阿南信義

真のお父様の真の息子娘になろう

亨進様笑顔


今日の日曜礼拝もズームで中継しての内容となりました。ズームがセキュリティが強化されて接続するのに、多少の戸惑いもありましたが、顔を拝見しながら懐かしい聖殿シックの皆様と訓読礼拝をささげることができました。
特に今回から、訓読礼拝としました。みことばを中心とする礼拝は担当する者が多くの恵みを受けました。





真のお父様のみことば    「真のお父様の真の息子娘になろう」1957.9.15

 神様を崇拝する者とは誰でしょうか。今日、終わりの日にある聖徒たちです。また、神様を安息させる者とは誰でしょうか。見るに堪えない私たちです。このように神様の解怨が、私たちの両肩に、体と心にかかっていることを、私たちは知らなければなりません。 

 人間歴史の中枢的な条件を前において、私たちは驚くべき天地の使命を任されているのです。皆さんの体は二つとないにもかかわらず、地上の問題に苦しむ立場にあってはいけません。今や自身のための安逸な生活理念が立てられない過程に来ているのです。

 私たちが地上に天の法度を提示して勝利したのちには、安息することができるのです。今日皆さんは、このような過程に置かれているのです。このようなことがどこに起こるのでしょうか。今日、民族的な優越性を現す先進国家がありますが、彼らが誇るよりも誇らしいことは、どの民族が神様と近いかということです。

 今日私たちが知るべきことは「私は神様の民族だ」、「私は天の民だ」、「私は天の子女だ」という資格をもって生きるなら、必ず闘いの路程を経なければならないということです。この世は悪なる世の中であり、悪の歴史をもつ社会ですから、世の中はこのような人々をそのまま歓迎しないのです。

 それでここには水と火のように、一つになりにくいものを一つにする哀れみの情、すなわち自分の肉身を動かしている天的な内容をもち、真理をもち、その次には生活環境と人格をもち、そして理念を通した愛をもって、悪の世の中を貫いていかなければなりません。このような条件が、宇宙の終わりの日において、天倫を代表する宇宙の審判の条件となるのです。

 それでは今日私たちは責任を果たし、直系的な使命を完遂する自分になっているでしょうか。神様の審判を代行することができる真理、生活理念を通した人格、神様の理念を通した愛をもって、万天宙に生命の力を主張することができる私たちであるかどうかを考えてみなければなりません。









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阿南信義
Posted by阿南信義

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