阿南信義

10月14日以北出監解放記念日をむかえて

10月14日は以北出監の解放記念日です。

今日は10月14日です。ちょうど68回目の以北解放の記念日で、私たちにとって忘れることのできない真のお父様が興南刑務所から解放された日です。
1945年からのキリスト教の摂理が破壊され、地獄から出発された真のお父様の路程はお私たちの原点ですので、その心情をまず、知ることが重要と思います。

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真のお父様のみことば
先生御自身の証し 1970.10.13水沢里
北韓の牢獄
 先生は北の共産党の牢獄に入って二年八カ月、重労働した。何の労働かというと肥料工場だ。硫酸アンモニアの工場で、粉がコンベヤーで工場の真ん中に落ちるようになっていて、それをハカリにかけて袋に詰め、貨車に積みこむ。
 熱処理をして造ったものだから、落ちてくる硫酸アンモニアは熱い。それが冷えるとかたまりになる。それを何年も置いておくと、岩石のようになってしまう。

 重労働だった。一日八時間の労働時間に、一人一人の責任がある。十人が一組になって仕事をする。一日の責任分担は千三百袋で、八時間以内にやり終えないと、食料の半分は減らされてしまう。一日にくれるごはんは小さなおわんに一・七はい位。つけものは何もない。汁は塩水をかけたもので味噌汁ではない。それを食べて八時間労働するのだよ。

 共産主義の作戦で、重労働させて殺すようになっている。ここにはいって三年たつとみんな死ぬ。必ず、間違いなくそうなる。三年以内に。食べものをやらずに重労働させるのだから、この工場に入ってくるものは、まず完全に処分できる。

 この世の人の基準なら、一日に三食、油物を食べて最高にやっても一日七百袋だよ。この工場はその倍に近い。
 食べ物は少ないし、大口なら三口で終わってしまう。そして重労働するものだから、朝食べて工場にむかうその道でもう足が何回も曲がるのだよ。そういう足を引きずって行って、朝から働き出す。それはもう悲惨きわまりない。

半月かかった決心
 先生は共産党の政策を相当知っているからそれにひっかからないようにした。先生は与えられる御飯の半分で生きる決心をした。人間はパンによって生きるのではないんだよ。神様からの言葉で生きるんだよ。どうせこの御飯では死んでしまう。だから、この御飯の半分で生きようと決心するまでに半月かかった。自分が半分食べて、あと半分は配ってあげる。いかに自分が精神的に幸福か。日々いかに感動の量を大きくするかが問題だ。精神的慰めは実に大きなものだよ。

 生活は科学的である。働いていても働いていることを考えない。仕事の時間が祈りの時間だった。いつも世界的に色々な事を探っている。
 朝、牢獄を八時に出発して、工場に十時に到着する。十分間トイレの時間が与えられた。 もう死にたい位疲れるのだよ。胃が溶けてしまう程の辛さを感じる。だからそのことを全然考えない。それを考え出すと、ただ休憩の時間ばかりを頭にえがく。

四〇キロの中味を入れて、それを持ち上げるのが一番むずかしい。皆いやがる。先生は、みんながいやがるこの難しい仕事を自分が担当する。この難しい仕事を続けたら死ぬ。だからこの一番むずかしい仕事をやりぬく体力を造るより生き抜く道がない。

 みなさんも一番難しい仕事を担当せよ!そういうように前進的に考えよ!一日に千三百俵以上入れて運ぶのだから、もう休む暇がない。千三百俵といったらこの講堂(水沢里)よりも大きな山になるよ。考えてごらん、千三百俵だよ。これを一日八時間でしなければならない。粉を入れて計って袋を移動するのに五分から十分かかる。平均五分でやった。みんなは十五分かかる。

こんなに時間をかけていたら責任分担を果たせない。山を崩していくのだから、ハカリを移動していくのだが、四、五メートル以上ハカリを動かしたら遅くなる。だからあまり動かさないで入れるように工夫した。

 みんなこれに従わないから、仕方なく自分一人でやる。そういう風にやると、みんなやはり良心があるから、先生は千三百俵のうち半分以上は一人でやるから、結局はみんなが従ってくるようになる。

 先生は模範労働者だよ。共産党から毎年、模範労働賞をもらった。その時の体重は一九貫三百(七二キロ)あったよ。今は二十一貫(八一キロ)ちかくある。先生はみたところあまりない様だけれど、骨が重いのだよ。囚人は皆やせ衰えるのに、先生はやせない。だからみんな研究の的だった。 新しく入ってくる者には先生が教育した。

