阿南信義

イエス様、右側の強盗、左側の強盗、そしてバラバ



2020年の新年を迎えてから急激にアメリカとイランとの対立が激化しています。そしてイランの背後にはロシアと中国がいます。イランの名は正式にはイランイスラム共和国であるように、イスラム教を国教として国家体制を確立しています。その戦いはキリスト教とイスラム教の戦いであるとも言えます。またそこに中国とロシアが入ってきていて、まさに終末的状況を迎えている世界の状況です。

韓氏オモニの不信によって、世界的終末状況はいよいよ深刻な事態となってきています。
真のお父様のみことばから我々は何をなすべきかを考えるとき。
みことば集「神様の摂理から見た南北統一」の中に、今日の終末的状況を分析し、警告されておられ我々の向かうべき方向性を明示してくださっています。


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真のお父様のみことば集 「神様の摂理と南北統一」の中から

二.イエス様の十字架と今日の世界

1 イエス様の十字架を再現した今日の世界

 イエス様は真理の本体です。すなわち真理の種です。ところで、この種は十字架にかかることによって植えられました。その時に右側の強盗と左側の強盗がいたことを皆さんは知っています。死ぬ立場でありながら、イエス様のおかげで釈放されたバラバは福を受けた人です。イエス様は十字架で死んで、「また来る」と言いました。十字架で逝かれたので、十字架で降りてこなければならないのです。イエス様が亡くなられたその時の環境がそのまま世界的な現象として実を結ぶ時になれば、主が来られる時になったことを皆さんは知らなければなりません。(六九―一一〇)


 イスラエル時代にイエス様が来て成就できなかったために、キリスト教文化圏を中心に主が再び来られることを約束しました。キリスト教は新しい歴史時代の出発です。イエス様を植えたのです。イエス様は真の人なので、真の人を植えたのと同じです。ところで植える時、一人では完全にきれいなものとして植えることができませんでした。サタンが讒訴する条件に引っ掛かったまま植えたのです。植えたものが世界的に実を結ぶ時になったならば、終わりの時であることを知りなさいというのです。


 イエス様が十字架上で亡くなる時に右側の強盗と左側の強盗がいました。その次に、イエス様の前にバラバがいました。右翼とか左翼とかいう言葉は、今日出てきたのではありません。イエス様の時代に植えたものが実を結ぶ時になって現れるのです。左側の強盗はイエス様に対して「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」(ルカ二三・39)と言いながら、イエス様を否定しました。右側の強盗は左側の強盗に「お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」(同二三・41)とイエス様の側に立って苦しみを克服し、左側の強盗をしかったのです。それで、右側にいた強盗はイエス様と共に楽園にいることを、我々は聖書を通して知っています。


 バラバはどのような人かと言えば、イエス様のおかげで助かりましたがイエス様に反対した人です。ですから、そのような文化圏が生じなければならないのです。それが、イスラム圏なのです。イスラム教は片手にはコーランを、もう一つの手には剣を持っています。これは純粋な宗教の立場に違背します。旧約聖書を信じながらも、そのようなことをしているのです。


 体的人にも、心と体があり、心的人にも心と体があります。これと同じように、外的世界と内的世界を見るとき、イエス様は内的立場にいました。内的な立場はイエス様と右側の強盗が一つに組んでおり、外的な立場は左側の強盗とバラバが一つの組になっています。(五三―一八八)


 イエス様を中心にして見る時、右側の強盗と左側の強盗、イエス様とバラバ、このように種を蒔きました。歴史がこのように蒔かれ、蒔かれたとおりに刈り取られるのです。まず最初に現れたのが右側の強盗型と左側の強盗型である右翼世界と左翼世界、すなわち民主圏と共産圏であり、その次に現れたのがイエス様の十字架を中心として登場したバラバ型であるイスラム圏です。イエス様のおかげで福を受けることができるようになったバラバ型のイスラム教は、キリスト教の旧約聖書を中心として出発しました。


 このように蒔かれた歴史は、世界の形態が三大陣営として結束する結果的な時代の運勢へと入っていくようになりました。アラブ圏のナセルは、イスラム教圏を統一してアラブ統一国家を夢見ました。そこに対備して、キリスト教は今、「すべての宗教を統合しよう」という世界的な新しい趨勢に入っていっています。このような世界的な傾向を眺めてみる時、悲運で蒔かれた歴史が、初めて神様を中心とした善の結果として現れているということを知ることができます。


 歴史の終末時代になればこれが露骨化し、始めに蒔いたものをこの時に結んだ模様そのままで収めるようになるのです。これは、摂理の法度によって現れないではいられない、不可避の傾向です。


