恩讐を愛する氏族的メシヤのたたかい

恩讐を愛する氏族的メシヤのたたかい
今日は午後から教会(聖殿)で原理講義をすることになっているので、昼前に家を車で出発しました。どういうわけか車の中にアブが入ってきています。私を狙って血を吸おうときたのでしょう。アブから血を吸われるととても痛く、赤くはれ上がります。
車の窓にはうアブを殺そうと思いましたが。
真のお父様が牢屋の中でハエと友達となって、話をしながら、孤独を耐えておられたということをそのアブを見ながら思い起こしました。
それで殺すことをせず、窓をあけて外に出してやりました。
まったく小さなことですが、恩讐を愛することの体験はうれしく感じるものです。
真のお父様がどれほどの恩讐を愛する戦いをなされてこられたか計り知れません。その心情にたって、自分の使命を成就することが必要と思います。
真のお父様のみことば
そしてまた、次に一。サタンも人類救援再起処理! サタンも滅亡へ追い込まず、救ってやるという心をもてというのです。ですから、自分に反対しても「あの奴、罰を受けろ」と呪うなというのです。分かりますか?
神様が悪なる人に対して自然処理してきたのと同じく自分自ら独特な立場に立って、「あれ、罰を受けたら良い」と思うなというのです。神様が後におき、自然に処理するのと同じ立場でとっていくことができなければならないというのです。そうではありませんか?
その人たちが悪い行動をしたのに、そのような行動をされた人が自分を怨讐視せず、同じように対するようになる時、その人たちの骨が溶け出るというのです。サタンも人類救援を、サタンも人類救援と再起処理、サタンまでも協助しなければならないというのです。協助しなければならないのです。
今まで反対しませんでしたか? 救援摂理まで反対したというのです。今からは反対したとてサタンの権限が立つことのできる時にならないということをサタンが知っています。よく知っているのです。心の姿勢をそのようにしなさいというのです。
「お前もお前の一族たちが神様のみ旨の前に背反し得ることをしたけれども、そうせずにお前が案内者になって苦労してくれ」ということです。それによって再起することができる基準が立つ時だというのです。
サタンも人類救援と再起処理。処理は、サタンができません。私たちがしてやらなければならないのですね。処理は、サタンができないのですね。私たちがそのような心の姿勢をもっていくことのできる環境をつくってやれというのです。 1991.7.1 神様祝福永遠宣布式
やるべきことの核心は氏族的メシヤの使命完遂であり、それも期限があると思わされています。色々な枝葉末節なことがらに迷わされることなく、目的に向かい前進です。
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