阿南信義

あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい

亨進様と国進様2


聖書 ルカ福音書第10章

:1)その後、主は別に七十二人を選び、行こうとしておられたすべての町や村へ、ふたりずつ先におつかわしになった。 :2)そのとき、彼らに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい。

:3)さあ、行きなさい。わたしがあなたがたをつかわすのは、小羊をおおかみの中に送るようなものである。 :4)財布も袋もくつも持って行くな。だれにも道であいさつするな。 :5)どこかの家にはいったら、まず『平安がこの家にあるように』と言いなさい。

:6)もし平安の子がそこにおれば、あなたがたの祈る平安はその人の上にとどまるであろう。もしそうでなかったら、それはあなたがたの上に帰って来るであろう。 :7)それで、その同じ家に留まっていて、家の人が出してくれるものを飲み食いしなさい。働き人がその報いを得るのは当然である。家から家へと渡り歩くな。

:8)どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えてくれるなら、前に出されるものを食べなさい。 :9)そして、その町にいる病人をいやしてやり、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。

:10)しかし、どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えない場合には、大通りに出て行って言いなさい、 :11)『わたしたちの足についているこの町のちりも、ぬぐい捨てて行く。しかし、神の国が近づいたことは、承知しているがよい』。

:12)あなたがたに言っておく。その日には、この町よりもソドムの方が耐えやすいであろう。 :13)わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。おまえたちの中でなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰の中にすわって、悔い改めたであろう。

:14)しかし、さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。 :15)ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう。 :16)あなたがたに聞き従う者は、わたしに聞き従うのであり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。そしてわたしを拒む者は、わたしをおつかわしになったかたを拒むのである」。

:17)七十二人が喜んで帰ってきて言った、「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」。 :18)彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。 :19)わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。

:20)しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。

:21)そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。 :22)すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。また父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、だれも知っている者はいません」。

:23)それから弟子たちの方に振りむいて、ひそかに言われた、「あなたがたが見ていることを見る目は、さいわいである。 :24)あなたがたに言っておく。多くの預言者や王たちも、あなたがたの見ていることを見ようとしたが、見ることができず、あなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである」。





二代王様のみことば  2020年3月18日水曜礼拝

だから、これはどれほど恐ろしいかわからない。今、王妃が見せてくれたのですが、ヌガ(ルカ)福音10章こういう内容。主がおられる時、伝道させる為に送ります。70名。ヌガ福音にみんな出てくる。ヌガ福音10章。

70名が伝道しに出て、どうなったか、主を宣布したら、悪魔達も追い出し、人を治癒して、17節を見たら、再び帰って来る。大変、喜んで。そうして、イエスニムがハナニムに感謝の祈禱を捧げます。

それはどういうことかというと、私達はハナニムの福音を伝播しているとき、アボニムが喜ばれるのです。

つまり、このコロナバイロスという世界的に幾何級数的に成長している武器が世界を打っている時に、

シュミタ・Shmita・シェミッター:安息年

私達はすでに5年前から分かっていた。シュミタが来る事を分かっていた。皆さんは5年前から警告を受けて訓鍊などを受けていた。しかし、その訓鍊とその内容は何か、今、この瞬間のゆえに。

私達は、あらかじめ準備していたから、いなごが来た時に、悔い改めは勿論するべきですが、しかし、ハナニムの福音について話す事ができます。

福音伝播。なぜ?私達はあらかじめ準備された者としてリーダー達になるから。未来を見る事のできる者として私達リーダー達になるから。

それは ハナニムの王国が広がる事ができるように。なぜ?ハナニムの王国はまず人達の心に起こるべきだから。

事実はこの状況で、伝道できる事が、この時間より易しい時間はない。(こんなに易しく伝道できる時は他にない)

アボニムの後繼(こうけい)者、相續(そうぞく)者、代身者、二代王がアボニムが逝(ゆ)かれて韓氏(ハンし)オモニが天宙的堕落をした後に、 その天宙的によって、二代王がその後に正確に予言した。「世界審判が来る」。そして、短い5年のうちにすでにシュミタが来るのです。元来、7年がかかるのに。

そうして、天一国憲法を見せる事ができる。ハナニム王国が今、来ています。そしてハナニム王国は社会主義・共産主義・左派の国ではない。

天一国憲法は鐵杖(てつじょう)王国だ。天一国王国・ハナニム王国が自由と責任がある国だ。平和軍警察がある国だ。市民達が王と王妃達と平和軍警察がある国。中央政府と警察が無い。軍が無い。市民達は自由と責任のある国。政府はしもべになる国。こういう国が来ている!こういう王国が来ているんだ!

