康賢實真のお母様の天宙聖和式に参加して

感想文 宮本寿子
「真のご父母様のお母様が聖和されたのに、それに参加しない子どもはないだろう」という夫の言葉に押され、急きょ、決意しての渡米でした。いくつか支障がありましたが、決意に霊界が協助してくれたようで、初めから終わりまで、すべてが導かれ、神様の大いなる恩恵の中にありました。
3月16日の夕刻ペンシルベニアの協会本部に到着し、御聖体のガラス張りの中の肉体を持たれた康真のお母様にお会いし、最後の御見守り(ビューイング)をして、永遠の絆を持たせていただけた事は、感謝であり、この上ない恵みでした。
18日の聖和式では、真のお母様に付き添いで御世話された立石友美さんの送辞に心を動かされました。その中で、康真のお母様の主を愛する心、キリストを求める心、御言訓読に精誠を込められたお話があり、生活の中での本物の信仰のあり方を教えられました。また、友美さんの自分を捨てた献身的な支えはとても美しく、感動しました。
立石友美さんは福岡県八女市の出身です。島原の乱ゆかりの長崎県南島原市出身の霊の親に導かれた、とお聞きしています。友美さんの背景にもキリシタン先祖がおられるようです。夫の話によると、当時「立石」姓のキリシタンリーダーが幾人か九州に存在したことが分かっています。
友美さんが天一宮で、真のお母様との尊い縁(えにし)を結んでくださったことは、キリシタン霊界をともに持つ(とくに九州の)食口たちにとって、この上ない恵みであると感じます。キリストを求めて逝った多くの先祖の方達が、このようにして再臨のキリストに地上でつながったのですから―。
大分聖殿から阿南夫人とともに式典に参加して、お母様とご縁を結ばさせていただいたことはもとよりですが、友美さんを通じて、もう一つの真のお母様との強い絆のバトンをうけたような気がします。神さまの導きと愛を感じます。ありがとうございました。

感想文 阿南恵美子
突然のご聖和の知らせに驚き、準備も不十分なままの訪米でした。それで今回は事情で足りないものが大分聖殿を代表としての参加となりました。
協会本部で御聖体を前にして
3月16日の午後9時すぎに本部教会に到着して、康真のお母様の御聖体の前でお祈りさせていただきました。
全歴史をかけて、神様の願いのごとくに勝利された真のアダムの真のお父様をお慕いし、侍ってこられた康真のお母様。
御聖体の前で祈祷するとき、先人(キリシタン)たちも真の父母様の実体に侍りたかった心情を感じました。そしてその方々とともに真のご父母様に敬拝をささげ、康真のお母様に最後の祈祷をさせていただいた実感がありました。
康真のお母様の真のお父様、二代王様に侍られる姿勢は私のこれからの路程の指針です。
17日、
その日は日曜礼拝の日でした。その礼拝の後には、康真のお母様のご聖体の前でお祈りに来られる方々に対してお辞儀をして挨拶をする担当も経験させていただいて、感謝でした。
夜、レイクサンクチュアリにて
普通ならば疲れて早く寝る予定でしたが、不思議と目がさえて寝ることができません。そして花粉症から風邪をひいたのか、あまりにも咳が止まらず、周りに迷惑をかけてはいけないと思い、1階の祈祷室に行って祈ることにしました。
そこでふと自分は大分聖殿を代表してきていることに気づいて、食口の方々が徹夜祈祷してでも康真のお母様のためにお祈りしたいだろうという心情になりました。それで朝の5時前まで祈祷させていただきました。その時間、康お母様のお好きだった讃美歌を流しながら、時間を過ごしました。するとご聖体の前でお祈りしているような感覚となり、貴重な体験となりました。
18日、天宙聖和式
聖壇に真の御父母様のご尊影が中心にあり、光り輝いていました。謙虚なお姿で控えめにされておられた二代王様、王妃様のお姿が印象的で、真のご父母様の勝利と栄光をたたえる式典そのものでした。
その中で、江利川総会長の送辞は全世界にいる日本食口の思いを束ねて、感謝の言葉を送られていたことに”アージュ”という思いでした。また、友美さんの送辞は最後の最後まで真のお父様に生命を捧げ、みことばをいかに大事にされておられた真のお母様であられたかを証しを通して知ることができ感謝でした。
19日のキングスレポート参加
予定にはなかったキングスレポートに参加することができました。
その中で二代王様が「日本や韓国、また世界から多くの食口が来てくれました。」ととても喜んでくださいました。私はこんな足りないものなのに感謝のことばをいただき、恐縮しました。
また、お疲れにもかかわらず食口との写真を撮っていただき感謝でした。
真のご父母様の愛に包まれた訪米の期間でした。ありがとうございました。

よろしければクリックをお願いします。
にほんブログ村
スポンサーサイト