スカイダイビングの体験で感じたこと

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二代王様のみことば  2019.9.10

私たちに恐れるものがあるとするなら、それを真っ向から立ち向かって戦う訓練をしなければなりません。 その訓練の一環が私の言っているスカイダイビング訓練です。 怖いからするのです。 天一国憲法をしっかり握ってするのです。 私たちはこの戦いで誰が死んで生きるか分かりません。

しかし、死ぬとしても私たちは真のお父様のところに行くのではないですか! それも悪くない死だと思います。 私たちは自由がなければ死をくれという気持ちで戦う時勝つことができます。「死のうとする者は生き、生きようとする者は死ぬ」という真のお父様が愛された聖句が思い出されます。




スカイダイビングの感想として。Emiko A

亨進二代王様がみんなスカイダイビングをした方が良いとのみことばを知り、すぐに自分もやってみたいと思いました。調べてみると日本ではそれをやっているところが少なく、九州ではその場所はありませんでした。
今回の鉄の杖フェスティバル参加中に希望者は飛ぶことができるかも?ということでしたので、すぐに申請しました。


私の動機としては、
二代王様の前に日頃何の精誠も立てられずにいたので、「飛ぶことを通して精誠の条件のひとつにしてください」という思いでした。
飛ぶことへの不安はなく、先駆けてスカイダイビングをされているひろみさん御夫妻のユーチューブを見て、明るく飛んでおられる姿を見ました。
それで、飛んだ時に下方からの風圧が凄いことがわかり、心の準備が出来ました。


海外旅行保険では50メートル以上の高さでは事故があっても保険がおりないことを知りました。でも私は死んだとしても本望だと瞬間的に思い、何か吹っ切れた思いがありました。
その日の出発前にまりこさんから「酔薬を飲みたい方はどうぞ」と薬をもらいました。
私が小学生の頃、バスに乗ったらすぐに車酔いしたんですが、大人になって車酔いをしたことがなく、船に乗って魚釣りを5、6時間しても船酔いすることなく過ごしてきたので、まさかするとも思わなかったのですが、念のために薬を飲んで出発しました。


現地に到着して色々と説明を受けて、いざ搭乗!
飛行機が4000~4200メートルの高さまで上昇し、そこからひと組ずつ飛び降りるわけです。私は二回目の飛行機で最初に乗り込んだので、飛び降りるのは最後の順番です。インストラクターに身を委ねて、バナナのようにピタッと一体となって飛び降りました。


「ウワァー!」と思ったときは空中でした。最初は地上の紅葉の美しさと広い地球の一部を見たという思いでした。まもなくしてパラシュートが開き、大きく旋回しながら降りる場所を目指すのですが、それが私にとっては大変なことでした。地球がグルーッと回る感じで、空を見たかと思えば地上が見え、目がグルグルまわって気分が悪くなってきました。


地上に降りたら、
すぐに立ち上がることができない状態でした。ようやく立ち上がったもののフラフラしながら、事務所まで行きました。
車酔いのようでありながら、車酔いでない不思議な感覚でした。帰りの車中で一緒にダイビングした姉妹に介護してもらいながら、フェスティバル会場に着いた途端、急に吐き気がして3回もどして水のようなものを吐き出しました。
ふとその時、訪米一か月前に朝方2回ほど吐き気がして胃液が上がってきて、訪米後に胃の検査をした方が良いかも?と考えていたことを思い出しました。
それが3回吐くことを通して胃に健康をいただいた!!という感謝の心が湧いてきました。


後で、
一緒に飛んだ姉妹から「スカイダイビングは本来持って生まれたDNAに戻る恩恵がある」とのみことばがあると言うことを聞いて、私は車酔いのような感じを体験できたからこそ、今まで人生の6、70年ベッタリと悪いものがついたものを吹き飛ばしてもらえた!!と感謝でした。


そして、
赤ちゃんが産道を通ってようやく水の中から地上に誕生するのは大変だけど、地上の空気生活になれたら自由に動ける喜びに変わるように、生まれ変わるってこんなに大変なことを通過するんだ!と思うと同時に、
地上生活から霊界生活に変わるときにもまた、愛の完成を目指してより愛の人格になって死ぬ時を迎えないと死ぬに死ねないかな?と瞬時に二つのことを思いました。


それから、
数日経って自分を振り返ると、本当に悪いものが少し取れたんじゃないかな?と自分の中で感じています。今までどうでもいいことに神経をすり減らしていた自分がありました。これからは何でも委ねて行けば、そこに導いてくださる神様がおられることを感じるこの頃です。
スカイダイビングで新たに神様からの生命をいただいた感じです。
ありがとうございました。





真のお父様のみことば  1972.5.8
それゆえに、不信の歴史を相続してきた人類の世界において、神様は宗教を立てて、信義の土台を立てるためにいつも命を懸けて誓わせてきた歴史であることを私たちは知っています。イエス様を中心としてみても、「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる」と言われているのです。自分の不信の命を捨てる覚悟が決定されていなければ、自ら不信の種を完全に除去できる蕩減の供え物の立場に立つ覚悟がなければ、信義の種を植えることができないということを、私たちは、いま一度知らなければなりません。



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