阿南信義

なぜ家庭連合のシックは間違いに気がつかないのか

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なぜ家庭連合のシックは間違いに気がつかないのか

イスラエル民族がイエス様を不信することになったのは聖書の中のことばでした。マラキ予言者のメシヤが来られる前にエリヤを遣わすということばでした。
イエス様の神様の王国の理想を語られるみことばよりも、聖書のことばを優先した結果、イエス様を裏切ることとなったということを原理を通して知っています。


イスラエル民族と弟子たちは神様の心情のすべてを代身しておられたイエス様の内的心情を知ることをせず、かえって迫害し、殺してしまいました。


真のお父様のみことば
イスラエル民族、ユダヤ教、さらにはイエス様と三年の間も喜怒哀楽を共にして、ある誠心を注いで教えた弟子たちの中にも、そんな人間が一人も現れず、みな不信する立場になってしまったのです。このようにイエス様はある精誠を注いで教え、夢を通して神の事情を知らしめ、また神の摂理に無知であった彼らに「わたしを見た者は神を見た者」と語られ、強く目覚めさせようとしたのですが、当時のイエス様が愛された弟子たちは、このようなイエス様の背後の事情を、まるで知らなかったのです。聞いた言葉で、また見る眼で、知る頭ではなく、その御言を頭で悟り、心で感じ、体で行う人間が、一人もいなかったのです。 1957年10月4日

家庭連合のシックは徳野さんをはじめ幹部が発する「お父様とお母様は一体である」ということばに主管され、騙されています。それはちょうどイスラエル民族が聖書のことばにとらわれて、イエス様を不信し、迫害した姿に似ておりそれを繰り返しています。真のお父様によって原理を教えられているのにかかわらず、幹部たちのことばによって、混乱させられています。


どうすれば間違わないで歩むことができるか。再臨のメシヤを送られるために苦労されてこられた神様の心情を祈りたずねていくならば、地獄の中から復帰の摂理を勝利された来られた真のお父様の背後の心情を祈りたずねるならば間違うことなく、勝利の道を歩みことができると思います。


原理講論 終末論 第5節
したがって、終末に処している現代人は、何よりもまず、謙遜な心をもって行う祈りを通じて、神霊的なものを感得し得るよう努力しなければならないのである。つぎには、因習的な観念にとらわれず、我々は我々の体を神霊に呼応させることによって、新しい時代の摂理へと導いてくれる新しい真理を探し求めなければならない。そして探しだしたその真理が、果たして自分の体の内で神霊と一つになり、真の天的な喜びを、心霊の深いところから感ずるようにしてくれるかどうかを確認しなければならないのである。このようにすることによってのみ、終末の信徒たちは、真の救いの道をたどっていくことができるのである。



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