阿南信義

2020は外に出てたくさん伝道する時


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1.伝道とは何か
2.伝道をしなければならない理由
3.伝道する目的
4.伝道の価値




真のお父様のみことば集 「牧会者の道」から

1 伝道とは何か


 伝道とは何でしょうか。伝道とは、サタン世界を捨てて、笑いながら天の道についてくるようにすることです。天の国に導くことです。これを知らなければなりません。分かりますか? 皆さんを見ていると、伝道するとき、その人が好きでも嫌いでも、強制的に「来なさい、来なさい」と言いますが、そんなことでは駄目なのです。人は霊物なので、皆さんがある人のために祈祷して、一度実験してみなさい。ある一人を非常に愛し、その人をみ旨の前に立てるため、心痛い心情をもって、涙を流してみなさい。そして研究してみなければなりません。(五〇―二七九)

 伝道というのは何でしょうか。アベルがプラスなら、カインはマイナスです。サタン世界です。サタン世界について、私がプラス、アベルの位置にいるのです。そのサタン世界のプラスをマイナスになるように、服従するようにするのです。創造するのです。私と一つになれるようにつくるのです。再創造です。再創造、分かりますか?

 ですから嫌いでは駄目です。うれしくて成さなければなりません。神様が天地を創造される時、喜んで造ったのであって、悲しくて、造りましたか。ですから、自分が難しいことより、この大変なことより、より驚くべき愛を与えなければならないのです。(一〇八・八四)

 創造というのは投入です。ゆえに人のために、天使長のために投入した者ほど、自分が復帰されているのです。同じ道理です。

 こういう公式があるために、先生が公式に現れれば、皆さんに「投入しろ、犠牲になって投入しろ」と言うのです。それは正しい教育ですか、悪い教育ですか? (正しい教育です)。統一教会は、世界で天使長圏を復帰して、世界を復帰するための運動をしなければなりません。これは復帰されるまで続けなければなりません。神様が創造の主人であられるのに、神様が創造される時、「誰かせよ」と言ってしたのですか? 自動的にしたのです。ですから誰かが「せよ」と言って、しなければなりませんか。自分が望んでしなければなりませんか? (自分が望んでしなければなりません)。同じなのです。

 ゆえに、伝道しに行けというのは何ですか。完成して早く帰ってこいということです。天の国に早く帰れということなのです。それゆえ、「行かない、嫌だ」と言うのは、この場で滅びるということなのです。ですから、滅びないように追い出さなければなりません。これが理論的です。それゆえに、皆さんはこれを知ってからは、行かざるを得ないのです。ドイツ人も行かなければならず、アメリカ人も行かなければならず、黒人も行かなければならず、日本人もみな行かなければなりません。「私は、それは必要ない。やってみても、こうであり、こうだ」そのようになっていないのです。みなこのようなことが引っかかっているのです。(八一―一五四)

皆さんは天国に行く時に、礼物として持っていくものがありますか。霊界に行けば、殉教した功臣たちが、前にずらっと立っているのですが、彼らの前に皆さんが、包んで、持っていくふろしきを広げることができるでしょうか? 皆さん一度考えてみてください。こじきの包みのようなものを、広げることができますか。統一教会が、どんな苦労をし、皆さんが、どんな苦労をしましたか? 「国のために、世界のために」と言いながら、それほどの苦労もしないで、どうやって「国のため、世界のため」と言えますか。「苦労をすることはしたが、苦労したとは考えません」そうしてこそ当然なのです。まだ行く道が残っています。霊界に行ってふろしきをほどいて、「これは一生涯私が準備した贈り物なので、受け取ってください」と言えるようでなければなりません。女性たちが、嫁に行く時には一包み持っていくのに、天国に行く時には、体だけぶらぶらと行くのですか。(三二―三七一)


2 伝道をしなければならない理由

 今まで宗教は何を目的にしてきたのでしょうか? 自分の救いという問題を中心にしてきました。そういう宗教は必ず滅亡します。終わりが来ます。今はいくら世界的に成されているといっても、それは必ず、もう一度復活しなければなりません。自分一人の生命を救うための宗教と、キリスト教を信じる信徒たちの目的がどこにあるのでしょうか? 「自分が救いを受け、天国に行く」と言います。そう言ってはいけません。天国に行くのに、一人で行って何をしますか。万民を連れていくために信仰をしなければならないのです。

 ゆえに、「伝道するな」と言っても、伝道しないわけにはいかないのです。「善を行うな」と言っても、行わないわけにはいかないのです。(三五―二〇五)


