阿南信義

日本はカインアベル問題のどこが間違ってきたのか

日本はカインアベル問題のどこが間違ってきたのか

真のお父様は今まで何度も日本のカインアベルは間違っているということを指摘されておられます。どこが間違っていてどのようにすべきであったのかをみことばから考察したいと思います。




みことば  1993.6.4 救援摂理史の主流責任(日本幹部に日本語で語られたみことば)

あなたたち、日本の責任者はアベル圏ですか。今までの日本の観点と違うのは、アベルが言った場合には絶対服従する、そうはいきません。絶対服従するカインの立場を通過しなければなりません。その先頭に立って、主人を失い、父母を失い、先生を失った神様の三大主体権に立った、その主体権の責任を身に付けることなのです。

 アベルを中心として、アベル自体は親の代わり、主人の代わり、先生の代わりをします。今まで日本の指導者は間違っていました。アベルが言ったら絶対服従するのですか。絶対服従する内容は誰が提供するのですか。カインが提供するのではありません。そこに座って命令するようなアベルではいけません。血を流して万民のために犠牲になる道です。

 先祖の道は後孫にとって恐ろしい道です。すべてアベルのせいです。日本の責任者たち、イエス様の先頭に立った兄さんの使命を行っていますか。アベル圏だから兄さんでしょう。上の幹部たちが下の弟たちを犠牲にするのですか。それは反対です。あなたたち考えてみなさい。今まで勝手なことをやって来ました。日本から、エバ国からこれを訂正しなければなりません。そうしないと将来大変なことになります。






主流責任3


今までの統一教会の中において、現在の家庭連合においても本部教会と家庭教会(氏族的メシヤ)の位置づけはアベルとカインとし、主体と対象の立場でアベルに従うことを常としてきています。
その位置づけはまったく神様の摂理ではなく、逆にその救援摂理を破壊するためのサタンの業であることに気が付かなければなりません。




みことば  1993.6.4 救援摂理史の主流責任

日本で統一教会から離れた者が、サタンの戦略で入って来て、サタンも統一教会に入れさせて、引っ張って反対の基準を作るのです。これは怨讐の怨讐です。そうなれば、一家族、一族全体まで、後孫まで引っ掛かります。恐ろしいことです。売国者の後孫は、国、歴史が批判するのです。自分の先祖が引っ掛かり、自分の後孫が引っ掛かります。霊界に行ってみなさい。






お父様はみことばでサタンが反対の基準を作っているということを語られています。1976年10月にメシヤが世界的長子権を勝利してから、家庭教会(ホームチャーチ)摂理が始まっていますが、サタンが逆の論理を展開し、教会本部を中心とする独裁体制の中で氏族的メシヤが主流責任を全うできないようにしてきました。



主流責任1



みことば 1993.6.4 救援摂理史の主流責任

 はっきりと教えます。救援摂理史の主流責任、中心的な責任です。流れの主流がないといけないのです。あなたたちの生涯の主流責任です。復帰摂理史の主流責任、神様が責任を持って、先生が責任を持って来てこれを果たしました。子女たる者は、その道を辿って行かなければなりません。これは、苦労と犠牲の道を涙ぐみつつやって来たのですが、あなたたちはそうではありません。氏族だけ治めればよいのです。分かりましたか。


 自分の家族メシヤを作りなさい。イエス様を神様が送ったように、先生は地上の神様の立場で氏族的メシヤを送りました。それはイエス様を送ったことと同じです。イエス様の家庭はアダム家庭を復帰すればよいのです。分かりましたか。氏族は地上圏内にきちんとまとまっています。逃げることができません。十人いれば十人で、乱暴な権限を振るった場合には、その全てが、その弟たちに服従しなければならないのです。時代的にそのような天運に立っています。こう見た場合に、あなたたちは統一教会の教会長をするべきですか、氏族的メシヤをするべきですか。教会の責任者をするべきですか、氏族的メシヤの使命をするべきですか。(「氏族的メシヤです。」)氏族的メシヤをするべきです。





お父様は氏族的メシヤの使命を成就することが主流責任であると明確に語られています。主流責任とは責任の主流であり、責任の中心であり、最も重要な責任使命であることを知ることが重要です。


みことば 1993.6.4 救援摂理史の主流責任

先生の責任としては、キリスト教と統一教会の関係において長子権を復帰することです。それが父母を中心として、だんだんに家庭問題を問題視するのです。それから家庭を中心として国という王権です。国がいくらあっても、王権があっても、皇族権がなければなりません。それは、世界と万民の前に、一つの主流を中心とした、王権を中心としての本家の伝統なのです。皇族権というのは、本家と相対的な家族を連結することであり、それによって、全てが一つになってくるのです。


 なぜこのような公式的な道を行かなければならないかというと、創造がそのようになっているからです。救援摂理は復帰摂理、復帰摂理は再創造摂理、再創造の公式的な過程は何かというと、環境には環境を使って、必ずプラス・マイナスがあるのです。プラス・マイナスが神様と一つになる、それは何によってですか。真の愛によってです。カイン・アベルの問題です。真の愛でなければ行く道がありません。投入して忘れる、投入して忘れる。このような思想的根底的な内容を越えないとサタンの分別はできません。それは第二次的問題になります。第一次的な問題は投入して忘れることです。





主流責任2


氏族的メシヤを主体として教会本部を対象とした位置づけの中で、その主流責任を成就できるようにすることで天の皇族圏を拡大することができます。それによって天一国の理想を全うすることができることになります。

神様の創造の業を氏族的メシヤの使命を成就する過程の中で、相続することができます。間違ったカインアベル観の中では、サタンの罠にはまるだけで、神様の創造の心情を受け継ぐことはできません。
神様、お父様の思想は投入して忘れる、投入して忘れるという真の愛の継続的な実践でありますので、そのことを実体的に展開することのできる氏族的メシヤの使命を成就したく思います。




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