人間的なすべての条件を乗り越えるとき
中国武漢コロナウイルスによって、世界的大混乱の時を迎えています。
このようなときに、どこに焦点をあて、考え行動するべきであるかいう方向性が大事なことであると思います。
亨進二代王様と国進様はモーセのあとを継いだ、ヨシュアとカレブの立場であることを感じます。エジプトから出発したイスラエルはみな死んでいきました。後を振り返り、エジプトに未練を持っていた者たちでした。
神はヨシュアに「強く雄々しくあれ」と祝福しました。ヨシュアは神の方向性を守るために強い決意でカナンに向かっていきました。それで内的イスラエルはヨルダン川を渡った後、ヨシュアから割礼を受けて、カナンを目指しました。二代王様に従う聖殿シックは同じ立場であると思います。
そして、
黙示録11章にある二本のオリーブの木の預言は二代王様と国進様ではないかと思います。最後の患難を超えるために「強く雄々しく」あられるヨシュアとカレブと一つとなって「人間的なすべての条件を乗り越える」戦いが願われていることを感じます。
二代王様は2020鉄杖自由祝祭に焦点を当てておられます。ヨシュアとカレブに従っていったイスラエルのごとく、方向性を明確にして「伝道」に向かっていきたいと思います。

二代王様のみことば 2020.3.25
皆さん祈禱をたくさんして下さい。たくさん助けて下さり、たくさん精誠を尽くされて下さい。
今から、戦わないといけない。鐵杖(てつじょう)祝祭が早く近づいてくる。今何月?3月。4月、すでに。本当に6カ月後に鐵杖祝祭が来る。
今回は数千名が来るだろう。先回は3千名程度来たけれども、今から銃器所有者達がお互いに話し合ってより有名な方達が来るから、今回はよりたくさんの人が来るように。
コロナ バイロスは本当に恐ろしくても、 このたびは外だからはるかに安全だ、事実は。太陽の光も当たるし、風もあるから。
そしてトランプ大統領の息子達が来ることができる可能性が高い。もし!私達の5%をすれば。
聖書
ヨハネの黙示録第11章1節~
:1)それから、わたしはつえのような測りざおを与えられて、こう命じられた、「さあ立って、神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、測りなさい。 :2)聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。 :3)そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。 :4)彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である。 :5)もし彼らに害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。もし彼らに害を加えようとする者があれば、その者はこのように殺されねばならない。

真のお父様のみことば
「強く雄々しくあって、失った福地を回復しよう」1957.6.23
ヨハネの黙示録第十一章では、二本のオリーブの木に対する預言をしています。これは何を意味しているのでしょうか。世界的なカナン復帰の路程を出発するのに先立ち、ヨシュアとカレブのような存在が現れることを予告しているのです。モーセの代わりに現れたヨシュアとカレブがユダヤ民族を導いてカナンの地に入っていったのと同じように、今日にもイエス・キリストの福音をもったヨシュアとカレブのような人たちが現れて、神様の民を率いて世界的なカナン福地、新しい希望のカナン福地に向かうようになるでしょう。
またヨシュアとカレブに従ってカナンに入っていった群れが、カナン七族を滅ぼしたように、皆さんにはサタンを滅ぼさなければならない責任があるのです。そういう天の勇士になり、そのような路程を歩むべき責任が、皆さんにあることを肝に銘じなければなりません。
そして、新しいみ言を主張するヨシュアとカレブがこの地のどこに現れようとも、人々の心の扉を開いて、み言を聞かせ、天のために生きられるようにする私たちにならなければなりません。
ヨシュアとカレブの行く道は、冒険の道でした。彼らが歩いた道は、難しい開拓の道であり、闘いの道でした。行く先々で開拓者の使命を果たさなければならない、厳しい道でした。時には個人的に、あるいは環境的にぶつかってくる試練と闘わなければならない路程が、彼らにはあったのです。
モーセがイスラエル民族を率いてカナン福地に向かって出発しようとする時、パロ王がモーセを殺そうとし、イスラエル民族の中にもモーセを不信して反対する人が多かったのと同じように、ヨシュアとカレブの時にもそのようなことがありました。このようなことをよく御存じの神様は、ヨシュアとカレブに「強く雄々しくあれ」と語られたのです。「強く雄々しくあれ」、このみ言は何を意味しているのでしょうか。それは、「人間的なすべての条件を乗り越えなさい」という意味です。
それで、イエス様も三大試練を通して、人間的なすべての条件を乗り越えて勝利されました。したがって、二千年が過ぎた今日の皆さんも、人間的なすべての条件を乗り越えていく途上において、強く雄々しくなければなりません。
ヨシュアは個人の闘いの路程から最後の瞬間まで、勝利の路程を歩まなければならないモーセの代わりの立場に立てられたために、神様は彼に「強く雄々しくあれ」というみ言とともに「対する個人を怨讐と思い、対する民族を怨讐と思い、対する土地を怨讐の土地だと思え」という忠告のみ言を語られたのです。

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