洗礼ヨハネの失敗と家庭連合と私

洗礼ヨハネの失敗と家庭連合と私
つい最近、こちらの聖殿に入会された中学校の教師の方がおられます。10年前に家庭連合に導かれていましたが、まともに原理講義を受けていません。
ご本人の強い学習意欲もあって、私が原理講義をすることになりました。それで、昨日も午後から「メシヤ降臨とその再臨の目的」のところを講義しました。
毎週、定期的にズームを使い、ネットでこちらの聖殿食口にスライド原理講義をしていますが、今回はホワイトボードでの板書講義をすることにしました。
そのほうが心情的に原理のみことばをじっくりと伝えることができます。
それはまた、自分自身をみことばで再創造するのに、とても意義ある時間です。
原理講論「第四章メシヤの降臨とその再臨の目的」のところで「洗礼ヨハネの不信」というところがあります。その洗礼ヨハネの失敗の根本は何であるのかということをはっきり知ることの重要性を感じました。
原理講論 200p
洗礼ヨハネは、その中心が天のほうにあったときには、イエスをメシヤとして知って証した。けれども、彼から霊的な摂理がきれて、人間洗礼ヨハネに立ち戻るや、彼の無知は、一層イエスに対する不信を引き起こすようになったのである。自分がエリヤである事実を自覚できなかった洗礼ヨハネは、特に獄中に入ってから、他のユダヤ人たちと同じ立場で、イエスを見るようになった。
天的な立場から判断するときと人間的立場で判断することでその行動は、まったく別のものとなってしまいます。結局それによって、神様の摂理を破壊することにつながりました。
今日、家庭連合も洗礼ヨハネと同じように失敗してしまいました。人間的判断の中にサタンは侵入してきています。
聖書マラキ書 4章
5)見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。
6)彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」。
メシヤは地上に来られて、「天の知恵」を私たちにくださいました。どのようにすれば父の心を子供たち(堕落人間)に向けさせ、子供たちの心を父に向けさせることができるようになるかという知恵です。
その知恵は「氏族的メシヤの任務」であると思います。
氏族的メシヤの任務を人間的に捉えると伝道の方法論のように考えてしまいますが、天の立場から祈るときにどれほどそのことに価値があることかと気づいて、行動が自然と成されていきます。氏族的メシヤの任務の成就を通して洗礼ヨハネの失敗を蕩減せねばと思います。
そのことを家庭連合は結局、失敗しました。
それを蕩減する立場の聖殿(サンクチュアリ)協会も天の立場から判断しないと、取り返しのつかない結果をもたらすことになりはしないかと思うものです。
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