阿南信義

自由と堕落と復帰

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今週の水曜日(19日)に原理講義を行いました。堕落論の五節自由と堕落、六節神が人間始祖の堕落行為を干渉し給わなかった理由、のところです。
原理講義をしながら、なぜ堕落をしたのか、どうすれば復帰できるのかという原理を自由という観点から改めて教えられました。

サンクチュアリにおいては自由が重要視されています。天一国時代を迎えている今日、天一国主人として自由の特権が与えられているゆえであると思います。
それで、その自由をどのように捉え、自由をもって本然の立場に戻っていくかということが課題となります。

原理で堕落は自由を失い、天使長の事情と心情に相対し、授受作用をすることによって、非原理的愛が発動し、堕落にいたったということ。
復帰は自由をもって神様と相対し、授受作用することによって、本然の原理的愛をして創造本性を復帰できるということを明確にしています。

それで我々はそれをどのようにそれを実践し、実体的復帰をするかということ課題が与えられているということになります。


原理講論 堕落論 第五節

(三)自由と堕落と復帰


 天使は、人間に仕えるために創造された。したがって、人間が天使に対するのは、どこまでも人間の自由に属する問題なのである。しかし、天使から誘惑された当時のエバは、いまだ知的、あるいは心情的に、未完成期にいた。したがって、エバが天使の誘惑により、知的に迷わされ、心情的に混沌となって誘惑されたとき、彼女は責任と実績を追求する本心の自由によって生ずる不安を覚えたのであるが、より大きい天使との愛の力によって、堕落線を越えてしまったのである。

エバがいかに天使と自由に対したといっても、取って食うべからずと言われた神の戒めのみを信じて、天使の誘惑の言葉に相対しなかったとすれば、天使との非原理的な愛の力は発動し得ず、彼女は決して堕落するはずがなかった。それゆえに、自由が、エバをして、天使を相手とし、堕落線まで引っ張っていったことは事実であるが、堕落線を越えさせたものはどこまでも自由ではなくして、非原理的な愛の力であったのである。

人間は、天使に対しても、自由をもって対するように創造されていたので、エバがルーシェルに対するようになり、それと相対基準を造成して、授受作用をするようになったとき、そこに生じた非原理的な愛の力によって、彼らは堕落したのである。それゆえ、これとは反対に、堕落人間も自由をもって神に対して相対的な立場に立つことができるのであるから、真理のみ言に従って、神と相対基準を造成し、授受作用をするようになれば、その原理的な愛の力によって、創造本性を復帰することができるのである。既に述べたように、人間が本性的に自由を叫ぶようになるのは、このようにして、創造本性を復帰しようとする、本心の自由の指向性があるためである。


「人間が天使に対するのは、どこまでも人間の自由に属する問題なのである。」とあります。
今の時代の摂理において、真のお父様は天使に値する位置として、霊の子を与えてくださっています。霊の子に自由をもって対する責任分担が我々に与えられています。
復帰するためには神様と相対基準を合わせ、授受作用することによって、原理的愛を持たなければなりません。真のお父様のみことばと完全にひとつになることによって、原理的愛が発動されます。それで天使(霊の子)も本然の位置に立つことができるようになります。





真のお父様のみことば  「信仰の三子女と本然の家庭基盤」1985.5.13

霊の子とはいったい何か。これは失われた三人の天使長を意味する。アダム、エバが、三人の天使長の共同圏、協助圏に立てなかったから人間は堕落した。それを蕩減しなければならない。だから、三人の霊の子は三人の天使長に当たる。それらが一つになって、アダムに対して命を捧げるような立場に立たなければなりません。

 あなたたちは霊の子に対して、アダムの立場、エバの立場に当たる。そうなった場合、三人の天使長の代わりに立った霊の子は、その霊の親に対して、命を捧げても何の未練もないような心情圏をつくらなければなりません。教育して、そのような関係をつくらなければなりません。そして、アダムの立場から見た場合、自分自体が結婚するのを遠慮しなければならなかったのが、天使長の立場だね。三人の天使長がつくられた目的は、アダム、エバを教育して、家庭をもつことのできる心情圏確立の日まで遠慮せざるを得ない立場であったのに、逆に問題を起こしてしまった。そのことが堕落でした。


だから、それを結びつけながら、元のほうに帰るために天はそれを認定せざるを得ないんだね。それが、アベルの道である。まず、三人の天使長が一体化した基準であなたたちの一切の祝福を援助し、準備してくれなければなりません。だから、統一教会は三人の霊の子がなければ生活することができません。分かりました? 三人の霊の子がいなければ、三人の天使長が完全に援助した基準に立てないから、その基準は、そのまま堕落圏内にある。サタンはいつでも引っ張っていく。



「2020はたくさん伝道するとき」と、二代王様は語られています。その背後に天一国主人としての勝利を願われる神様と真のお父様の心情を感じています。伝道、この時にやらず、いつやるのかと自分に言い聞かせているしだいです。






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阿南信義
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