阿南信義

いつお父様のみ前に私は立つのか

お父様のみことば

今日までキリスト教は、聖書の中の神様のみを信じてきました。しかし神の中にも信仰があったのです。神様ご自身も無限なる創造の理念がある限り、この理念を実現させるための信念があるのです。神ご自身も信じておられる何かがあるのです。それゆえ我々は無限大の信仰を、追究してゆかなければなりません。我々がこのような信仰を所有すれば、聖書の中のすべての御言を信じることができるのです。
 また聖書の中のすべての御言を信じるならば、イエス様がこの地上に来て語られなかった御言までも、考えることができるのです。それでイエス様が語られなかった部分を、皆さんが捜し求めることによって宇宙的な疑心の峠を越え、宇宙的な死亡と苦難、そして宇宙的な罪悪歴史を経てきた先祖を、慰めることができるのです。

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 皆さんが今、信仰の主体である主様を信じているのですが、イエス様を信じることのみに止まっていては駄目です。皆さんはイエス様を信仰によって、その信仰の条件を通して永遠の生命において、イエス様と関係と因縁を結ばねばなりません。そして皆さんはイエス様と信仰の関係を結ぶその基の上で、神の実存まで感じなければなりません。皆さんが真にイエス様を信じるならば、このようになることができるのです。
 無限なる信仰の路程を探究してゆく人々は、無限なる発展を成すことができるのです。今日一般キリスト教徒たちは、こんな事実を知らないでいるのです。このような無限の信仰の理念のとりこになって、天国が成ることを願う真の信仰者を、天は待っておられるという事実を、皆さんは知らねばなりません。1957.9.8

亨進様笑顔

亨進様は聖書を学ぶことを重要視されておられます。
聖書の中の悲惨な歴史の中にある神様の心情を知ることによって、本来の信仰を取り戻すことができるとされます。
特に、日本人は仏教の中においても、空海、日蓮、といった人間を信仰する体質が強く残っています。また、組織を重要視する体質があり、神を見ないで、人を見る信仰となっています。
「八甲田山」の映画のごとく。

今、世界が混乱する情勢の中にあることは、天の摂理において、混乱する状況を迎えているからであり、私たちはその責任において本来の信仰を取り戻すことを願われています。
根本に帰らなければなりません。
まだ、様子を見るといったシックも多いかと思いますが、一人の行動で世界が変わります。
様子を見るといった姿勢ではなく、
問題の本質を見抜き、どこにお父様はおられるのかを、早急に判断しなければ取り返しのつかない事態となります。

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聖書に精通され、イエス様を慰めておられるお父様であり、聖書をいつも重要視される亨進様は神様の摂理の一直線上に立っておられます。
私たちも決してずれることなく、もとに集いましょう。


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阿南信義
Posted by阿南信義

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