 それでは、今現れなければならないものは何ですか。イエス様は人類を代身して死にました。その時、左側の強盗は十字架を背負ったイエス様を眺めて誹謗しました。「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」(ルカ二三・39)と言って誹謗したのです。そのような左側の強盗型として現れたのが、「神なんかどこにいるのか」と言って神様を誹謗し否認する左翼、すなわち共産圏です。それに反して、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」(同二三・40~41)と言って、イエス様を認定し、天を擁護し、天の側を証した右側の強盗型として現れたのが右翼、すなわち民主世界です。


 また、イエス様によって死ぬ立場から解放されたバラバ型のイスラム教圏のナセルという人は、このような左右の闘争の間で利益を上げようとするのです。それが、ナセルの政策です。


 民主世界が内的ならば、共産世界は外的です。右翼が内的ならば、左翼は外的です。ですから、将来メシヤは神様を尊重する民主世界の内的基盤の上に来られ、外的な環境を吸収して、キリスト教文明圏を中心として統合する運動をしなければなりません。最後には、このような運動が起こるのです。このようなことをただの偶然であると言うことはできません。そのような動機が蒔かれたために、そのような結果がもたらされるのです。(二〇―一七一)


2 終わりの日における地球上の四つの組

 この世界において、神様とサタンが世界的に大きく戦って蒔いた時がいつかといえばイエス様の時です。イエス様が十字架について死んだその位置は、この人類世界に神様とサタンが蒔いた位置なのです。それが収穫期、すなわち終わりの日になったので、世界的に現れなければならないのです。
 イエス様一人を中心に見るとき、四組になります。イエス様がいて、右側の強盗がいて、左側の強盗がいて、バラバがいました。これら四人が、生死の問題を中心として関係した人です。ここで肉的に復活したのがバラバで、霊的に復活したのがイエス様です。(五三―一三二)


 皆さんが今の時代をソ連と中共と米国の三国時代だと言いますが、そうではないのです。米国と共産圏とアラブ圏です。アラブ圏はイスラム教圏です。このように三組なのです。何を言っているのか分かりますか。民主世界と共産世界、そしてアラブ圏、このように残るようになるのです。

 その次にもう一つ現れなければならないのですが、それがどのような圏かといえば天国圏です。天国圏が現れてこそイエス様が勝利できる復活圏が開くのです。どうしてそうなのでしょうか。真は、蒔けばそのままたくさん収めるようになるのです。粟一粒を蒔けば秋に粟がたくさん取り込まれるのと同じです。そうでしょう? 植えたとおりに取り入れるのです。(五七―三三二)


 神様は国も分け、主義や思想もみんな分け、共産主義もみんな分けるのです。全部分けるのです。そうして四組になるのです。四組になればすべて終わりなのです。今、その時になってきたのです。四つの組にならなければいけないのです。世界的にもそうです。イエス様が真理の王子ならば、イエス様が蒔いたとおりに実る時になったのです。(四九―一九六)


 将来、残された問題がどのようになるのでしょうか。死ぬこと以外にありません。イエス様が死んだので右側の強盗、左側の強盗も死ぬこと以外にありません。キリスト教も終わりであり、民主世界も終わりであり、共産世界も終わりです。全部このようになるでしょう? イスラム教圏もみんな終わりです。天地の主人がいなくなったために、全部悲惨な運命になるのです。そのような運勢が今来ているのです。ここにおいて復活の権限をもって、この地上に再臨思潮が来るであろうというのが統一教会の歴史観です。


 ですから、家庭がばらばらになったなら天の家庭が糾合できる時が来たことを知れ、お父さんとお母さんがお互いに刀で刺し合うならばサタン世界が互いに争い滅びる時が来たことを知れ、教団で牧師と長老たちが刃傷ざたを起こしたならばその教団から既に神様が離れたことを知れ、信者が牧師をナイフで切り、牧師が信者をナイフで切るその時になれば終わりであることを知れというのです。これから、世界にそのようなことが現れるのです。その中で一番めちゃくちゃで、世界で代表的に誤った場がイエス様が血を流した場であり、その場がイエス様が復活できた場ではないですか。


 そのような立場に置かれている国がまさに韓国です。そのような意味で、韓国に再臨主が来られるのです。左右がぶつかる境界線である南北を中心として共産圏と民主圏の交差路が生じたのです。そこで民族的に家庭がこっぱみじんに割れるのです。皆さんがそれを知るようになればあきれ返るのです。(五〇―七二)


