原理を学習する理由

原理を学習する理由
原理本体論セミナー第五日目の朝を迎えました。
2008年、真のお父様が神様摂理史責任分担解放圏完成宣布教育を開始してくださいました。天一国主人としてたたせんがため、神様のさらなる深遠なる真理のみことばを教育してくださる絶好の機会を与えてくださいました。私も一度はその修練会に参加していたものの、奥深い真理の内容をいまだに理解していないことに気がつかされています。
さきに原理を知ったものがその理念をどこまで理解し、心情化して実体となっているかで、天一国実現の速度が決定されることを思うと過去の歩みを反省せざるを得ません。
いずれにせよ。
天一国実現のための永遠に変わらぬ原理原則を、少しでも相続せんがため、努力せねばと思います。
真のお父様のみことば
皆さん、なぜ「原理」というのか、考えたことがありますか。この原理はいったいどういう原理なのでしょうか。これがはっきりしないと堕落人間の帰るべき復帰路程が分からないのです。内容がはっきりしなければ、復帰路程、摂理程路に対しての概念が不完全なのです。
「原理原則」の道は、踏んでいく道であって、飛び越えていく道ではありません。間違いなく、原則どおりに踏んでいく道なのです。その原理原則の道をおじいさんが踏んでいった場合には、自分も、孫も、何千万代の後孫までも、同じように踏んでいかなければなりません。そこには、プラスするとか、いい加減とかいうことはあり得ないのです。このように、原理の道は踏んでいく道です。それは神様も、先生も同じなのです。融通はありません。妥協がないのです。「絶対」に対して、それは絶対に相応する基準なのです。これがはっきりしないので、教会から離れたりすることになるのです。
では、神の摂理は何によってなされるかというと、原理によってなされるのです。原理過程を完成するために、摂理があるのです。これをはっきりさせなければなりません。先生は遠からずして韓国に帰るので、その前に、このことだけははっきり教えなければならないのです。
皆さんは、既に間接主管圏とはどういうものか知っていますね。原理結果主管圏とも言いますが、人間はこの過程を通過しなければならないのです。これは、神様が人間を創造した時の原則なのです。原理結果主管圏を通過して、直接主管圏に到達する過程は三段階になっており、人間でいえば二〇数になっています。神様はなぜこういう期間を許したのでしょうか。直接主管すればよいのに、なぜ間接主管にしたのかというと、それは人間の責任分担のためなのです。
神様はなぜ人間の責任分担をつくったのかというと、人間が絶対なる神の創造物として存在するだけではなく、自分なりに創造主に該当すべき、比例すべき条件を立てるためです。本来、人間完成は、神の創造と自らの責任分担を合わせて完成するようになっているのです。それはなぜかというと、いかなる被造物にもない、人間としての特権であるといわれる権限を与えられているからです。この権限を確立しなければ、神様の前に立つ資格がないのです。ですから人間は、責任分担を果たして完成しなければなりません。
では、完成するためにはどうしたらよいのでしょうか。これが問題なのです。今日まで数多くの宗教人たちも、人間の完成を願ってきました。仏教では解脱という言葉を使っているのです。このように、人間はみんな完成を願っているのです。そうでしょう。皆さんがもし個人完成をいかにするかと聞かれた場合、何と答えますか。
人間の個人完成は何かというと、直接主管に到達する以前に間接主管圏内においての責任分担を果たさなければ、その道は生まれてきません。いかに個人完成するか、これが問題なのです。神様は人間の個人完成のために、いかなる被造物にも与えられなかった特権を与えられているのです。それが「責任分担」なのです。ですから責任分担はとても重要なのです。1985.12.8 なぜ原理というのか
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