 体は硫酸に侵されてくる。毛が抜けてくる。肌をつまんでみると水が出る。六カ月で必ず喀血する。たいがい肺病と思って落胆するから死んでしまう。せいぜい一年半位か、二年しかもたない。どれ位腹が減るかどれ位腹が減るか。御飯がどれくらいほしいか。それは話にならないや。

 自分の家族とかが面会に来る。来る時は何かを持ってくるので、どんなに恋しい妻でも、慕わしい母でも、来た人の顔を見るより先に、まずもってきたものに目が行く。面会の時は持ってきたものを食べられる。どんなに会いたい妻でも母でも、そんなものより食べられることがうれしい。工場ではほとんど食べさせないから、面会の時に食料を与えないのでは社会問題になってうるさいので、これは許していた。面会に来て、米の粉を持ってこなかった時ほど悲しいことはない。親が死ぬより以上悲しいというんだね。それはもうあなた達には理解できないよ。

 どれくらい腹が減るかというと、腹が減ると胃液が出る。ただ胃が運動するから熱が出る。だから、唾がゴムの様にずうっとのびる。それはもう想像できないだろう。
 
一番恋しいのは満腹になることだ。そうしたら死んでもよいと思う。これだけ御飯が恋しいんだよ。そういう日の連続だ。ある人が面会に来て米の粉を持って来るとそれをこねて餅を作る。しかし、石でこねると石に粉が付くから石をあまり使わない。石に粉がついたら、もう競争しあって、それを取って食べる。それは話にならない。研究にも及ばないところの境地だよ。御飯がどれくらい恋しいか、それは死ぬ境地を越えるほど御飯が恋しいんだよ。

 工場に出ない時は必ず御飯が半分だ。働かざる者は食うべからず、というのが共産主義の鉄則なんだよ。病気でも、みんなと同じ一杯の御飯がほしくて、死力を尽くして出かけて行く。そうして最後の力を尽くして帰ってきて、夕食の時食べながら死んで行く。と、すぐまわりの人が死んだ人のものを戦闘的に奪いあう。先生はそんな中で人間の深いところまで研究したんだよ。

このパンを慕うほど神を慕うか。先生は毎日、比較対照しながらやってきたんだよ。何よりも神を愛さなければならない。この御飯のひとにぎりを食べるために入ってくるのではない。万人の蕩減の道を開拓するために入ってきた。自分の仕事の分配に対して、不信するような態度は絶対とらない。だから先生は有名だった。

 それから絶対口を聞かない。共産党の組織を知っているから、口を聞かずとも、霊界より協助してくれる。人間は御旨のために生きる以上、心配することはない。神はあらゆる方法を持ち、方策をもって助けてくれる。先生は一番貧しい服装をしていた。良いのは皆なに上げて、破れれば自分で竹で針を作って縫った。

 日曜日は休みだ。皆なは死体みたいに倒れてしまう。先生は絶対に寝ない。規則正しい生活をずっと続けていた。先生もある時あまり無理をして病気になったんだね。マラリアをずっと一カ月もした。しかし、自分の責任分担の許しがない。同じようにする。囚人番号五九六番。先生は牢獄での囚人番号が五九六番だった。霊界の先祖達は何とかして先生と因縁を結ばせようと必死になる。そして何か差し入れでもあると、その霊の霊界の先祖が現われて、半分を五九六番に持って行け、というおとぎ話の様な話なんだね。

 統一教会はこういう様な生活圏から出発した。口をきくことができないから、霊界は天使長圏だから、天使の復帰の使命を果たせないと、アダムの栄光圏と関係をもつことができないから、霊界は援助せざるを得ない。そして牢獄の中で数十名が伝道された。どんな悲惨な環境にあっても、先生は神様と生活をした。

 一九五〇年八月一日、百機以上のB29が総攻撃して、興南工場を大爆撃した。先生はこうなることをあらかじめ知っていたので、先生の直径十二メートル以内は神が守るということがわかったので、親しいものには、みんな先生の周囲に居る様に言った。

先生はそんな中でじーっと瞑想していた。爆弾のことは思わない。今後の理想世界のことを考えていた。結局、思想、理想を持った人が価値あることになる。この様な復帰の使命を果たすこの様な人を霊界に連れていったら、神は天宙的な損であるというんだね。神はどんな犠牲を払っても防備してあげたいし、そうせざるを得ない。

 色々な事があったよ。その中で一番むずかしいのが、毎日感想文を書かせることだった。先生は書かない。それが問題になっている。しかし仕事においては、やっているのだから、共産主義の考え方が良いとも書かないし、悪いとも書かない。いつも白紙を出した。そういう戦法をとってきたんだね。先生は五年の刑で入獄した。連合軍が攻めてきた時、共産党は囚人を処分していった。先生の前まで全部殺された。

