イエス様解放とクリスマス
明日はこちらの大分聖殿でクリスマス会を行うことにしています。 この世的には誰もがクリスマスを祝う12月のイベントとなっていますがその本当の意義と目的を分かり、神様が認めることのできる内容であるかといえば、そうなってないのが現実の世界です。
イエス様のことを本当に慰め蕩減され、勝利の基台を立てられた真のお父様の生涯路程ですが、特に、1982年10月14日の6000双祝福は重大な転換点でした。
本来、イエス様は十字架にかかることが目的ではなく、イスラエル国を超え、ローマで世界的勝利の基台を立てられて、真の父母として、全人類を祝福して、神の王国を立てることが目的でした。真のお父様はイエス様のたどられた道を蕩減するために、興南に行かれ1960年から21年路程を組まれて、世界的ローマを復帰する闘いをなされました。
それで十字架で肉体を失われたイエス様でしたが、肉体をもって、実体的に世界的な勝利の基台を立てられた瞬間を迎えました。それから神様の祝福を世界的に与えられ、神の祖国が出発する拠点が宣布され、伝授されました。それが小メシヤ、氏族的メシヤの伝授でした。そのときが1982年10月14日の6000双祝福でした。お父様が北の興南収容所から解放されて33年のときです。

真のお父様のみことば「六千双祝福の摂理的背景」 1982.10.9
ローマとイスラエル国家とユダヤ教の三つがひとつになってイエス様を殺したのだから、今度はアメリカ勝利の基台を、霊的基台をつないだ基盤をもって帰ってきて、韓国においてその反対のことをしなければならない。ローマの立場に立っておるアメリカは歓迎したんだね。その勝利の基台を韓国に再び通過しなければ蕩減復帰ができない。その時ちょうど国家の情勢がキリスト教と政府が完全に衝突して全員やめたよね。死の寸前にぶつかった。その中間に立って国と先生がひとつになってキリスト教とぶつかるその戦いが一九七五年の国際機動隊(IOWC)の大動員時代だった。それは一九七三年、釜山からとテグからと大田からと四回にわたって動員するというキリスト教がいくら反対しても、われわれは押し切ってしまった。
二十世紀ローマの十字架の道
それでイエス様が殺される時にはその国とローマがひとつになってイエス様を殺したその基準を霊的に蕩減復帰した条件になるというんだね。霊的であるんだからね。それでその勝利した国家的勝利の基準を引き継いで再びアメリカにおける運動を展開した。それがアメリカ政府と戦う今の法廷闘争にまで拡大している。被告がレバレンド・ムーンで原告はアメリカ合衆国政府というわけだ。問題は大統領だよ。ニクソン、カーター、レーガン等。今やキリスト教会もユダヤ教も共産主義もアメリカ人は全部レバレンド・ムーンがおそろしい。だからレバレンド・ムーンを研究するのだけれど分からない。今度もそうだ。裁判中にワシントン・タイムズは二カ月間でつくってしまった。四カ月目にはアメリカの超エリートでいちばん有名なホワイトハウスの秘書たちも、ワシントン・タイムズに代表されざるをえないような立場に立ったということは、それは恐ろしいことだね。
だからアメリカにおいて国家的認定の問題等においていろいろ反対したにもかかわらず、そういうことを問題にしないで勝利をし、そういうふうにその権限を得た者が大きい基盤をつくれば韓国なり、あるいはアジア、今世界が影響を受けるんだね。霊的基準の勝利基台が土台となって、自動的に肉体基台がつくられるという見解が始まるというんだね。そのまま国家蕩減をしてアメリカのために世界的蕩減圏を勝利すれば、韓国などはみんな包容されてしまって自由世界全部勝利しまう。世界的に実体的蕩減を勝利したんだからね。韓国は国家基準だから世界基準内にみんな含まれてしまうからである。韓国は国家だに反対することはできなくなり、アジアも反対できないようになったということ分かりました?
世界中に小メシヤを
われわれのいいことはこういうような次元において二十年間歩むことにより、六千年の歴史の過ちを二十年間にすべてを蕩減して勝利をなしえた、というような結果に立つことができるということである。(拍手)こういうような立場からみた場合に韓国において言論人大会を開くとか、世界八十五カ国から青年男女を集めて祝賀式をあげるということ、それは歴史的な開門、門を開く記念すべき日であるんだね。
その日は先生においてはね、北韓において釈放された解放記念日でもある。結局、こういうふうな摂理観点からみた場合に、先生が地上に立って世界各国の若者たちを連れてきてそれを祝福して送ったということは、各国にイエス様が再臨してその国の代表者たち、その国の多くの人々を集めて新郎新婦の結婚式、小羊の祝宴をなしえた。そしてその勝利的者たちを一挙に派遣したというのと同じ結果になってしまう。
それは何をいうかというと、神様を中心としてイエス様の時にはイエス様一双、一組の完成を目的としたのが、この地上で神様の代身として立った真の父母を中心として何千双も世界に派遣することになったということである。
みことば「六千双祝福の摂理的背景」1982.10.9
クリスマスはイエス様の聖誕をお祝いします。私たちは実体の勝利された再臨のイエス様によって、生まれてきた小イエスの立場です。氏族的イエスとして生まれてきたという喜びの日であるとも言えます。
キリスト教2000年の歴史は迫害と殉教の歴史でありました。霊的にはイエス様とであったとしても、肉体的には十字架の道しかなかったことを思うとき、どれだけ無念であったかはかりしれません。
新約の苦労の土台の上に、成約時代があり、さらに1982年10月14日を超えて、祝福と氏族的メシヤの任務を頂いていることがどれだけ感謝であるかを考えなければと思います。
本当のクリスマスをお祝いしたいと思います。

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