阿南信義

イエス様の降臨目的とみ言の価値


a103_201611160615130f6.jpg




みことば  1957.9.15 「真のお父様の真の息子娘になろう」

人間は堕落しました。人間が責任を完遂して永遠の善、天倫の愛を中心として神様の直系の子女になっていたなら、どこの誰が侵犯して堕落させることができたでしょうか。人間はこのような願いをもった実体だったということを、皆さんは知らなければなりません。

 では今日皆さんは、どのような所にとどまっているのでしょうか。皆さんは、神様と天的な因縁をもっていながら、サタン圏内にとどまっているのです。神様が許された直系の子女の因縁をもっていながら、またサタンとも堕落の因縁をもっているというのです。

 このような人間を救援するために、この地上に来られる方はどのようなお方でしょうか。このお方は人間を代表する立場にいらっしゃるだけでなく、神様と永遠に切れることのない因縁を結んで現れる主人公です。このような因縁と使命を帯びてこの地上に降臨されたお方が、正にイエス・キリストであられます。ですから、イエス様は福音を伝えられながら、「私は神様の息子である」と語られたのです。また、「神様と一体となった」と語られました。

 これは驚くべきみ言です。普通の人々からは見いだすことのできないみ言です。ですから、神様と愛を中心とした血統的な因縁をもって現れたキリストであられたので、歴史にない中心として、新しい変遷の歴史を生むまいとしても生まざるを得ないというのです。

 このような面において、イエス様の血と肉は、お父様(神様)の血と肉であり、すべてのものがお父様のものだったと言えるのです。このように神様とイエス様とは、切っても切れない因縁が結ばれていたのです。

 ではなぜ、イエス様は来なければならなかったのでしょうか。堕落した人間たちは罪悪の血統を受けて生まれたので、お父様の血肉を身代わりして接ぎ木してくれる一人のお方を、神様はこの地上に送るほかなかったのです。このような摂理的な必然によって、イエス様はこの地上に来なければならなかったのです。

 ところが、召命を受けたイエス様はこの地上に来られましたが、誰もイエス様を信じませんでした。そうしてイエス様は、結局、十字架を背負うようになりましたが、その前の日に弟子たちと最後の晩餐をされながら、「あなた方は私の血と肉を食べなければならない」と語られました。この言葉は、人間たちの心と体、血と肉は、神様が動じ静じるままに、共に動じ静じなければならないという意味です。すなわち、神様との一体理想を成さなければならず、血統的な因縁を結ばなければならないが、イエス様を媒体として、そのことを成しなさいというみ言です。このようなことが皆さんの生活圏内で成されないとすれば、サタンは否応なく皆さんを讒訴することでしょう。

 人間は神様と一体となって、地上に来られたイエス様を信じ、友の立場でイエス様と対することができなければならないのですが、問題は皆さんにかかっています。

 イエス様がもっていた血と肉と骨、体と心を、皆さんも全く同じようにもっています。これはイエス様と人間が一体となり得る根拠になるのです。ですからイエス様が神様と一体となられたように、皆さんの心と体も神様と一つになって、動じ静じなければならないのです。実際、そのようになるなら、それは誰かが奪おうとしても奪っていくことができないのです。

 その次に、私たちは神様を真のお父様と呼ぶことのできる真の息子、娘にならなければなりません。そして神様が私たちに真の息子、娘だと語られ得るみ言と、私たちと共に生きていかれ得るというみ言をもたなければなりません。すなわち、神様と私たちは真の父子の因縁がなければならないという話です。血統的に神様の子女になると同時に、神様のみ言を保たなければならないというのです。

 イエス様がこの悪なる世に来られ、叫ばれたみ言は、地の言葉ではありませんでした。イエス様のみ言は、今までになかった真の真理のみ言であり、地上にあったものとはあまりにも異なる新しい理念であり、革新的な事実を提示するみ言でした。

私たちが立てるべき生活理念

今、私たちは神様を真のお父様と呼ぶことのできる存在として、神様がもっていらっしゃるみ言を、私たちも語ることができなければなりません。神様のみ言が落ちる所ごとに善の実績が生まれ、復活の役事、再創造の役事が起こっています。ですから、私たちは悪を清算し、復活の役事を起こし、再創造の能力を行使できるみ言をもった人にならなければなりません。このようなみ言をもった人々が集まって暮らす所が天国です。

 今日皆さんが使っている言葉が、皆さん自身から出ている言葉か、皆さんが侍っている主が使っている言葉かということを、皆さんは考えてみなければなりません。また皆さんは主のみ言を誇れる環境にあるかどうかを考えてみなければなりません。

 イエス様のみ言は天にも通じ、地にも通じ、創造されたすべての存在に通じるのです。このようにお父様と呼ぶとき、お父様が聞かれる言葉、お父様のみ旨を代弁する言葉をもつ人間にならなければなりません。