 このような点から見るとき、皆さんが生きていくためには、伝道しなければなりませんか、伝道しないほうがいいですか? (しなければなりません)。天国とは誰の天国ですか? 統一教会の文先生の天国ですか? もし天国が文先生の天国ならば、皆さんは、先生から借りた天国に行って暮らすのですか? (三四―二九三)

 伝道に行くことは、私も生き、カインも生かすためです。言い換えれば、伝道は神様とサタンの前に認証書を受けて、実践するために行く道です。私が戦うのは、認証書を受けるために、立てておいた条件のとおりに実践するためのものなのです。分かりますか。皆さんはそれを知って、道を行かなければなりませんが、今までそのように行った人がいますか? 何も知らず、行ったり来たりしたでしょう。(四〇―二五二)

 伝道しなければ滅びます。滅びたければ、伝道しなくてもいいです。カインを探せない人は、立つ場がないのです。いくら神様の愛を訴えても、カインがいなければ天国に行けないのです。(三四―二九二)

一度に、これほどの金の塊を掘り出すことのように、一番地、一番地、他の所を探して回るのです。多くの家を探して回れというのです。それをしなければなりません。伝道しなければなりません。そうしなければ神様の事情が分からず、イエス様の事情が分からず、先生の事情が分からないのです。先生は今でも伝道するでしょう? 同じではないですか。これは原理の道です。(九五―三〇三)

 今、皆さんにおいて、伝道が怨讐ですか、体が怨讐ですか? (体が怨讐です)。伝道も皆さんが好き勝手に行うのではないのです。伝道しに行く人は、サタンの前に公認を受けに行くのです。神様から公認を受けるため、伝道に行くのです。ゆえに神様の認証書を受けて、またサタンの認証書を受けておいて、戦わなければならないのです。分かりますか? (はい)。

 皆さんが伝道しに行くのは、救ってあげるためではありません。救われるために行くのです。分かりますか? 現在の私が、そういう立場だというのです。私が先に救いを受けてこそ、他の人の救いをなせるのです。先にアベルになってこそ、カインを救うことができるのです。皆さんはアベルになりましたか? まだなっていないでしょう。

 アベルになるには、どのようにしなければいけないのでしょうか。まずは、神様の愛を受けなければならず、二番目には、生命がなければなりません。そして三番目には教えなければなりません。これが公式です。

 それならまず、神様の愛を受けなければならないのですが、今皆さんは、神様の愛を受けられますか、受けられませんか? 愛はどのように受けるのですか? サタンを追い出すほど、そこに比例して、愛を受けるようになるのです。悪を除去した分量に該当する愛を、神様から自動的に受けるようになるのです。そうしなければならないのではありませんか。私が悪を除去する分量ほど、神様の愛が私に下りてくるのです。

 私が生命をささげて、悪を屈伏するようになれば、生命を探すことのできる神様の愛が私に来るのです。これは公式的です。おもりと同じです。一方が下りていけば、他のほうが上がるようになるのです。悪を多く除去すれば、善が上がり、悪を多くもつようになれば、善が下りていくのです。これと同じだというのです。悪を除去するほど、愛を与えるのです。それゆえ、誰よりも神をより愛せというのです。神様をより愛せということは、神様を愛するほど、神様の愛を受けるというのです。すなわち、神様を愛したので、神様の愛を受けることができるというのです。(四〇―二四三)


3 伝道する目的

 伝道は第二の私をつくるためです。(一八―一八六)

 旧約時代は、物質の祭物時代です。そうですか、そうではないですか? (そうです)。その次に、新約時代は何ですか? 息子の祭物時代です。実際に、イエス様がそうだったでしょう? 新約時代のイエス様がそうだったでしょう? この時は、祭物を体でささげるのです。体は、神様が願う最高の祭物です。それが経済復帰です。ファンダレイジングです。ファンダレイジングをするのです。世の中の人が、一般の人についてこれず、世間のキリスト教徒がついてこれないほどして、その次には息子として立てられたので、み言をもって、神様の代わりに愛さなければなりません。伝道しなければなりません。イエス様の使命を成さなければならないでしょう。(九五―二九四)

 伝道とは何か。息子の位置に立って、すなわち、言うなれば新約時代を蕩減するのです。サタンに勝たなければならないのです。サタンに勝たなければならないのです。(一一九―四九)

 伝道に出る目的とは何ですか? イエス様以上に優れることです。イエス様以上に優れなければ、祝福は受けられないのです。そうでしょう? イエス様より優れたならどのようになりますか? イエス様はゲッセマネの園に行って、生かしてくださいと三回も祈祷したのですが、私は死ぬようなところでも祈祷せず、死んでいくというのです。(笑われる) 私はしないのです。私は絶対にしないのです。死ぬなら死んだでしょう。そうすれば、イエス様より優れているのです。そのように行くのです。私が死ぬ場に行っても、私は祈祷しないのです。私が生きるために祈祷しないのです。分かりますか? (はい)。

