阿南信義

愛犬の死をとおして

 
我が家の愛犬(リキ)のことについて、記すことにします。

5年前、近所の知人の方から紹介されて、その犬を飼うことにしました。知人は犬猫の保護管理をしている保健所に勤めていて、急に連絡がありました。とてもいい利口そうな犬がいて、飼ったらどうか、もしできなければ午後から処分になるとういう電話でしたので、すぐに軽トラでそこに出向きました。

初めは怯えているような感じでおとなしくしていましたが、だんだんと慣れて、家族の一員としていつも共に生活しながら、いなくなることが考えられない心情の関係となっていました。その姿をとおしてどれだけ慰労されてきたかわかりません。

その愛犬(リキ)が突然、行方不明となりました。今年の9月22日の出来事です。その日は日曜礼拝のときでしたので、夫婦で出かけており、夕方に帰ってみるといなくなっていました。近くを探し回り、近所の方に聞いて回っても見つかることはありません。

実は夫婦で10月14日のペンシルベニアの祝祭に参加する予定を以前から立てていましたが、その留守にする一週間の間、愛犬をどうするかを悩んでいました。

リキがそのような状況を悟って、主人に迷惑をかけまいと自分(リキ)の方から出て行ったのではないかと家内は言います。

先日、義兄のところに用事があっていってその件が話の中にでてきました。義兄が、「犬は自分の死に姿を主人には見せない本能がある、老衰になって自分の死が近づくと山の中の誰も発見できないところに行って静かに死をまつ」と言うのです。確かに耳は聞こえなくなり、歩く姿もヨロヨロしていて、老いぼれていましたので、そのことはとても納得させられました。兄はいのししの猟をしていて犬を多く飼ってきており、その経験からの話でしたので。

二ヶ月がすぎて、悲しみや無念さが続いていましたが、ようやく心情的に整理することができる段階となりました。

被造物の中で動物は人間の喜びのために、神様が造られたと原理で学んで知っています。愛犬を通して慰労されきた5年の期間、実はその背後におられた神様が愛してくださっていたことを教えられています。

人間が地上で体恤できる子女の愛のひとつで、神様の愛を主体とする人間の愛を万物を通して相続させていただてきたことを思うと感謝しかありません。

また、いなくなって気づかされたことは、万物は人間に喜びを返すために必死であるけれど、人間(自分)は神様に喜びを返しているのかと、悔い改めのおもいです。

祭物が必要だったのでは。

万物は堕落しておらず、旧約の時代から人間復帰の条件物となってきました。愛するものを犠牲とする心情は神様の心情であるゆえ、その心情圏を共にすることで、神様が取ることのできる条件となる原則があります。

真のお父様が真の子女様をはじめとして、天宙的祭物を捧げてこられた次元からするならば、あまりにも足りませんが、その一端を通過させていただいたことに感謝するものです。


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真のお父様のみことば  「我々の基本姿勢」1983.3.13

したがって、皆さんがこの原理原則に従って行動するならば、他人から何と言われようと、ほめられようと、けなされようと、心配する必要はありません。太陽が昇るのも、地球が回るのも、誰かにほめられるからではありません。宇宙の原則に従って動いているだけなのです。

我々もこの意味で、太陽や地球のようなものです。被造世界を見てごらんなさい。鉱物は植物のために存在し、植物は動物のため、動物は人間のために存在しています。では人間は誰のために生きるべきですか。(神様のためです)。

すべては神様から出発しています。神様は万物の第一原因なのです。だから、人間も神様を中心として、神様の下に帰るように生きるべきです。神様と人間はプラスとプラスですか、それともプラスとマイナスですか。(プラスとマイナスです)。神様と人間とが授受作用することは両者にとって益となりますか、損となりますか。(益となります)。両者が真の愛を中心として一体化するときに、より高く大きな発展がなされるのです。だから、愛は全宇宙を包含するということができます。


みことば「我々の基本姿勢」1983.3.13



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