三.イスラム教圏と共産主義

1 イスラム教圏の立場

 バラバとは何ですか。イエス様が死地に出て行くことによって、死ぬべき者が生き返ったのです。そうでしょう? そのようなやからがいました。それが何ですか。この世界においてのアラブ圏イスラム教です。イスラム教はキリスト教によって出てきたのです。これは、「怨讐を愛する」という宗教的本質から外れたと言えるのではないでしょうか。それは、「コーランを受け入れなければ剣で切られろ」というカイン的世界宗教の代表、すなわちバラバ的な宗教です。分かりますか。


 ですから民主世界を中心にして見れば内的な精神的指導基準がキリスト教であり、共産世界を見れば、現象として共産世界の内的立場に立っているようなものがイスラム教です。ですからイスラム教とキリスト教は歴史的な怨讐です。そうでしょう? (はい)。そのように分かれるのです。(五〇―二二四)


 バラバのような国はどのような国かと言えば、イスラム教国家です。片手にはコーランを、片手には剣をもって、信じればそのままにしておき、信じなければ剣で脅します。信仰の本質はそういうものではありません。それは、愛し難いものまでも愛するという信仰の本質とは根本的に違うものであるとは言えないでしょうか。これは、間違いなく共産主義と表裏一体として現れるのです。(六九―一一二)


 バラバという人はどのような人かと言えば、イエス様の身代わりとして命を助けられた人です。そうでしょう? 彼はその当時の反動分子として国に民乱を起こさせた大逆罪人だったので、すぐに殺される立場にあったのですが、イエス様のおかげで命拾いをしたのです。そうでしょう? 


 バラバの父母がイエス様ならば、バラバはイエス様の身代わりに自分が救われたのだから、命を落とすようなことがあってもイエス様のために忠誠を尽くさなければならないのです。それが、人間の道理なのです。(五七―三三二)


 バラバ圏はどこであるかというのです。バラバはイエス様のおかげで死ぬ立場から救われた人です。彼は、イエス様のおかげで救われたのだからイエス様の死を心配し、イエス様の行く道を同情だけでもすべきなのに、逆に非難をした人です。イエス様は死んで復活しましたが、バラバは死なないで解放された人です。そうやって出てきたのが何かといえば、旧約聖書を中心とするコーランを信じているイスラム教圏であるということを、皆さんは知らなければなりません。そのために、イスラム教とキリスト教は怨讐になっています。


 イエス様と右側の強盗が一つになったように、左側の強盗とバラバが一つになる時が来るのです。それでは民主世界とは何ですか。右側の強盗であると見るのです。これは、ミスター・文の作り話ではありません。歴史がそのようになっているのです。


 これから先の問題は何ですか。イスラム教圏が問題であり、共産世界が問題であるということを、皆さんが分からなければなりません。今、共産党とイスラム教圏が手を取り合って出てきています。これを防止しなければならないのがイエス様を中心とした右側の強盗の立場の民主世界であるにもかかわらず、そうすることのできる民主世界の権限はどこに行ってしまったのかというのです。(五四―一二七)


2 イスラム教圏と手を握ろうとする共産主義

 共産党は、何としてでも将来アラブ圏と手を握ろうと努力します。これは、先生が前から話してきたことなのです。一九六五年に米国のアイゼンハワー前大統領に会った時、そのことを話したのです。共産世界が滅びる時には、必ずアラブ圏を通して民主世界に再び反旗を翻すと言ったのです。今がそうなのです。(四七―一九三)


 私が一九六五年度にアイゼンハワー米国前大統領に会って、将来、民主世界が共産世界に勝つとしても、共産世界がイスラム教圏と手を握って出てくる時が来ると言ったことがあります。皆さんは、今ソ連がインドを中心にしてエジプトやイスラム教圏と手を握り、南方作戦をしてきていることを知らなくてはなりません。米国が後退する位置を占領してきているのです。サタン側、悪なる側はそうやって一つになって民主世界をのみ込もうとしているのに、民主世界はこうしてもいい、ああしてもいいと言っているのです。(五三―一三四)


 今、共産世界とアラブ圏が手を握っています。(五五―二七二)

 先生が一番心配するのは、将来起こるかもしれないアラブ諸国家と民主主義世界との戦争です。共産主義はアラブ圏と一つになるかもしれません。このたび、ナセル軍部に驚かされたのはソ連です。共産主義であれ、民主主義であれ、滅びるようになればアラブ圏と合同して第二の戦争を起こすかもしれません。


