阿南信義

なぜ今、原理本体論か

なぜ今、原理本体論なのか

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原理の学習は当然のことながら、重要なことであることは言うまでもありません。みことばの実体である真のお父様と一つにならない限り、原理本体とひとつとならない限り、天一国主人となることはできないからです。

2008年から真のお父様は原理本体論の教育を開始されましたが、その方向性は今や家庭連合では崩壊し、消滅しています。
サンクチュアリではその伝統を相続された二代王様によって世界的に開始されています。

真のお父様のみことば
先生が毎回、(年頭)標語を中心として十二年間行ってきた内容がすべて残されなければなりません。だれであっても……。劉孝元氏もすべて成し遂げることができずに逝きました。ですから、『原理解説』という言葉が出てきて、その次に『原理講論』、その次に「原理本(体)論」が出てこなければなりません。真の父母、真の師、真の主人です。そうしてこそ終わるのです。そのような家庭的基盤ができなければなりません。

 今皆さんの家庭は、韓国の伝統的家庭として名のある名家の家門において守られている、父子関係の伝統的家庭制度にも及ばない、野良犬のような家庭が多いのです。それでは、天の国に入っていくことができません。

 ですから、この本も、『原理解説』、その次に『原理講論』です。教えることのできる教材です。その次に何ですか? 「原理原本論」、「原理本体論」です。父母様が生きたそれ自体をそっくりそのまま、うり二つに似せて、自分たちが写真のようになり、こちらから見ても、下から見ても、あちらから見ても統一教会の文先生に似ていて、神様が見ても「いやあ、このように統一教会の文教主に似ているのか」と言われるようにならなければなりません。それが「本体論」です。「原理本体論」が出てこなければなりません。

 「本論」ではありません。実体が一体となった「原理一体論」、「本体論」が出てこなければならないというのです。神様の「本体論」があるではないですか。思想界において神様の「本体論」が出てきます。根本に関することが出てくるというのです。

 何も分からない群れたちが、天の国に行って王権を相続し、おじいさんを伝道することのできるおばあさんになることができていないというのです。そして、お母さんになることができていません。そして、妻になることができていません。兄と弟になることができていません。このすべてが「講論」から来たものであるとすれば、「本体論」、「原理本(体)論」では、先生を中心として、(先生の)人生がそっくりそのまま「原理本体論」であるということを知らなければなりません。

 今まで生きてきた女性たち(のおなか)はサタン世界のおなかでしたが、これから再びへそを蕩減してそれ以上の歴史を残さなければ、天の眷属、一つしかないその世界の歴史を相続することのできる家庭の主人になることはできません。どれほど厳格でしょうか?

 そのようなことを望んでいくにおいて、『原理解説』も実践できない群れ、『原理講論』も知らない群れ、「原理本体」を知らない群れが、天の国の全体の覇権、天の全権を相続し、それを母親の体を通して子孫万代に相続させなければならないのです。子孫たちが生まれるにおいて、本体と同じ血筋を受け継いだ息子、娘にならなければならないのですが、それができていなければ、それは母の責任です。ところが、すべて正しく生まれたと思っています。
   2008.8.31

本来、2013.1.13までの4年間にかけて、その原理本体論の教育をなさろうとされた真のお父様でした。
今一度私たちは原理本体論を学習して、真のお父様の願いとされる目的を成就しなければならないと思います。


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阿南信義
Posted by阿南信義

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