阿南信義

11条の重要性



神様の摂理は万物を犠牲にすることを通して堕落したところの人間を復帰する摂理をなされてきました。堕落してサタンの侵入を受けている人間に信仰を継続させるために11条(10分の1)の責任を与えて、神様が人間を主管することのできる条件としてこられました。

今まで、旧約の時代、新約の時代において選民として選ばれた第一イスラエル、第二イスラエルの人々はそのことを着実に守りながら、神様と一つになってその信仰を継続してこられました。

成約時代において、特に日本の場合はその思想を強調することなく、万物復帰の意味も理解することのできない事情の中で万物を捧げてきて、11条に対しての思想と伝統が立てることができないまま来ているのが現状です。

下記のみことばと聖句を知るとき、11条はまさに堕落した人間を復帰するための神様の愛と知恵であることがわかります。

成約時代のこの時、神様が主管することのできる11条の実践を継続しながら、氏族的メシヤとしての任務を全うしていきたいと思います。


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11条に対する姿勢 みことばと聖句
■真のお父様のみことば

◇公的統治の法度
一九七〇年六月四日 『文鮮明先生み言選集第三十一巻』

 キリスト教の十一条を見ると、そこには実に怖い内容があることを知るようになります。十一条を出さなければならないという聖書の一節もあります。十の中から一つを神様に捧げなさいということです。「神様に見えるのか。十一条とは何か」と言う人もいるでしょうが、十一条は、一つだけ行って十まで行くということです。

 もし皆さんの両親の誕生日祝いや還暦祝いを迎えて、お祝いをするために牛もほふり、豚もほふって、ある物ない物みな作って捧げるというとき、その方々はそれを全部食べますか。そうではありません。受けることはみな受けますが、みな食べることはできません。ほんの少ししか食べることができないのです。しかし、このように少しだけ召し上がっても、みな召し上がったという条件が立てられるのです。

 これと同様に、十一条は私が所有している物質の中から十分の一を神様に捧げることによって、全体を捧げるという意味をもっているのです。父に全体は捧げないけれども、その中の一つを精誠を込めて捧げるということは、そのような意味で価値があるのです。そのように一つを捧げることによって、残りの九も聖なる物として取り扱われるようになるのです。このように十一条を捧げて生きる人は滅びることがないのです。日がたてばたつほど彼の倉庫が増えるようになっているのです。



◇.私を中心とした父母と子女と万物世界
一九八三年六月五日

 アダムの家庭では八人の食口が堕落しました。その中でサタンを中心として三人の息子が落ちました。そのために三人の息子と三人の娘が必要であり、これ(三人の娘)は三人の息子を中心とした三人です。ここではサタンを中心として上っていかなければなりません。サタンの愛を中心として落ちたので、神の愛を中心として、ここから上がっていかなければなりません。そして何があるかといえば、万物があります。

 堕落してすべてを失ってしまいました。そこで万物の条件も立てなければなりません。統一教会が万物の条件を立てるのは再創造するためです。サタン世界になってしまったので、神の側には何もありません。神側に何もなくては、アダムとエバを再創造することができません。神はアダムとエバを先に創造しましたか、万物を先に創造しましたか? (万物です)。では万物をサタン世界に行って、取り戻してこなければなりません。世界代表を中心とした所に行って、世界代表した精髄を取ってこなければなりません。そこにおいては、すべての国が反対します。そのようにサタンが反対する中において、仕方なく探してきました。

 本来、すべての万物の所有は、真なる愛をもつ人がするのが原則です。「君(サタン)は真の愛をすることができなかったけれど、私は真なる愛をしたので、このものを私に渡してくれなければならない」と言うときには、サタンも仕方ありません。サタン世界の所有として愛する以上の愛する心で愛さなければなりません。それで十一条、サタン世界でも十一条の代わりに(税を収めています)。

三掛ける三は九で、これが三段階(黒板使用)、十数は神側に入り十一条に対するものを取り戻してこなければなりません。その意味において、サタン世界から取り戻してこなければなりません。人類を愛し、世界を愛し、神を愛するにおいて、君(サタン)よりは優れているという立場に立って、取り戻してこなければなりません。精誠を尽くしてそうするのです。それは万物において、条件を立ててやったことであって、全体ではありません。

全体の核心、種を取り戻してこなければなりません。条件というのは種です。それを取り戻してから、初めて自分自身が再創造されるのです。自分を通して再創造するにおいて、万物が必要です。万物を愛するうちに、万物を愛する本然の私になります。



聖句から
■創世記 第14章

11)そこで彼らはソドムとゴモラの財産と食料とをことごとく奪って去り、12)またソドムに住んでいたアブラムの弟の子ロトとその財産を奪って去った。13)時に、ひとりの人がのがれてきて、ヘブルびとアブラムに告げた。この時アブラムはエシコルの兄弟、またアネルの兄弟であるアモリびとマムレのテレビンの木のかたわらに住んでいた。彼らはアブラムと同盟していた。14)アブラムは身内の者が捕虜になったのを聞き、訓練した家の子三百十八人を引き連れてダンまで追って行き、15)そのしもべたちを分けて、夜かれらを攻め、これを撃ってダマスコの北、ホバまで彼らを追った。16)そして彼はすべての財産を取り返し、また身内の者ロトとその財産および女たちと民とを取り返した。

