お父様の心臓をもつ聖殿
お父様のみことば 「イエス・キリストの心臓をもつ者となれ」
アダムとエバが堕落したその日から、神の所望が何であるかといえば、神の心情を代身することができる人間、神が住まわれる聖殿として完成した人間、神と一致する心情と心臓を持つ人間を捜し求めることです。
この地の上に神のみ旨を代身した、神の実体聖殿として来られたイエス・キリストは、4000年の間、神が苦労された歴史的な摂理路程を代身して現れた神の聖殿であると同時に、4000年の間摂理された神の内的心情を代身したお方として、実体的な生きた胸を持って現れたお方であったことを、今日我々は感じてみなければなりません。
神の心情を体恤しているイエス・キリストの体であり、神の心情を感じているイエスの心臓なのです。それでイエス様のときめく心臓は天を動脈とし、人間を静脈として、天が動ずればイエスが動じ、人間が静ずればイエスが静ずる一体の関係を結ばなければならないのであり、これが地上に来たイエス・キリストの使命であったのですが、神の心情を感じるイエス・キリストの内的心情を知る人間、神の体を代身するイエス様の外的心臓を知る人間がいなかったのです。
それでイエス・キリストの心臓がどうだったかといえば、30年の準備期間に他人が知らぬうら寂しさを感じる心臓だったのです。
イエス様はなぜ、こんなうら寂しさを感じたのか。それは神が人間始祖のアダムとエバが堕落することによって、創造の理念を成して栄光を受けようとされた神のみ旨が成されず、被造万物は主人を失う立場に立ってしまったので、これを見やる神は口にも言えないうら寂しさを感じておられるので、そんな神の心情を知るイエス様でしたから、イエス様もうら寂しさを感じたのです。それゆえ皆さんもイエス様のように、被造世界が口にも言えないほどにうら寂しい世界になってしまったことを、感じる人間にならなければなりません。 1958.1.26

み旨と世界 523p
神は、そんなに簡単に『神の子』という称号を与えません。神の息子にふさわしく、人類歴史の勝利者でなければなりません。人類の全ての負債を復帰できる立場にいなければなりません。その人は、貴重なかけがえのない個人です。だからこそ神は、この一人の人物を探し出すのに、数千年の年月を費したのです。
レバレント・ムーンの誇りは何でしょうか。私は、ただ一つを除いて、他に何も誇るものはありません。それは、すなわち「神は、私の父である。」ということです。ですからレバレント・ムーンは、神のすべての愛の受取人であり、神の愛の通る経路になったことを誇りに思っています。私は、神の愛の受ける神の国を相続することを誇りに思います。
「摂理的歴史の光の中にあって」

お父様はイエス様の心情と心臓を完全に相続されておられます。だからこそ、神様とイエス様の関係を伝えることができるのではと思います。
お父様の心情と心臓を亨進様は相続され、もっておられます。
亨進様はお父様の心情を伝えるためにどれだけ、深刻であったでしょうか。
荒野の中で涙を流されながら、祈られた深刻な内容は今、みことばとなって全世界に伝播されています。
私たちもお父様の心情と心臓をもつ者とならなければと思います。
お父様の心臓をもつ聖殿として。

同感の方はクリックを
お願いします。

にほんブログ村
アダムとエバが堕落したその日から、神の所望が何であるかといえば、神の心情を代身することができる人間、神が住まわれる聖殿として完成した人間、神と一致する心情と心臓を持つ人間を捜し求めることです。
この地の上に神のみ旨を代身した、神の実体聖殿として来られたイエス・キリストは、4000年の間、神が苦労された歴史的な摂理路程を代身して現れた神の聖殿であると同時に、4000年の間摂理された神の内的心情を代身したお方として、実体的な生きた胸を持って現れたお方であったことを、今日我々は感じてみなければなりません。
神の心情を体恤しているイエス・キリストの体であり、神の心情を感じているイエスの心臓なのです。それでイエス様のときめく心臓は天を動脈とし、人間を静脈として、天が動ずればイエスが動じ、人間が静ずればイエスが静ずる一体の関係を結ばなければならないのであり、これが地上に来たイエス・キリストの使命であったのですが、神の心情を感じるイエス・キリストの内的心情を知る人間、神の体を代身するイエス様の外的心臓を知る人間がいなかったのです。
それでイエス・キリストの心臓がどうだったかといえば、30年の準備期間に他人が知らぬうら寂しさを感じる心臓だったのです。
イエス様はなぜ、こんなうら寂しさを感じたのか。それは神が人間始祖のアダムとエバが堕落することによって、創造の理念を成して栄光を受けようとされた神のみ旨が成されず、被造万物は主人を失う立場に立ってしまったので、これを見やる神は口にも言えないうら寂しさを感じておられるので、そんな神の心情を知るイエス様でしたから、イエス様もうら寂しさを感じたのです。それゆえ皆さんもイエス様のように、被造世界が口にも言えないほどにうら寂しい世界になってしまったことを、感じる人間にならなければなりません。 1958.1.26

み旨と世界 523p
神は、そんなに簡単に『神の子』という称号を与えません。神の息子にふさわしく、人類歴史の勝利者でなければなりません。人類の全ての負債を復帰できる立場にいなければなりません。その人は、貴重なかけがえのない個人です。だからこそ神は、この一人の人物を探し出すのに、数千年の年月を費したのです。
レバレント・ムーンの誇りは何でしょうか。私は、ただ一つを除いて、他に何も誇るものはありません。それは、すなわち「神は、私の父である。」ということです。ですからレバレント・ムーンは、神のすべての愛の受取人であり、神の愛の通る経路になったことを誇りに思っています。私は、神の愛の受ける神の国を相続することを誇りに思います。
「摂理的歴史の光の中にあって」

お父様はイエス様の心情と心臓を完全に相続されておられます。だからこそ、神様とイエス様の関係を伝えることができるのではと思います。
お父様の心情と心臓を亨進様は相続され、もっておられます。
亨進様はお父様の心情を伝えるためにどれだけ、深刻であったでしょうか。
荒野の中で涙を流されながら、祈られた深刻な内容は今、みことばとなって全世界に伝播されています。
私たちもお父様の心情と心臓をもつ者とならなければと思います。
お父様の心臓をもつ聖殿として。

同感の方はクリックを
お願いします。

にほんブログ村
スポンサーサイト