今は、伝道できるこんなに易しい秋収(しゅうしゅう)(の時)は無い。こんな危機に人達は生死の峠を越えながらハナニムを考えるようになる。

今は福音伝播。見なさい。主の弟子達が福音伝播した後に、21節で、ハナニムに対して「感謝(カムサ)ハムニダ、アボジ、讃揚(チャニャン)ハムニダ」と祈禱したじゃないの。それが私達のアボジです。

私達はハナニムの福音を伝播しながら、ハナニムの王国を伝播しながら、他の人達の永生を考えながら、悔い改めの道、こういう時にアボニムの役事が證據(しょうこ)される時、アボニムの後繼者、相續者、代身者の予言が
事実化される事が證據される状況になった時、その時に人達が否認する事ができない。

皆さんが問題だ。5年の間、訓鍊と準備する事ができた皆さんはリーダーだ。リーダーの立場で何をするのか。福音伝播しないといけない、伝播。ハナニムの王国について説明するべき。「悔改めよ!悔改めよ!ハナニムの王国は来ています」こういうふうに言うべき。それが福音のメッセージだ。そうじゃないの?

證據(しょうこ・証拠)する:証明する証人になる

今、皆さんは、すべてが家で監視鑑別を受けているそういう状況で、家から出る事ができない状況で、電話できる、インターネットできる、テキストメッセージできるじゃないの。皆さんが知っている人達、外にいる人などに話しする事ができるじゃないの。

特別にアベル圏クリスチャン達がハナニム王国に入る事ができるように助けてあげよう。多くの基督教人がサタンの詐欺を通じながら社会主義に行くから。

政治サタン主義、ハナニムの王国は社会主義ではない。これは詐欺だ。これはミクロコスモス韓氏オモニ・郭グループの詐欺!ハナニムの王国は鐵杖王国!

だから、サバイバルの法則は何か。2つあれば1つがある。1つしかなければパンク。この鐵杖(てつじょう)を見てみろ。鐵杖にこのサイトが2つある。ここに赤い点があって、

このサイト(照準)がもし壊れたらこれをカチッと立てれば、サイトが2つがある。見えるだろう。2つあれば1つが壊れても、もう1つが使える。1つだけしかなかったら、これが壊れたら銃を使う事ができない。2つあれば1つを使える。1つしかなければパンク。

二代王が皆さんにこれを7年前に話した。ブッシュクラフト訓鍊、サバイバル訓鍊をさせながら。誰がこのように多くの人達に訓鍊をさせていたか。郭グループ?韓氏オモニグループ?泥棒詐欺野郎達?ただ、アボニム後繼者、相續者、代身者がさせていたじゃないか。

今、そのマルスムが實體化しているのに、ただ家でじっとしていたら、どうするの?家にいても、インターネットを通じながら、メッセージなど送る事ができるじゃないの。福音伝播できるじゃないの。人達が悔い改めの道に行く事ができるように。

今、その人達が地獄に行っているのに。霊的地獄だけでなく實體(じったい)的な地獄!社会主義、共産主義、政治サタン主義。

市民達を目覚めさせるべき。皆さんはそのような保護圏の中で大変多くの福を受けた。市民達を生かしてあげるべき。直接できなければテキストでできる。電話で、インターネット メッセージで。

どういう事かわかったの?若い奴たちも。他の人達が死んで行っている事を考えでもするべき。

つまり、社会主義・共産主義奴らのようにしたらだめでしょう。自由と責任。


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真のお父様のみことば 1960年1月17日「誰が天の心情を知っていたのか」

 堕落した人間を見るようになったその日から、神様は堕落した世界を見ざるを得なくなり、堕落した人間と接するようになったその日から、神様が待ち焦がれた創造理想世界は、心の中に深くしまっておかなければならなくなりました。