 今日この地上には、たくさんの種類の言葉があります。言葉らしい言葉もあり、言葉ではないような言葉もあり、み言もあり、ほかの言葉もあります。今人間が探し求めなければならない最後のみ言、天倫のみ言と因縁を結ぶ私たちも、すべての被造万物と一体となるみ言をもたなければなりません。でなければ万物を主管しようにも、主管することができないのです。

 堕落は私たちが知らなければならないみ言を失ったことである、と言うことができるのです。それで私たちは、私たちがもつべきみ言が、どこにあるかを探さなければなりません。歴史過程を経てきて数多くの人類は、このみ言を復帰するために苦労してきました。人倫に通じると同時に、天倫を代弁することができるこのみ言を、私たちはもたなければなりません。この事実を、生活圏内において感じる皆さんにならなければなりません。

 その次にお父様の生活を身代わりできる、真の息子、娘にならなければなりません。皆さんの生命は、現段階の環境において始まって終わるべき生命ではありません。今までの生命体は、歴史的な堕落の因縁を脱することができず、社会的な環境と因縁を脱することができないのですが、実際には宇宙の恩賜を代表し、過去の理念を代表し、未来の理念を立証させる立場にあるということを、皆さんは知らなければなりません。

 皆さんは神様の代身として生活をしなければなりません。神様の代身として栄光と幸福と喜びを享受して生きる、自分でなければなりません。最愛のイエス・キリストを死に至らしめても求めた人間たちを代表して、長子の遺業を継承させようと切ない心情を抱いて探された、神様の心情を感じる皆さんになれば、地とサタンの前に神様の息子、娘として立証されるのです。

 皆さんが神様の真の息子、娘として生きようとしても、この悪なる世の中は皆さんを全部引っ掛けて倒すのです。これは六千年の復帰歴史を見ても分かります。しかし、人間の心を通して、終末期である今に至るまで動いてきた復帰摂理歴史であるなら、皆さんは神様と同伴する生活理念を、最後に立てなければなりません。

 このような過程に入る人間、すなわち今まで神様が探し求めてきた事実を知る人間がいるなら、彼は神様が成されようとするみ旨を知っているのです。そして過去に被造世界を創造された神様の心情、より深く入れば、草一株を作られた心情までも、感じることができるのです。このような心情に触れれば、神様が万物に対してもつ心情まで知ることができるのです。そして人間に対して抱いていらっしゃる心情までも、感じることができるのです。

 このような心情を感じたのちには、どんな人間にならなければならないでしょうか。神様の代身として地上の人間たちを案じ、彼らのために泣くことができ、悲しみを抱く人間になり、また、人間たちが数多くの歴史過程を経て苦難にあえいできたことに同情できる人間にならなければなりません。

 そして神様のみ旨、神様の摂理歴史に責任を負った数多くの先烈たちの人生のすべてを、地上において一瞬間でも感じ、同情することができる人間にならなければなりません。また、昔アダムとエバが堕落したときに感じた神様の悲しみを感じなければなりません。アダムとエバを失って悲しみ、天と地を失って悲しまれたお父様の心情を感じることができる人間にならなければなりません。


IMG_5651.jpg


二代王様のみことば  2020.4.1水曜礼拝

康賢實(カンヒョンシル)チャムオモニム(真の御母様)のように殉教者の心で。死んでも!福音伝播しながら死ぬ心で。

コロナバイロスが全世界を覆(おお)っても私達は天一国憲法を工夫(コンブ=勉強)して下さい。

親舊(チング=友)達に分け与えて下さい。コーヒー飲みながらインターネット中継で会う事が出来ます。討論、話、工夫(コンブ=勉強)、いっしょに祈禱し。驚くべき対話。天一国憲法がおどろくべき福音。

ハナニムが世界的に良い土地、良い土、を準備されておられる。そこで良い実がなる秋収(しゅうしゅう)を準備されておられる。私達は同参せざるをえない。今、この時に私達は勇敢になれなければ、(他の時にも)勇敢になれないだろう。

人達は未来の運命と新しい靈人體(れいじんたい)まで生かしてあげなければという心を抱いて、天一国の国とハナニムの王国と福音を伝播する愛の心で、人達が滅亡の道を行く事を見たくない思い。永生を受けなさいという思い…サラン(愛)。

だから、こんなコロナバイロスの時期にすべての人達が自己の家で自家隔離している時に、人は事実、電話で話をしたがっている。人と人と会う事ができないから。心の戸が開かれている。

ただ、TVだけ見るんじゃなくて皆さん、祈禱されながら、皆さんの親舊(チング=友)達、知ってる人のリストを作って、

「あなたはどんなふうに暮らしてるの?こんな困難な時期に。私があなたにある物を贈りたいけれど、それを一度、読んでみて、一度私達、コーヒー飲んで、その自由と責任について話してみましょう。これは私が信じる未来のハナニム王国です」

…こんなに言いながらできるじゃないの。コロナバイロス状況等(話したらいい)。






にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村
スポンサーサイト



阿南信義
Posted by阿南信義

Comments 0

There are no comments yet.