天地人真の父母様天宙完成祝福聖婚式の恩恵を拡大するためになすべきこと
天地人真の父母様天宙完成祝福聖婚式の恩恵を拡大するためになすべきこと。
私たちが地上生活でなすべきことは、神様の愛を体恤することであると知っています。そのために原理を学習しながら、再臨主の前に新婦となる信仰を継続して、その基盤を作り上げようとする歩みを日々していこうとしています。
1976年9月のワシントン大会勝利の後からは、弟子たちに「家庭教会摂理」が与えられました。真の父母様の勝利の愛の伝統を受け継ぎ、相続するためにくださったのがそれでした。
大きな立派な教会の建物をつくることが目的ではなく、家庭教会を完成することが真の父母様の願いであり、その目的です。今や、韓オモニの不信、堕落によって失われた真の母の位置が完全に復帰されました。
これ以上の喜びはありません。
これから、本格的な、爆発的伝道の開始です。
家庭連合と違って、経済ノルマはなく、強制的な伝道目標はありません。各自が目標を自分で決めて、計画し、実行するのみです。

真のお父様のみことば
「捨てられたイエス様のものを捜し立てるものとなれ」1957年10月4日
<つづきより>
天が任されたみ旨をおいて、イエス様が当時の弟子と、イスラエル民族と、ユダヤ教を愛する心には変わりがありませんでした。しかし無知な民衆、無知な教団、無知な弟子たちでしたから、イエス様はサタンと闘う先鋒者として、独りすべての弓矢を受けられ、彼らに生きる道を開拓してあげるために、受難の道を歩まれたのでした。即ち、ご自身の心のおく深くひそむ心情、天の新郎・新婦の理念を明かして語れる環境を持つことができなかった哀しいイエス様であったことを、今日皆さんははっきりと知らねばなりません。
それでは、イエス様が行かれて、この地上の我々が喜びの一日を迎えることができる希望の標的として「あなたがたはわたしの新婦」という御言を語られたのですが、今日この新婦の理念はどうなったのか。今だに数千年の歴史過程を経てきて、サタンとの凄まじい闘いに勝利し、このようなイエス様の新婦の立場に立つ者がいないのです。それゆえ皆さんは、二〇〇〇年前に天を代表して選ばれたイスラエルが立てず、愛する弟子たちが立てなかった、イエス様が願う新婦の理念を代って立てなければならず、皆さん自らイエス様の心情に接することを知る人間にならねばなりません。
それではイエス様の御言は、どんな立場で語られた御言か? 新婦の理念を完成できなかった立場をおいて語られた御言なのです。彼の御言は新郎の立場で、信じる人々が本当の新婦の資格を得て、イエス様の懇切なる事情に通じるために残しておかれた御言であったのです。
ですから今日の皆さんは、イエス様がなされた御言の真の意味を解し、イエス様が願った新婦となり、新郎の御言によって立たなければならず、また当時イエス様が感じられた内的な心情を、体恤する場までゆかねばなりません。もしもこのような場までゆく者がなかったら、イエス様が三〇余年の人生路程にわたって語られた、その御言の目的は果たされないということを、皆さんは知らねばなりません。
<つづく>
イエス様の新婦となるという決意と行動。
真のお父様の新婦となるという決意と行動。
二代王様の新婦となるという決意と行動。
心のおく深くひそむ心情を祈り求めて、行くならば勝利の日が近いことを感じます。
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私たちが地上生活でなすべきことは、神様の愛を体恤することであると知っています。そのために原理を学習しながら、再臨主の前に新婦となる信仰を継続して、その基盤を作り上げようとする歩みを日々していこうとしています。
1976年9月のワシントン大会勝利の後からは、弟子たちに「家庭教会摂理」が与えられました。真の父母様の勝利の愛の伝統を受け継ぎ、相続するためにくださったのがそれでした。
大きな立派な教会の建物をつくることが目的ではなく、家庭教会を完成することが真の父母様の願いであり、その目的です。今や、韓オモニの不信、堕落によって失われた真の母の位置が完全に復帰されました。
これ以上の喜びはありません。
これから、本格的な、爆発的伝道の開始です。
家庭連合と違って、経済ノルマはなく、強制的な伝道目標はありません。各自が目標を自分で決めて、計画し、実行するのみです。

真のお父様のみことば
「捨てられたイエス様のものを捜し立てるものとなれ」1957年10月4日
<つづきより>
天が任されたみ旨をおいて、イエス様が当時の弟子と、イスラエル民族と、ユダヤ教を愛する心には変わりがありませんでした。しかし無知な民衆、無知な教団、無知な弟子たちでしたから、イエス様はサタンと闘う先鋒者として、独りすべての弓矢を受けられ、彼らに生きる道を開拓してあげるために、受難の道を歩まれたのでした。即ち、ご自身の心のおく深くひそむ心情、天の新郎・新婦の理念を明かして語れる環境を持つことができなかった哀しいイエス様であったことを、今日皆さんははっきりと知らねばなりません。
それでは、イエス様が行かれて、この地上の我々が喜びの一日を迎えることができる希望の標的として「あなたがたはわたしの新婦」という御言を語られたのですが、今日この新婦の理念はどうなったのか。今だに数千年の歴史過程を経てきて、サタンとの凄まじい闘いに勝利し、このようなイエス様の新婦の立場に立つ者がいないのです。それゆえ皆さんは、二〇〇〇年前に天を代表して選ばれたイスラエルが立てず、愛する弟子たちが立てなかった、イエス様が願う新婦の理念を代って立てなければならず、皆さん自らイエス様の心情に接することを知る人間にならねばなりません。
それではイエス様の御言は、どんな立場で語られた御言か? 新婦の理念を完成できなかった立場をおいて語られた御言なのです。彼の御言は新郎の立場で、信じる人々が本当の新婦の資格を得て、イエス様の懇切なる事情に通じるために残しておかれた御言であったのです。
ですから今日の皆さんは、イエス様がなされた御言の真の意味を解し、イエス様が願った新婦となり、新郎の御言によって立たなければならず、また当時イエス様が感じられた内的な心情を、体恤する場までゆかねばなりません。もしもこのような場までゆく者がなかったら、イエス様が三〇余年の人生路程にわたって語られた、その御言の目的は果たされないということを、皆さんは知らねばなりません。
<つづく>
イエス様の新婦となるという決意と行動。
真のお父様の新婦となるという決意と行動。
二代王様の新婦となるという決意と行動。
心のおく深くひそむ心情を祈り求めて、行くならば勝利の日が近いことを感じます。
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