本妻と妾の関係

本妻と妾の関係
日本の摂理の勝利を考えたときに、神様の摂理において展開されてこられた、天の秘密の摂理を理解しなければならないと思います。
1992年からエバの時代を迎えて、その奥義を日本女性たちに語ってくださいました。そのことを今一度原理的、摂理的に理解することを通して、その使命を蕩減し、勝利する道が開かれることを感じます。
真のお父様のみことば 1993年2月14日 成約時代と私
そのような一時を復帰しなければならないために、天は難しい役事をしなければならないのです。愛の問題ゆえに、レアとラケルが苦痛を受けた歴史時代の解決しなければならない問題が残っているので、男性たちは浮気をして、女性たちはその苦痛を受けるという歴史が継続されてきたのです。
ですから今日でも、特に出世した人の妻は、夫が浮気をするので涙を流して生きなければならないのです。出世した男性に侍る女性たちは、男性が浮気をするたびにその目にたくさんの涙を流さなければならないのです。また、本妻は妾を愛することのできる心を持たなくては天国に行けない論理があるので、仕方なく今までやってきましたが、これからは、これが深刻な問題になるのです。
神様の心情を知るためには、本妻は自分以上に妾を愛することのできる心を持つために努力しなければなりません。そうしなければ、来られる真の父母様の心情も知ることができないし、神様も分からないのです。また、その反対に女性が浮気をして二人の男性と関係を持ったならば、本来の男性は二番目の男性を自分以上に愛する立場に立つために努力しなくては神様の心情が分からないのです。すべてに同じ道理なのです。
その当時のことを考えると、洗礼ヨハネとイエス様は母親同士が姉妹関係なのです。イエス様がアベルならばカインは誰ですか? (洗礼ヨハネです)。洗礼ヨハネですね。では、アダムの妻を誰が奪っていきましたか? カイン、サタンが奪っていったのですね。それで、イエス様は女性を連れて来られたのでしょうか、一人で来られたのでしょうか? ですから、地上で新婦を準備しなければならないのです。地上で奪われたのですから、地上で見つけなければなりません。そうして、その王妃を中心とした王権が成立するためにはカイン・アベルとして、国と教会が、体と心のようにならなければなりません。
そのように、すべてが一つになることによって王に侍って、王権を立てなければならないのです。エバは、アダムの妹だったでしょうか、アダムの姉だったでしょうか? (妹です)。サタンがアダムの妹を奪っていったのです……。洗礼ヨハネの母のエリサベツとマリヤが協助しなければならなかったのです。レアとその母親が一つになってラケルを助けるようにです。
マリヤはレアの立場に立ち、エリサベツは母親を代身した立場で蕩減復帰しなければなりません。そうして一つとなって、来られるイエス様の世界的な新婦を迎えるのです。これがラケルと同じ立場になるのです。このように、ラケルに協助することによって蕩減復帰できるのですが、母親たちがその責任を果たせなかったのです。もしエリサベツとマリヤが一つになっていたならば、イエス様の相対が立ったとしたならば、すべてが一つになっていたはずです。自然に一つになれるのです。何の話か分かりますか?
以上。
私たちは原理で、カインがアベルを愛することは、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てることとなり、サタンを分別し、メシヤを迎えることができると知っています。しかし、そのことがいかに難しいことであったかは復帰歴史の内容から判断できます。
アブラハムのときになって、リベカ、レア、ラケルの話が聖書の中に展開されます。その内容は真のお父様のみことばによって、その秘密があきらかにされています。
レアとラケルが、本妻と妾の関係となって、女性版のカイン、アベルの摂理となっています。それで聖書の中に、いくつかの妾が神様の摂理上において、重要な意味をもつ内容となっています。
本妻が妾を愛することは極めて、難しいことですが、「本妻は妾を愛する心を持たなければ天国に行けない」という真のお父様のみことばから、その真意を探り、使命を成就することが今の摂理において、願われていることではないかと思います。
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