今日の礼拝・私は復帰摂理歴史の所産

今日の礼拝・私は復帰摂理歴史の所産
今日は日曜礼拝の日です。ネット(zoom)礼拝を行いました。基本的に家庭礼拝を重視していますが、ネットでの礼拝も行っております。参加は自由です。
今日の内容は、復帰原理緒論のところにある「私は復帰摂理歴史の所産である」のところのみことばを中心としました。
イエス様が十字架に行くしかなかった原因はユダヤ民族の神の摂理に対する無知でした。神様の心情からイエス様の立場を見ることができず、今までの既成概念からしか発想せず、神様の摂理からみる事ができませんでした。
言うならば、その時の支配者たちの知恵でした。神様の知恵からではなかったことが悲惨な結果となりました。
コリント人への手紙Ⅰ 第2章7節8節
:7)むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。 :8)この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう。
栄光のイエス様を十字架につけたのは神様の知恵を知らなかったことになります。再臨のときにそのことが繰り返さないよう、神様は再臨のキリストにその権能を与えられました。神様の復帰摂理を神様の知恵から解かれて、そのとき、何をすべきかを明確にされましたが、キリスト教は同じ過ちを繰り返しました。
今また、家庭連合は三度、その過ちを繰り返しています。奥義としての神様の知恵を忘れてしまったがゆえに、三代王権を迫害する状態は、人類の悲劇であり、神様の悲しみでしかありません。
復帰摂理歴史の所産としての、使命と責任を全うするためにイエス様、真のお父様、二代王様とひとつとなって勝利しなければと確信するしだいです。
原理講論 復帰原理緒論
我々がこのような歴史的勝利者となるためには、預言者、義人たちに対してこられた神の心情と、彼らを召命された神の根本的な目的、そして彼らに負わされた摂理的使命が、果たしてどのようなものであったかということを詳細に知らなければならないのである。
しかし、堕落人間においては、自分一人でこのような立場に立ち得る人間は一人もいない。それゆえに、我々は、復帰摂理の完成者として来られる再臨主を通して、それらのことに関するすべてを知り、また彼を信じ、彼に侍り奉り、彼と一つになることによって、彼と共に、復帰摂理歴史の縦的な蕩減条件を横的に立て得た立場に立たなければならないのである。
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