 ある日、麻縄をよせ始めた。先生は直感で最後の時がいよいよ来たことを感じた。先生は深刻な祈りをしたよ。名前を一人一人呼びあげた。他の場所に移動するという。これが最後の道だった。一人一人井戸にさかさまに投げ込んで殺した。次の番が先生だった。

 その夜、総攻撃があって、午前二時頃から逃げ出した。その時、何人かの弟子を連れて平壌に寄って南に帰り、統一教会の再出発をした。牢獄での生活はいくら苦しいといっても人に恩恵を受けてはいけない。それが絶頂に立つべき方策だ。他人から恵沢を受けることは、蕩減の道には許されない。いくら極に立ってもやらなければならない。精神的にも、物質的にも、やったという立場を越えないと完全蕩減した立場に立てないよ。

 千三百俵を毎日持ち上げた。それでもびくともしない。何によってのり越えたか。それは精神力だ。こういう体験が先生の生涯においてマイナスにならない。あんた達に時間があったら記録に残そうと思うんだけど、ほんとうに話もできない惨めなことがあったよ。そういう境地から統一教会の出発があった。

出獄
 出獄した後は何も持たない旅人だよ。ずうっと平壌から南まで、約三カ月間は乞食をした。黙々として。そういう時には、言葉で言いつくすことのできないほど食べたいこともあった。放浪の生活をした。霊界は先生を愛するらしいや。かと言って神様今日食べるものがないから何か……なんて祈りは絶対しないや。かえって神様を慰めて寝たよ。

ある時は、あすはきっと何かきれいな婦人が道端で何かくれるだろう、とそう思うと次の日には、その如くに真っ白い着物を着る人が道端で待っているよ。実は夕べ啓示があって、万全の準備をして待っているようにと言われたので、こうして待っておりました。どうぞ召し上がって下さい、と。そんなこと沢山あるよ。こういう何と言おうと、誰も否定できない生きた実績を持っているよ。そういう風に助けてくれた部落には、時至ったら恩返しに行こうと考えているよ。

神への心情
 あんた達、先生に対して一言その時の心情にふれるものがあったら、先生は涙を禁じ得ない。神様もそうだ。先生と神様と抱き合って泣いた悲しさは、地上の人々は誰も知らない。その深い神への心情ははかり知れない。それを思うと細胞がしびれるようだよ。そういう心情で孝行の道をすすんでいることがあんた達わかる?食口達が霊界に通ずるようになると、先生はかわいそうな方だとすぐ知れる。

 友達も聖進さんのお母さんも知らなかったよ。たった一人でやってきた、しのびしのんでやってきた期間があるんだよ。それを取り出して讃えつつ、先生が世の中で一番かわいそうな青年である。だから真を尽くせ、と霊界は言うんだよ。そう考えると植えたものは必ず刈り入れるようになる。何十倍何百倍になって刈り入れるんだよ。先生が神の前に植えたものは、ほんのわずかだが、何倍何千万倍にして刈り入れさせようという神の心情がわかっただけで、先生は神にどう報いようかと思うんだよ。

感謝する心
 御旨成就の近づくに従って、益々神に感謝する心が増し加わってくるんだよ。先生は反対した者をどうしようという思いは先生は夢にもない。もしもそういう心で神が打ったら、この地に一人でも残らなかった。もう数千年も前にとんでしまっている。心情を傷つけたからといってそれを仇に思うなどとそんなこと夢にも思わない。それは我々統一教会がその教えの道を開拓しなかったからであって、そう教えることのできなかった自分の責任と思っている。

だから先生には敵がない。昔反対した人々に先生は時々道で会う。しかし、それらの人々は先生を見ると逃げてしまう。こういう背後の歴史をもって統一教会は生まれてきたよ。そういう根を地上と霊界にはったから今、芽が出たのが統一教会で、その恵沢を受けているのが、あなた方の現状の立場だよ。その根に匹敵したその力・勢いでもって、芽として若い枝として成長すればよい。

 背後の関係は、あなた達は知らなくともよい。しかし、先生は根の使命があるから仕方ない。これを世界的にするためには、枝を折ってさし木をしなければならない。その時先生の通過した幾分の一かを通過しないと、さし木はできない。

1970.10.13

おびただしい犠牲の道を通過された2年8ヶ月はイエス様の公生涯路程にあたる期間でした。そのことでキリスト教復帰の蕩減をなされたことを通して統一教会の出発がされました。
そして今、私たちは氏族的メシヤの目的を成就するために真のお父様の心情を原点として出発しなければと考えます。

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