶対必要だ。分かりました?
そのために、先生は生涯をかけている。そういう伝統的精神を国家伝統基準として、国を越えて世界各国に植えつけながら、六十数年の生涯をかけて闘っておる。それが第三次七年路程であったというんだね。分かりました? 六〇〇〇双の祝福を終えた今、もうサタンは世界的に反対することができない。だから、霊的に見れば各国の先祖はみんな大変だったろうね。 祝福によって、“あわよくば、結婚して家庭をもって、幸福をむさぼれる”と思う者もいるかもしれないが、この道において、そういうことはできません!
歴史において、サタンが残した悲哀に満ちたいろいろな闘いの悪{あく}辣{らつ}な基台、伝統が残っている。民族差別運動とか、家庭紛争とか、親子分裂とか、破壊運動とかいったすべての過去の災禍を、我々自身において消化して、新しい伝統を自分によって、アフリカの地に、世界の地に立てなければならないのが、日本のエバ国家としての使命です。それは先生の話ではありません。原理観がそうなっている。

にほんブログ村
スポンサーサイト