イエス様と歴史的殉教者の方々の解放のために

イエス様と歴史的殉教者の方々の解放の為に
当ブログの1月26日に「鉄の杖の持ったキリシタン」というタイトルで長崎のキリシタン史研究家宮本さんの小論文を紹介しました。
また、サンクチュアリ大分では実際に4月21日にその島原の地に足を運んで、その現場を見て、キリシタンの方々の苦労の世界を一端を見てまいりました。
再臨のときを迎えている成約時代の一人の聖徒として何をどうすればいいのかを考えさせられる深刻な心情となりました。
こちらではネット(zoom)を利用しての礼拝を時々行っており、宮本さんにその件での講話をいただきましたので紹介させていただきます。
キリストとともに千年王国を統治する(宮本さん記)
―「首を切られて」殉教した島原の乱のキリシタンたち―
1638年、原城(長崎県南島原市)において3万7千ものキリシタンが「首を切られて」殉教した島原の乱事件について、再臨主真のお父様は幾度も説教で言及され、国家権力による迫害に屈せず神への絶対信仰と隣人愛を貫いた彼らの生きざまを〃キリスト教の正統な殉教者の道である〃と指摘された。そして2016年4月10日、2代王文亨進様は彼らを特別に解怨祝福され、「神のみ旨のために戦う天軍を編成するよう」指示された。こられの出来事は、「なにかの間違い」とか、「偶然」とか言うものでは、決してない。神の「摂理」として認識されるべきものであろう。
筆者は、この謎を解明する鍵が、意外にも「ヨハネの黙示録」にあることに気付いた。第20章4節に出てくる聖句―「イエスのあかしをし、神の言(ことば)を伝えたために首を切られた人々の霊」として、である。殉教のかたちは火炙り、穴吊り、十字架刑など種々ある中で、全員が「首を切られて」殺された島原の乱事件こそ、ヨハネ黙示録が表記する「首を切られた人々」に該当する、と考えられるのだ。
2018年2月11日、サンクチュアリ大分教会(阿南信義教会長)のネット礼拝で、そのことを紹介したので動画(タイトル「鉄砲をもったキリシタン」)を参照されたい。
ヨハネの黙示録によると、「彼らは生きかえって」、「神とキリストとの祭司となり、キリストとともに千年の間、支配する」という(黙示録20/4、6)。「生きかえって」というのは、すなわち「復活する」ということ―それは、このたびの「解怨祝福」を指すのではないだろうか。また、「キリストの祭司となり、千年の間…支配する」は、2代王が指示されたこと―「み旨のために戦う天軍を編成する」に相対しないだろうか。何より島原の乱事件そのものが2千年キリスト教史のなかで特殊であり、サタンの主権に対して鉄砲をもって戦い、神とキリストへの愛を貫き、同朋を守護する隣人愛を貫いた、ということがある。それはキリスト教神学で異端とされるものだが、たしかに神の国をつくる成約摂理時代の信仰を先駆するものであった。
再臨主お父様と2代王亨進様によって投げかけられた島原の乱3万7千人殉教者の「解怨祝福」をめぐる謎は、神の摂理として理解されなければならない。真摯に向き合いたいと思う。 2018/05/09記、宮本次人。
結論としては、氏族メシヤの勝利以外にはないということが実感です。十字架にいかれたイエス様を信じていくならば苦難の十字架の道しかありませんでした。
しかし、今は真のお父様を信じてひとつになって氏族メシヤを果たすことを通して、イエス様の解放をなすことができ、十字架の蕩減を果たすことができるという恩恵を与えられています。
3万7千名の殉教となられた方々も、今や天軍となってその氏族メシヤ勝利の為に協助されていることを思うと今、氏族メシヤ摂理を担うものの決意がどれほど重要であるかを思わされています。
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