松本教会長のコメントにお応えします

松本教会長のコメントにお応えします
日本サンクチュアリ協会有明教会の松本教会長から当ブログに丁寧なコメントをいただきました。
この件で、私の意見を公にするかどうか迷いましたが、具体的なコメントをいただきましたので、あえて、述べさせていただきます。
<引用>
指摘されたとおり教会長が自己の位置を守って善の天使長の立場で協助するときは、対立関係になることはなく、何の問題も生じません。
自己の位置を守るとは何か。神様と同じ立場に立つところから自己の位置が決定されます。つまり阿南教会長が提示されたお父様のみ言のごとく、神様と一体となられた真の父母様と教会長が本当に一体であれば善の天使長の立場に立ち、自己の位置を離れた悪の天使長の立場に立つことはないのです。
では、サンクチュアリ教会ではどうか。
亨進二代王様との関係は江利川会長が間におられるだけの驚くほど近い関係です。
二代王様の意向はダイレクトに会長より伝えられます。それに従うことが自己の位置を守ることだと思っています。
また誰もが亨進二代王様のみ言を直接ネットで聞けるので、会長、教会長が亨進様の意向ずれた時はすぐ分かるのです。従ってだまされることはないと思います。
この透明で小さな本部から亨進様がみ言を直接語られるサンクチュアリ教会です。人間関係が近いのです。ずれることのほうが難しいのではないでしょうか。問題があれば非難する前に堂々と話し合いましょう。
家庭連合で起こったのは、本部組織が大きくなりすぎて、真の父母様と現場が遠く、真の父母様と一体とならず自己の位置を離れた指導者であっても我々一般食口が見抜けなかったのです。それをいいことに絶対信仰、絶対服従などのみ言を悪用して我々をコントロールしてきました。今もネットを見るな、聞くなと命令して情報から遮断し、さらに虚偽の情報を流してコントロールし続けています。
サンクチュアリ教会の素晴らしさは、誰もが亨進二代王様のみ言を直接知ることが出来るように、王様自身が努力してくださっていることです。
これにより家庭連合のようにだまされることはないのです。
またそのような人はサンクチュアリ教会にはいないと信じます。
話が反れましたが、今回の話題についてはこれで終了にしたいと思います。
<以上>
3つ疑問点がありますので、述べさせてもらいます。
①「二代王様の意向はダイレクトに会長より伝えられます。それに従うことが自己の位置を守ることだと思っています。」に対して。
二代王様と会長との距離は、あるとかないとかの問題ではないと思います。
まず、会長の立場ですが、三代王権は絶対的中心であって、会長の立場は人間を代表する相対的立場です。私たちは原理を通して、人間に対する神の予定は相対的であると知っていますように、人間はその責任分担を全うしなければならず、そのことの難しさは歴史が物語っています。
とくに、日本の摂理の場合、F氏をはじめ、天地正教のA氏など重要な摂理的使命をもった方々が次々に失敗をしてきています。その場合、多くがまわりの取り巻きが自分の保身のために、その人物の立場を絶対化にしようとしてきて、そうなったのを、私は現場で見てきました。
会長に願われる神様の使命と願いを祈ることが必要と思います。
摂理的使命者としての立場に神様が願っておられることを祈り、悟りながら、その方の使命を自分たちが引き継いで、決意して行動することが現場で願われていることだと思います。
人間的に仕えるのではなく、神様の心情と事情、摂理を知って、心から湧き上がる本心の自由から、その使命を代理しながら、自分の立場での責任を果たすことが摂理的使命を持った方を支えることになると思います。
日本人は仏教にしてもすべて、人間信仰に変えてしまいました。「空海」、「日蓮」など。
人間を信仰の対象にすることは分かりやすいので、どうしても体質的にそうなりがちです。
絶対的中心は三代王権ですので、そこに完全相対しながら、会長の使命を成就のために、自分の責任を果たすことが、成約時代において、願われることであると思います。
私は1970年代10年間、勝共の事務局長を担当していましたので、会長の姿と信仰を直接的に知っており、とても尊敬しています。日本サンクチュアリの中心者としてとやかく、言うことは一切なく、その大変さはいかばかりかと案じています。
②「問題があれば非難する前に堂々と話し合いましょう。」に対して。
この発言はどういう意味かわかりません。私が非難しているということなのでしょうか。また、話し合いは誰とすれば問題が解決するのでしょうか。
自分のことを言うのはあまり気が進みませんが、言わせてもらえば。
私は日本サンクチュアリ協会において、「三代王権」の出版関係を担当してきました。編集、出版や全国への発送業務をしてきていますが、もし、非難の気持ちがあるとすれば、そういう担当は受けることもなかったと思います。ひたすら、日本サンクチュアリ協会(協会長)を支える心情で投入してきました。
「独生女論批判」の冊子も、私が入院中の病院で注文を受け、それを家内が全国発送しました。
また、今回の「教会長はアベルでなく、天使長です」という主張がその非難にあたるということなのでしょうか。
③「家庭連合で起こったのは、本部組織が大きくなりすぎて、真の父母様と現場が遠く、真の父母様と一体とならず自己の位置を離れた指導者であっても我々一般食口が見抜けなかったのです。」に対して。
家庭連合の問題は家庭教会氏族メシヤ摂理をないがしろにしてきた結果だといえます。
また、その思想を理解できないので、教会を中心とした、間違ったカインアベル体制をしいて、責任者を絶対化したがゆえに、そうなったと言えます。
「本部が大きくなったから」。「現場の食口が見抜けなかったから」という段階ではなく、本部や教会を神様の位置とし絶対化して、中心性を強要した結果と思います。いわゆる、人間信仰、組織信仰の体制としてしまったからと考えます。
それを教訓として、日本サンクチュアリ協会もそうならないように注意が必要だと思っています。
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