神の目的と我々の目的-日曜礼拝
真のお父様のみことば 神の目的と我々の目的 1965.1.28
ある時、先生は神に祈りました。「善なる神の目的、善なる神の人格、その目的にかなうその人格、神の心情を中心として生活する場において、神の事情を中心として、万物を抱き得る真なる神の求める創造本然のその人は、いずこにありますか?」。「おりません」。「過去におりましたか?」。「おりません」。「現在におりますか?」。「おりません」。「未来におるでしょうか?」。「私は知らない」。神自身も知らない。
責任分担の五パーセントを残しておる。この悲惨なる復帰の歴史は神自身ながら、いかなる力をもって、いかなる権力をもっても、どうにもこうにもすることができない。引っ掛かりに掛かっておる。その基点に対して、神がいかにその涙を流しても、どうすることもできない。
この重大なるその基点を解決し得るのは、人がしなければならない。君たちはその堕落論におきまして学んだ通りに、人間に責任がある。今まで神は全能なる神ゆえ、その神が果たそうとすれば果たし得ないことはないという考えを持った信者は多いけれども、神におきましてどうにもこうにもすることができないところがあるということを悟れる人がない。
それで神御自身におきまして、悲しみの境地に陥ったその瞬間の体験というものは、表現できません。その悲しみの境地、その悲惨なる境地、そういう境地を超えなければならない。そういう境地を超えなければ、その生死の国境と言いますか、この城壁を越えることができない。

最近の世界情勢をどのように捉え、どのように行動するかという点が重要なことです。そのためには神の摂理がどうなっているのかを知る必要があります。それでイエス様が最期のときを迎えた情勢がどのようであったかを理解することによって、終末のこの時においてなすべきことを悟り、実践する時の力を得ることができます。
み旨成就のためには神様の責任分担と人間の責任分担が完成しなければならない原則があります。神様の目的は御旨の成就であるけれども、そのためにまず人間の救いが目的でした。そのためにアベル側の多くの犠牲が投入されてきました。
人間の目的は天国の完成であるけれども、それぞれが自分の天国を求めてきて、多くの闘争と戦争を繰り返してきたのが人類の歴史でありました。
我々はその目的を成就するためには、神様が人間を尋ねてくださったように、まず神様を求めることが第一であることを知らなければならないと思います。そうしない限り永遠なる地上天国を迎えることはできません。
今日の世界情勢の中で、自分はどうすべきかを知ることのできない多くの一般の人々の姿があります。我々は摂理と原理を知っている立場から行動を判断することができます。
それはアベル圏の確立だという結論になります。アベルとしての立場が確立しない限り、カインは自然屈服することはできませんし、み旨の完成はありえない事になります。2000年前の右側の強盗のようにイエス様と一つになることだと思います。それはイエス様の立場である三代王権と我々が一つになることが今願われていることだと思います。
みことば 神の目的と我々の目的1965.1.28
みことば集 神様の摂理と南北統一(抜粋)

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