なぜ日本の摂理に家庭教会プログラムは浸透しなかったのか

なぜ日本の摂理に家庭教会プログラムは浸透しなかったのか
80年代のはじめから、真のお父様は家庭教会摂理を発表し、全世界に浸透させて天国建設のプロセスを開始されました。そのことは詳しく、多くのみことばで確認することができます。
その80年代の日本の責任者は古○氏でした。会長は久○木氏でしたが、権限をもっていたのは古○氏でした。
古○氏は「お父様は家庭教会とか言われるけど、それでは実績はでない。私はこのように考え計画し、実績を上げてみせる」と語っている場面にであったこともありました。
実際、古○さんの指導する体制の中では家庭教会摂理はまったく、実行することはありませんでしたし、本流の体制から外れたシックがそれをやろうとすると異端扱いするような、天の摂理を排斥するような動きとなっていました。
韓国での礼節の集まりで、お父様が日本シック幹部にみことばを語られます。その中で真のお父様が「古○が先生の日本の摂理をダメにした」と叱られているお姿を何度も拝見しました。
「4000個団を立てろといったのに立てたものたちは、優秀なシックでなく、いい加減なものたちの名前をあげただけではないか」と古○氏を名指しで怒られていました。
4000個団とは家庭教会摂理がなかなか進まないので、特別に4000人のシックを選んで、家庭教会プログラムを実践させるという、お父様の方策でした。
1988年から天地正教が真のお父様の願いから出発しました。
最初のころは統一教会が天地正教を主管する体制です。各県ごとの組織の流れが統一教会が天地正教を主管、管理するという異常な体制でした。
それで今後どうするかという方向性を決めるために、東京で会議がありました。
統一教会と天地正教の幹部会議です。
統一教会側の参加者は、会長の久○木氏、副会長の小○田氏、桜○氏、首○氏、ほか総務部長、ほかにもいたと思いますが名前を覚えていません。天地正教側は松○氏、他は全国の8名のリーダーでした。私もその中の一人でした。中央の席の中心の位置に古○氏が座っていました。
双方から、分けたほうがいい、分けないほうがいいと意見を言い合いました。
はっきりと分けたほうがいいと主張したのは、天地正教の私ともう一人、そして松○氏ぐらいだったと思います。
会議のあとで桜○氏から「阿南君はどうしてそんなふうに、考えるのかなあ」といわれたことを思い出します。
結局はお父様に決めていただくということになりました。結果、統一教会と天地正教を完全に分立することとなりました。
その会議の中で、古○氏は耳を疑うような発言をしました。
それは「私が日本の摂理を動かしている。ここに会長とかおられるけど、動かしているのは私だ。それはトラックの運転と同じで、運転席に何人も座っているけれども、座っているだけで、ハンドルをもって、運転しているのは私だけなんだ」と。
その場におられる久○木氏、小○田氏はその話を聞いていて、何も発言することはありませんでした。
私は運転席に座っているだけだと目の前でいわれている方々を哀れに思いました。
そして、その話や態度をみて、この方は自分が絶対的な権限者と思っている、その方向性はきわめて危険なことになるかも知れないと予感しました。
責任者が家庭教会摂理の内容を理解していません。そのプログラムは天国をつくるための唯一の方法であると分かっていませんでした。
自分が真のお父様に一番近く、そして多く報告して信頼されているものだ。という自信が過信になり、傲慢になって、神様の心情から摂理を見て、結果とする戦いとしないで、自分の実力で行い、反対するものは排除して、目的にむかうという人間的摂理を展開してきました。
なぜ日本に真のお父様の「家庭教会プログラム」が浸透してこなかったのか。ほかにも理由はあると思います。
ただ、責任者の姿勢は全体に大きく影響をあたえることになります。
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