17)アブラムがケダラオメルとその連合の王たちを撃ち破って帰った時、ソドムの王はシャベの谷、すなわち王の谷に出て彼を迎えた。18)その時、サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒とを持ってきた。彼はいと高き神の祭司である。19)彼はアブラムを祝福して言った、「願わくは天地の主なるいと高き神が、アブラムを祝福されるように。20)願わくはあなたの敵をあなたの手に渡されたいと高き神があがめられるように」。アブラムは彼にすべての物の十分の一を贈った。



■ヘルブ人への手紙 第7章

1)このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司であったが、王たちを撃破して帰るアブラハムを迎えて祝福し、2)それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。3)彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである。4)そこで、族長のアブラハムが最もよいぶんどり品の十分の一を与えたのだから、この人がどんなにすぐれた人物であったかが、あなたがたにわかるであろう。5)さて、レビの子のうちで祭司の務をしている者たちは、兄弟である民から、同じくアブラハムの子孫であるにもかかわらず、十分の一を取るように、律法によって命じられている。

6)ところが、彼らの血統に属さないこの人が、アブラハムから十分の一を受けとり、約束を受けている者を祝福したのである。7)言うまでもなく、小なる者が大なる者から祝福を受けるのである。8)その上、一方では死ぬべき人間が、十分の一を受けているが、他方では「彼は生きている者」とあかしされた人が、それを受けている。9)そこで、十分の一を受けるべきレビでさえも、アブラハムを通じて十分の一を納めた、と言える。10)なぜなら、メルキゼデクがアブラハムを迎えた時には、レビはまだこの父祖の腰の中にいたからである。



■創世記 第28章

10)さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ向かったが、11)一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。12)時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。13)そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。

14)あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。15)わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。16)ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。17)そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。18)ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、19)その所の名をベテルと名づけた。その町の名は初めはルズといった。

20)ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、21)安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。22)またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなたにささげます」。



■レビ記27章

30)地の十分の一は地の産物であれ、木の実であれ、すべて主のものであって、主に聖なる物である。31)もし人がその十分の一をあがなおうとする時は、それにその五分の一を加えなければならない。32)牛または羊の十分の一については、すべて牧者のつえの下を十番目に通るものは、主に聖なる物である。33)その良い悪いを問うてはならない。またそれを取り換えてはならない。もし取り換えたならば、それと、その取り換えたものとは、共に聖なる物となるであろう。それをあがなうことはできない』」。34)これらは主が、シナイ山で、イスラエルの人々のために、モーセに命じられた戒めである。


■民数記 18章

21)わたしはレビの子孫にはイスラエルにおいて、すべて十分の一を嗣業として与え、その働き、すなわち、会見の幕屋の働きに報いる。22)イスラエルの人々は、かさねて会見の幕屋に近づいてはならない。罪を得て死なないためである。23)レビびとだけが会見の幕屋の働きをしなければならない。彼らがその罪を負うであろう。彼らがイスラエルの人々のうちに、嗣業の地を持たないことをもって、あなたがたの代々ながく守るべき定めとしなければならない。

24)わたしはイスラエルの人々が供え物として主にささげる十分の一を、レビびとに嗣業として与えた。それで『彼らはイスラエルの人々のうちに、嗣業の地を持ってはならない』と、わたしは彼らに言ったのである」。25)主はモーセに言われた、26)「レビびとに言いなさい、『わたしがイスラエルの人々から取って、嗣業として与える十分の一を受ける時、あなたがたはその十分の一の十分の一を、主にささげなければならない。

27)あなたがたのささげ物は、打ち場からの穀物や、酒ぶねからのぶどう酒と同じように見なされるであろう。28)そのようにあなたがたもまた、イスラエルの人々から受けるすべての十分の一の物のうちから、主に供え物をささげ、主にささげたその供え物を、祭司アロンに与えなければならない。


■マラキ書 第3章

7)あなたがたは、その先祖の日から、わが定めを離れて、これを守らなかった。わたしに帰れ、わたしはあなたがたに帰ろうと、万軍の主は言われる。ところが、あなたがたは『われわれはどうして帰ろうか』と尋ねる。8)人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。

9)あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいるからである。10)わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。11)わたしは食い滅ぼす者を、あなたがたのためにおさえて、あなたがたの地の産物を、滅ぼさないようにしよう。また、あなたがたのぶどうの木が、その熟する前に、その実を畑に落すことのないようにしようと、万軍の主は言われる。
12)こうして万国の人は、あなたがたを祝福された者ととなえるであろう。あなたがたは楽しい地となるからであると、万軍の主は言われる。



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