阿南信義

韓オモニ盲信は破滅への道

お父様のみことば  原理講論 創造原理 42p

無形にいます神の神性を、我々はいかにして知ることができるだろうか。それは、被造世界を観察することによって、知ることができる。そこで、パウロは、「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない」(ロマ一・20)と記録している。あたかもすべての作品は、その作者の見えない性稟の実体的展開であるように、被造世界の森羅万象は、それを創造し給うた神の見えない神性の、その実体対象として展開されたものなのである。それゆえ、作品を見てその作者の性稟を知ることができるように、この被造万物を見ることによって神の神性を知ることができるのである。

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家庭連合(旧統一教会)の幹部は「父母様は完全一体化している」ということを絶えず、言いながら、韓オモニを盲信する方針を貫いています。

私たちは原理を通して、神様を如何に知ることが出来るか。それは被造物を見ることのよって知ることができます。それは現象をとおして本質を知るという原理です。
今、韓オモニが天一国国歌、家庭盟誓、成婚問答、天聖経などを変更しています。特に、お父様が世界会長として任命し、代身者相続者として宣布されて、揮毫とサインをされておられる亨進様を追放されたことを見ても、お父様と一体化しているということを言える状況ではありません。

神様を如何にして知ることが出来るか。それは被造物を見ればわかるという原理です。ならば、韓オモニの言動をみれば明らかにお父様とは一体化していないということを原理を知る食口は誰でも判断できることだと思います。

韓オモニの背信によって、アブラハム家庭の象徴献祭を失敗した立場となりましたが、イサクの信仰によって、実体献祭を勝利したアブラハムは延長する摂理となりました。今はそのような時です。

亨進様笑顔


原理講論  アブラハム家庭 328p

ゆえに、アブラハムが神の命令に従って、その約束の子イサクを殺そうとした忠誠は、「象徴献祭」の失敗によってサタンの侵入を受けた自分自身を殺そうとしたのと同様な立場をつくったのである。したがって、神がイサクを死んだ立場からよみがえらせたということは、アブラハム自身も、イサクと同じく、死んだ立場から侵入したサタンを分立すると同時に、再びよみがえったということを意味するのである。ゆえに、アブラハムはイサク献祭で成功することにより、「象徴献祭」の失敗で侵入したサタンを分立し、み旨を中心としてイサクと一体不可分の立場に立つようになった。
 このように、死んだ立場から共によみがえったイサクとアブラハムは、お互いに個体は違うが、み旨を中心として見れば一体であるので、アブラハムを中心とする摂理が延長されても、イサクがその摂理において成功すれば、この成功は、すなわち、イサクと一体であるアブラハムの成功ともなり得るのである。したがって、アブラハムが「象徴献祭」に失敗して、その摂理はアブラハムからイサクまで延長したけれども、み旨を中心として見れば、アブラハムは失敗せず、また、その摂理も延長されなかったのと同じことになったのである。


今はイサクの時代となっています。アブラハムがイサクとともにおられたように。お父様は亨進様と共におられます。
私たちはお父様と完全に一体化された亨進様を信じひとつになることが神様の願いです。それは間違いありません。

韓オモニを盲信することはお父様を否定し、亨進様を不信することとなり、天の摂理を破壊する行為となります。

家庭連合(旧統一教会)の皆様は是非とも、原理的に客観的に判断して、正しい道を歩んでいただきたいと思います。

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阿南信義
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