 さあ、伝道する目的とは何ですか? イエス様より優れているので、イエス様の弟子のように、反対する弟子でなく、死ぬにも、一緒に死ねる弟子を私がつくるのです。死ぬ場に共に行かなければならないのです。その人が死のうとする時、その息子が死のうとする時、私がまず死ねる場に行かなければならないのです。

 すべての十字架は、私が責任をもち、村で石を投げられても、私がまず受けようとし、悪口を言われても、私がまず言われようとし、鞭打ちを受けても、私が先に受けようとしなければならないのです。分かりますか、何のことか。(はい)。伝道する目的とは何ですか? (イエス様より優れるため)。(九六―一二二)

 では、伝道はどのようにするのですか。それより一生懸命やれ! それより一生懸命せよというのです。物質を復帰するよりも、旧約時代を越えていくよりも、新約時代を越えて息子を復帰することは、それ以上一生懸命しなければなりません。それが原則です。それ以上一生懸命せよというのです。そうしなければ、原理に合わないというのです。

 そうしてこそ、新約時代を通過するのです。イエス様の代わりに、責任を完成するのです。アダムが万物を失い、人を失い、愛を失いました。この三つを失ったのです。ゆえにアダムの代わりになり、神様の息子、娘になるためには、万物を探して、人を探して、愛を探してこなければならないのです。そうしてこそ、復帰されるのです。それが原理です。それは、レバレンド・ムーンの言葉ではないのです。そうでしょう。分かりますか? (はい)。ゆえに、せざるを得ないのです。

 ですから、先生が、万物を探すため、お金をもうけるため、どれほど泣いて、歩き回りながら苦労をしたか分かりません。伝道をするために夜を明かし、どれほど涙を流したか分からないというのです。神様が願う家庭を探すため、どれほど十字架を背負って、迫害を受けたか分かりません。(九六―一五一)

 私たちが原理で伝道するのは、愛を探す運動をすることなのです。心情の世界は時空を超越します。み言も祈祷も、究極には愛のためのものです。完成は、愛の理想を成すことです。(三三―六九)


4 伝道の価値

 いくら時代的な一日の生活でも、伝道するその一日は、永遠と関係を結ぶのです。そのような秩序のころ合いの上に、私たちの一つ一つの行動というのは全体、あるいは永遠と関係を結んで、それがなくならず、残るというのです。

 それゆえに皆さんが、伝道するその一日の血と涙を流し苦労したすべてのことは、永遠と関係を結ぶのです。「秩序の土台の上に真を立て、永遠を約束する不変の価値」、その次には、皆さんが一人ずつ全部、三千里半島(注:韓半島)に出て伝道する時、その価値が初めて立てられることによって、どうなるのですか? 「高く立てられる真理の立て札」、このようになった真の基準が、このように人間が行かなければならないというその真の基準が、だんだん現れるというのです。

 個人的に現れ、家庭的に現れ、国家的に現れて、統一教会が進むこの真理の立て札、これが初めて人間が行かなければならない立て札となって、どのようになるというのですか? (ようようたる……)。「ようようたる善なる日を美しく飾れ」初めて恒久に継続される善なる日々、一日一日の生活を迎えるのです。(一五二―二一九)

 伝道すればうれしい。反面伝道しなければ喜びがこない。先生もこのことを成さなければ苦しいのです。伝道すれば、悪口を言われても、うれしい。(一九―二二)

 開拓伝道をするようになれば、生きておられる神様が、いつでも私たちの周囲で共に守ってくださっていることを体験できます。神様を背信し、反対の方向に行ってしまう場合には、その後の道は長くありません。(三五―一九三)

 神様が生きておられるということを体験するようになれば、「伝道するな」と言っても、必ず伝道するようになります。伝道することが、一番衝撃的であり、新しいことをつくってくれるからです。十人いれば、彼らに心から対したなら、十人が新しい人となるというのです。そうしてから教会に来て、祈祷してみろというのです。そうすれば、彼らが発展する時、必ず私自身も発展するようになっているというのです。私自身が上っていくのです。(三〇―一五四)

 霊界に行けば、誇ることは伝道しかないというのです。霊界では、お金をたくさんもうけたということは、誇る内容になりません。また、世間で権力をもったといって誇ることもできません。生命をどれほど生かしてあげたのか、これが誇りです。甲なら甲、乙なら乙、あるいは氏族を超越して、数多くの民族を新しい生命と関連させて、どれほど生かしてあげたのですか? これが財産です。財産はそれしかありません。