 ですから、このような摂理的な責任をもつ統一教会が、これをどうやって打ちつぶすかが問題です。先生は、今までパキスタン一帯からインドと東南アジア、そして共産主義とイスラム教圏に対して相当な関心をもって注視してきました。(一八―二三七)


 もし共産党が、民主世界によって後退し滅ぶようになれば、アラブ圏を通して再び攻撃してくるのです。これを何によって防ぐのでしょうか。
このように外的な世界で共産世界とアラブ圏が合わさり、殴りかかってくるので、今日民主世界は慌てふためくのです。中心がないので、どこに行きますか。
 風に揺られるすすきのようになりました。ここで一つの錨となり、一つの錨の綱になることができるのは、ただ統一教会のほかにはありません。(五〇―二二六)


四.右翼の使命

 右側は右翼であり、すなわち、民主世界です。(七二―一二九)

イエス様が死んで蘇生して再び現れたので、右側の右翼が蘇生できる時になると同時に、左側の左翼が登場するようになりました。この右翼と左翼が、民主世界と共産世界なのです。分かりますか。(はい)。それで筋が通っているのではありませんか。イエス様は父母なので、父母が死んだことを解怨成事することのできる復帰時代になれば、この二組が現れてきてお互いに怨讐であるかのように闘うようになるのです。イエス様は天のための戦いをしながら死んで埋葬されましたが、今は父母が来て、この二つの世界を和解させ、平等な統一を成してこそ地上天国が開くのではなかろうかというのです。


 ですから、植えたままに刈り入れることができる世界的な時が、まさにこの時なのです。それでは、右翼という言葉はどこから出発したのでしょうか。右側の強盗から出発したのです。春に種を蒔いたのですが、どれがカラジ(猫じゃらし)の種であるか分かりますか、分かりませんか。分からないでしょう? 


 それと同じように、植えるのはイエス様時代に植えましたが、結実は秋になって現れるというのです。秋になれば、ただそのまま現れるのです。必然的にこのような歴史的な環境が世界的に現れるのが、三人の息子のような圏、すなわち不孝の息子、娘たちがもう一度天を中心として一つになってこそ、初めて父母がうれしい顔で生活をすることができ、孝子に祝福を分け与えることができるのです。その時が地上天国の理想世界が開かれる時です。分かりますか。


 また、反対していたすべてのことを世界的に蕩減するための時が今なのです。(五七―三三三)


 共産党は神様はいないと言い、民主世界は神様はいると言います。民主世界を右翼と言い、共産世界を左翼と言います。イエス様が死ぬ時に、右側の強盗と左側の強盗が植えたので、主が来られる時になれば刈り入れなければなりません。左側の強盗はイエス様に対して、「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれを救ってみよ」(ルカ二三・39)と、どんなに讒訴しましたか。


「神様がどこにいるのか。こうやって死ぬのに、神様の息子であるとは何だ」と。イエス様は何も言いませんでした。その時、右側の強盗は、「お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」(ルカ二三・41)と、とがめました。

 歴史始まって以来、死にいきながらもイエス様の側になった人は右側の強盗のほかにいませんでした。それで、「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」(ルカ二三・43)という言葉を聞くようになり、天国を開門する先鋒になったということを、皆さんは知らなければなりません。


 このように見る時、共産世界は左翼です。左側です。事実、その名称は早々とイエス様の時から生じたのです。民主世界は右翼です。右側の強盗と同じように、その右側を指導する国がアメリカです。それならば、アメリカは右側の強盗の使命を成さなければなりません。


 共産党が現れて、「神様は死んだ」と言います。それならば、右側の強盗のような民主世界は、神様が厳然と存在することを証して、命をすべて捧げて共産主義と対抗し戦わなければなりません。(六九―一一一)


 右側の強盗の責任を成さなければならない民主世界は、今どこに向かって行っていますか。死んだイエス様の恨みを復活の栄光として迎えることのできるキリスト教はどこへ行っていますか。自由世界は自由世界なりに、キリスト教はキリスト教なりに分立されているのです。反対に、サタンの外的世界は一つに合わさっているのです。(五三―三一八)


 民主世界が滅ぶとしても最後まで神様をつかんで、イエス様のために、来られる主のために死ぬと決心しなければ、この地上に主が来られても、また死ぬようにするのです。時はすべて成りました。今ここに、主が来られてキリスト教を中心として自由世界を一つにし、悪なる共産世界とイスラム教を殺してなくしてしまうのではなく、それらをすべて包摂するのです。
死ぬとき戦って死んだので、再び来ては世界的な平和の宴を成して歓迎を受けてこそ、初めてこの地上に天国が建設されるのです。(五四―一二七)



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