阿南信義

久しぶりの日曜礼拝


今日は久方ぶりに公的に日曜礼拝を捧げました。というのも11月になって、地元自治会の役員をやっている関係で、地域の行事が多くなり日曜日がそれに重なっていたため最近できずにいました。

礼拝を担当するということは、いつも戦いがあります。内容をどうするかということに悩むことが毎回です。今日もそうでした。自分が祭物になることであることはわかっているもののそうなってない自分があるから、いつも戦うのだと思います。

礼拝は聖殿CHで行いますが、やるときはいつもネットで連携します。今日は5箇所と連携してやりました。こちらでは家庭礼拝を各家庭で行うという方針にしていますので、それに参加するかどうかは各家庭の自由参加です。


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真のお父様のみことば 「私たちの因縁」1968.11.17

本来人間は、神様の心と体と生活圏に入っていくことができるように創造されたのです。神様がこのようにせざるを得ないその道は、既に予定されていたのです。ところが、人間が堕落することによって、本来行くべき道とは関係もない立場に立っているために、必ず私たちは再びその立場に復帰して入っていかなければならないのです。これが、現在の私たち人間の立場です。

 今、堕落した人間の一番大きな弊害は、堕落した悪主権を中心とした理念を重要視する行為です。したがって、自分を生んでくれた父母との因縁と、兄弟、親戚など世の中の血統を中心とした人間的な因縁を超越しなければなりません。また、環境と因縁をもったすべてを超越しなければなりません。

 そうして、本然の私が設計されたとおり、体を自由自在に運転できる自分だと自負しなければ、神様が行かれる途方もないその動機と、方向と、目的の世界に入って立つことができないというのです。現在生きているあらゆるものを自由自在に抑制することもでき、取ったりもできる自分自身であることを自ら自負できなければ、現在の立場で神様が行かれる方向と一致することができません。


みことば「私たちの因縁」1968.11.17






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