理想があるにもかかわらず、その理想を実現することができず、万物に接する時には、いつもその理想を成したい心の動きはあったとしても、その理想の心を表現することができなかった天だったのです。神様が創造された万物でしたが、神様のものではなく、神様が愛すべき子女ではあったのですが、神様が愛することのできる子女にはなれませんでした。


 それゆえ、この地を見つめられる天は、喜びの天ではありませんでした。悲しみの中の悲しみを感じる天であり、苦痛の中の苦痛を感じる天であったというのです。

 神様は、本来人間に御自身の直系の子女であるという名分をもたせようとして創造された因縁をあきらめることができずに、再び探し出す歴史、救いの歴史、再創造歴史を始められました。失った者を再び捜すための歴史路程において、神様は多くの悲しみを味わってこられましたが、その悲しい心に同情してくれる者は一人もいませんでした。

このような中にあって、天は悲しい心情を抱いて、堕落した人類のあとについてこられました。前に立つことができず、あとについてこられたのです。死刑囚の父母が、死刑執行所に行く息子のあとについていくのと同様に、神様は、死亡の道へと引きずられる人類、宇宙的な死刑囚のような人類のあとについてこられたのです。


天はイスラエル民族に、何も知らない彼らを導びかれた苦衷をさらけ出して、「私は誰であり、お前たちは誰である」という事情を分かち合いたかったのです。その事情を分かち合うために四千年ぶりに天が送られたメシヤが、イエス様だったというのです。

イエス様によって歴史が明らかにされ、イエス様によって心情が明らかにされ、イエス様によって新しい世界が展開されていたなら、どうなったでしょうか。もしその時、イスラエル民族がイエス様の前に帰依して、イエス様が死ねば共に死に、生きるならば共に生きることのできる団結した民族となっていたとするなら、この世界は原子爆弾による恐怖であえぐ世の中にはならなかったでしょう。


 祭司長と律法学者、イスラエル民族全部が一つに団結して、イエス様がどのようなみ言を語られても、一言も漏らさずに実践したとするなら、イエス様のみ言を中心とした理想世界が始まったことでしょう。

しかし、イエス様はそういう環境に立つことができませんでした。祭司長と律法学者は、行く所、行く所でイエス様の怨讐となりました。そのような局面であったがゆえにイエス様は、「私が誰であり、あなた方は誰である」という話もできずに逝かれるしかなかったのです。それゆえ、どれほど不幸なことであったかというのです。


 天は四千年間苦労された神様の事情を知らせるために、事情を語りながら手に手を取って「お父様!」、「私の息子、娘よ!」と言うことができる一日を見るためにイエス様を送られましたが、送ったことが恨となったまま、キリスト教二千年の歴史をつづってきました。



 神様は、知らせるために六千年間も苦労なさり、イエス様を送られ、先祖を犠牲とされましたが、無意味で無価値で無感覚な全人類を集めておいて知らせるその一言の言葉は、数千万の善なる人々が首をしめられ、血を流した祭壇のみ言であるというのです。


 その一言のみ言には、死刑場で消えていく数千数万の善なる人々に、知らせてあげることのできなかった神様の曲折が葬られているのです。皆さんが創造原理から復帰原理まで全体のみ言を受けるようになるとき、そのみ言の一言一言には、血の涙が絡まっているというのです。それを探すために苦労した人は差し置いてでも、歴代の先祖たちの血の涙とため息が、切々と入り乱れていたのです。


 それを探すために、いかなる道も甘受してきた人がいるとすれば、彼が歩んだ路程には一言のみ言を探し出すためにも血の涙を流す事情が込められており、呪いと恨みがあふれる歩みをいとわず歩んできたのです。


 その一言のみ言のもとには血涙が漂っており、死のうめき声が自分を催促していることを感じる者であってこそ、歴史的な神様の心情を知ることができ、歴史的な神様の事情を知ることができ、神様が願って探してこられた息子の面目を保つことができるのです。

そうなるならば六千年後に生まれた息子だといっても、心情を中心としては六千年前の自分でもあり、心情を中心としては四千年前の自分でもあり、心情を中心としては二千年前のイエス様と同じであり得るということなのです。






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