 霊界には、ないものがなく、慕わしい物もないけれど、一番慕わしいものがあるとすれば、真の人です。それゆえ、真の人を養育するために功をささげたその功臣は、天上世界で、当然、栄光の息子、娘になることができます。ゆえに誇ることは、それしかないというのです。(三〇―一四八)

 皆さんは、早く伝道して、あの下に行かなければなりません。常に走っていって、心のままに上って、心のままに下って……そうできる人をつくっておけというのです。ゆえに、私が下ったなら、しきりに押し上げてくれる人がいなければなりません。何のことか分かりますか? 皆さん、先生に困ったこと、難しいことがあれば、皆さんみんな、先生の代わりに行こうとするでしょう? 先生に難しいことをさせようと考えますか? 同じ道理です。ゆえに、そういう基盤をつくらなければならないのです。(一〇四―一八四)



二代王様のみことば 2020.2.5




今からは伝道をたくさんするべき

時:2020年2月5日水曜日
場:韓國語禮拜
所:天一宮

二代王:

今は、2020(イーゴンイーゴン)は皆さんがお互いを見つめるのではなくて、外を見なければなりません、今。福音を伝播、天一国憲法伝播。

生命を早く生かさないといけない。天一国が来ているので。
生命も活かして天一国王国に入って来る事のできる人達を育て、新しい王と王妃達を作らなければならない。

お互いがおろかな馬鹿の言い合いと、うわさをする幼稚園の遊びをするんじゃない。

イーゴンイーゴン(2020)は外を見て!世界のサタン世界に勝たないといけない。
市民達に知らせないといけない。中国政府はサタン主義、赤い馬、危険な馬、戰爭を作る馬。

今からは伝道をたくさんしないといけない。伝道。伝道をたくさんして新しい生命を活かし、主の恩恵と愛で。

その次に新しい王と王妃達を作らないといけない。奴隷達を王と王妃として
作って育てないといけない。
訓錬もして、ハナニム王国の為に、天一国憲法を守り、チャンプモニムをつかんでイエスクリストを愛し、福音を伝播しながら、ハナニムの王国を見つめながら、新しい生命達を救援の道に引導しながら、伝道しながら、讃揚(チャニャン)しながら、
平和軍警察訓錬しながら、どんな障害物にも勝ち抜きながらハナニムの恩恵で。

勝利!ハナニムの勝利的次元に上がりながら、天一国を迎える事のできる宗族(そうぞく)王と王妃達、天一国市民達、百姓(ペクソン)達になるべき。

分かられましたか?若い奴ら、どういう意味か分かったの?コメントで出ているの?

とにかくエレミヤ10章に出てくるように、我々はサタン世界を恐れてはだめだ。戦う時に恐れたらだめだ。「恐るな」というのは「受け入れるな」という意味ではない。戦う時、恐れてはならない。左翼野郎と戦う時、恐れてはだめだ。

左派イデオロギーとサタン主義イデオロギーと政治サタン主義と戦う時、恐れてはだめだ。
その戦い、義の戦い。その戦い…
何、善なる戦い。サタン世界を暴露する戦い。戦わなければ生命を失ってしまう。生命たちは地獄に行く。実体的な地上地獄と永遠な地獄。恐ろしい地獄。

その人たちを活かさないといけない。ちからその力はクリスト、クリストから出て来る文明圏、天一国憲法、天一国憲法は実体的な地上天国を建設するから。
左派社会主義、共産主義、サタン政治主義から解放を受けるんだね。人々が。つまり、天一国の国、王国でお互いが戦って、あるときは同意しないでそうなっている(そうなる事もある)しかし、クリストを知る人、その人はより成熟する。

二代王がいつ家庭詐欺連合の奴達を強制で伝道せよと言ったの?できないんだね。宗教の自由は天一国憲法で保護されているから。

でたらめで狂った内容を信じてもそれを信じるのはその人たちの権利だ。しかし、それが正しいという意味ではない。だから福音を伝播しないといけない。マルスムを伝播しないといけない。

人たちの生命を救おうとされる主の心から生じるんだね。それは2020で我々が戦うべき。ハナニムの王国の為に。
家庭詐欺連合の奴たちだけでなく、サタン主義にはまったモノたち、娼女たち、税吏たち、ラスベガスはアボニムが活かそうとする創造本然の世界。主であられるから。そういう心で。

外を見ないといけない。天一国憲法を見せてやりながら。左派野郎達に反対し、恐怖、恐れずに。ハナニムの勝利とハナニムの国の勝利、ハナニムの王国の勝利、天一国憲法とハナニムとチャンプモニムとイエスクリストの勝利のために、戦いでる事のできる勝利的王と王妃達、天一国百姓(ペクソン)達になりましょう。我主(アージュ)、我主、我主





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