中曽根さんを想う
<ニュースから>
中曽根氏は、内政面では「小さな政府」を志向して行財政改革などを進め、国鉄(現JR各社)、日本電信電話公社(現NTT各社)、日本専売公社(現日本たばこ産業、JT)の民営化を断行した。
対外的には「国際国家日本」を掲げて積極外交を展開し、当時のレーガン米大統領と「ロン」「ヤス」と呼び合う信頼関係を構築して日米関係強化に尽力した。1983年1月の訪米時のワシントンポスト紙との朝食会では、万が一の有事の際には日本を「不沈空母」にすると発言したと報じられた。
以上
先月の29日、中曽根康弘さんが逝去されました。日本の政治家の中で総理大臣としての功績は歴代の総理経験者と比較しても群を抜いていて、国内はもとより、世界から賞賛されています。
中曽根さんに対しての天の摂理はどうであったかを祈るとき様々なことを思い起こします。
私は1970年代の半ば、群馬県にいて天のみ旨として、勝共の思想啓蒙のために日夜活動をしていました。当時は左翼的な思想が蔓延していて、世の指導者に共産主義の欺瞞を説明するために勝共の思想セミナーを開催したりしていました。
群馬三区は福田、中曽根、小渕という歴代の総理が基盤としてきたところで、いつも激戦でした。そんな中で中曽根さんと何度か、お会いしたことがあります。
頂いた名刺にはただ名前だけ「中曽根康弘」とあるだけの至ってシンプルなもので肩書もなにもありませんでした。
その時中曽根さんが語られたことばを印象的に記憶しています。「君たちは思想がある、その点が他のところと違い強いところだ」と。
実は中曽根さんは大変な読書家でこちらの出版物を読んでいました。その本を通して、勝共の青年が熱心に活動する背景には「思想がある」と見ていたことに驚きました。
中曽根さんは1918年の生まれですので、真のお父様より二歳年上です。そして1982年から1987年の間、5年間日本の総理大臣としての要職にありました。
真のお父様が40年荒野路程を終えられる1985年を前後した期間において、日本の実質的な中心人物であったことは何かしら大きな使命を持っておられたのではないかと思います。
真のお父様が日本の政治家について語られるとき「中曽根」という名前ほど多く呼ばれた名前はないと思います。私も何度も直接聞きました。それだけ神様が中曽根さんに期待されておられ、世界摂理の中で果たすべき、重要な使命があったと思います。
1987年11月、中曽根さんが総理大臣を終えて、その次を誰にするかが問題でした。その裁定を担ったのが中曽根さんでしたが、結果として天の願いとは違う方向となり、残念なかたちとなってしまいました。
中曽根さんを責めるつもりはありません。
真のお父様が本格的に家庭教会の摂理を打ち出されたのが1980年です。それまでにそのみことばを守り、成就していたならばと思うからです。統一の基盤が実態としてあまりにも貧弱であるがゆえに国家的な指導者を動かすには至らなかったと今更ながら、思い起こされています。
1992年3月、真のお父様を日本にお迎えする摂理がありました。アメリカの裁判で有罪となっている人物は原則として、日本に入国できないという法がありましたが、奇跡的にお迎えすることができた背景には有力な政治家の何人かがいて動いたからでした。
後のみことばから、1992年4月からの女性時代を迎える前に、真のお父様が日本に行くことができなければ大変なことになったと深刻な内容を語られておられます。
真のアダムを迎えなければ、エバの立場に立つことはできない原則から、なんとしても日本に真のお父様をお迎えしないといけない理由がありました。
その天的な功績は大きなものです。
今回の中曽根さんの死を通して、「侍る生活」ということについて考えさせられています。原理を知り、真のお父様の偉大さを知ってはいるもののどれだけ天に侍ることをしてきているかということを教えられています。

真のお父様のみことば 「侍る生活」1975.5.1
それでは侍る生活をしようとするなら、一番最初に誰に侍らなければならないでしょうか。神様に侍らなければならないのです。神様に侍る目的は、結局私が良くなるためのものです。私が良くなるには神様の愛を受けなければなりません。神様の愛を受けないと、どんなに外的に自分が良くなろうと努力してみたところで効果がありません。神様の愛がとどまることができる人にならなくては良くなることができないのです。
今日、私たち統一教会は神様の愛を受けるために信じるのですが、信じるにはどのように信じなければならないかというのです。神様の愛を中心として第二次的な愛の主人のような立場で、霊肉の完成的基盤の上に立ったのが真の父母です。それでその真の父母を中心として至誠をみな尽くす道しかないという結論に達するのです。
そういう生活が「侍る生活」です。過去には霊界に対して、神様に対して精誠を込めたり祭祀を捧げたりしたのですが、今からはそのようなことをしなくてもよいというのです。
今では自分の生活が祭祀であるというのです。神様の愛の圏内で美しく生き、その愛を受ける人として権威を立てることのできる生活をすることが祭祀より優るというのです。そのような時になったゆえに、侍る生活を皆さんがしなければならないのです。
では、侍る生活とはどんな生活でしょうか。至誠をみな尽くす生活です。昔は霊的に神様に対し精誠を込めましたが、今日では実体的な父母の前に孝誠をみな尽くすのです。そのように孝誠を至誠の限り尽くす道が国に対する忠誠の起こりになり、万民に対して万国を代表した聖賢の生き方だったのです。
神様の愛はどこから来るのでしょうか。来る秘法は、他のところにあるのではありません。御父母様のために至誠を尽くし、神様のために至誠を尽くせばいいのです。神様のために至誠を尽くせば漠然としているけれども、御父母様のために至誠を尽くせば平面的に運勢が動くので、すべての面で直感的に悟ることが多いというのです。
例えば、過去のキリスト教徒は上がる時精誠を多く尽くしました。個人で国家基準まで上がることが蕩減復帰路程です。ですから難しかったのです。一段階上がってから間違って一段階落ちれば、上がることができません。そこで巡っている途中で一生を終えるのです。精誠を込めて何段階か行ってからまた落ちれば、そこで滅びるのです。これが国家基準まで上がってくるために、数十万年もかかったのです。ですから霊的な基準を中心として、今までどれほど苦労したかというのです。
それゆえ昔は、イエス様を信じても道に通じるのが真に難しかったのです。直接指導を受けるというのは真に困難でした。ましてや、愛という心情を感じることは真に難しかったというのです。それが原理的にあり得たでしょうか。堕落圏であるのに、本然の神様の愛がとどまることができますか。
みことば「侍る生活」1975.5.1
2017年にペンシルベニアに行ったとき、米日家庭の聖殿シックの家庭を訪問しました。そこに行った時に本棚に「原理本体論」の本があり、伺ったところ日本の聖殿シックが無料で送ってくれたということでした。後日その贈られた本人に話を聞いたところ、「みことばは万民のものである」という真のお父様のみことばを実践しただけだと言われて感動しました。
みことばをリンクさせていただいているのは「みことばは万民のもの」という実践を少しでもという動機です。

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