阿南信義

艱難時代を越えるための心情と方策

艱難時代をこえるための心情と方策

真のお父様のみことば
「捨てられたイエス様のものを捜し立てる新婦になれ」 1957年10月4日のみことば

今日この時間は皆さんに「捨てられたイエス様のものを捜し立てる新婦になれ」という題目で暫くの間、お話しします。
 この地の上で見捨てられたイエス

 人々が今まで信じてきたイエス様、また今この時代において多くの人々が歓迎し、キリストと呼び、主と呼んでいるイエス様はその時、地上に来られてそんな栄光を受けられなかったことを、皆さんはよく知っています。
 今日信じている我々自身は無論ですが、当時の人々の中にはイエス様が残していかれた御言を、天の御言として信じた人間がなく、その御言を自身の命を代身する御言として信じる人間が、まるでいなかったのです。

 このように地上に来られたイエス様でしたが、地上の人々からは歓迎されなかったのです。個人を代身して、彼を心から歓迎した人間が一人もなく、家庭を代身して、彼を歓迎した人間が一人もいなかったということを、皆さんは知らねばなりません。

 イエス様は三〇年の歳月を、ヨセフとマリアの家庭で生きたのですが、その家庭では誰もがイエス様が抱いているその心、イエス様が願っている所望、イエス様の生活とやるべき事が何であるかについて、無知であったのです。のみならず、イエス様がされた御言の深い意味を理解し、イエス様をキリストとして迎える者がいませんでした。むしろイエス様を不信して捨てる立場をとったのが、イエス様の家庭であったのです。

 家庭において捜し立てるべき摂理的使命があり、個人に対して捜し立てるべき使命があり、また生活を通して、仕事を通して捜し立てるべき使命が、イエス様にはあったのですが、その当時のユダヤ民族の中には、そんなイエス様の使命を自身の命と感じる人間が、一人もいなかったのです。

 イエス様が見て、聞いて、語り、行い、働くすべての生活が、無知な地上にあったとしても、その生は地上の人間たちの為に生きることのみではなく、人間が知らない新しい神のみ旨の為に生きたのでした。ですからこのような新しい天倫のみ旨の為に生きられたイエス様にはその如くに、人知れぬ背後の悲しみの言葉と、理念と行動と生活に現れていたということを、皆さんは知らねばなりません。

 またイエス様は家庭において、自身のみ旨を立てることができなかったので、社会を通して、あるいは教団を通して、自身のみ旨を知らしめることを願ったのです。しかしイエス様はユダヤ教のまえに、またイスラエル民族のまえに歓迎されず、捨てられたのです。このようにイエス様の一身が排斥されたのみならず、さらにはイエス様がされた御言も排斥され、イエス様の生活、イエス様がされようとされたその事が、すべて排斥されたことを、皆さんは知らねばなりません。

 それゆえ皆さんは、このように見捨てられたイエス様の心情、捨てられる時のその寂しさ、心に受ける苦痛がどれほど大きかったかを、推し量ってみなければなりません。もしもこのようなイエス様の苦痛を知らない者になったなら、皆さんは四〇〇〇年の歴史に責任を負ってきたイエス様の人生、その理念、その生活、その仕事と御言を知る者として、到底現れることはできません。

 今日我々はイエス様のこのような事情が現れている、聖書の御言を通して少しは知っているのですが、それも頭で知っているのです。また耳で聞いて知っている程度です。しかしそれでは駄目なのです。昔イスラエルのユダヤの民に対して、イエス様が御言を伝えられた時にも、それを耳で聞いて、頭で知っただけだったのです。このように実生活において皮膚で体恤しないで、耳で聞き、頭で知っただけでしたので、かえって彼らがイエス様をして、十字架の道に行かせるようになったのです。ですから御言を頭で知り、耳で聞いただけでは駄目だということを、皆さんははっきりと知らねばなりません。

 それでは、今日我々はどのようにしなければならないか? 聞く御言を頭で知ると同時に、心で知り、行動することを知らねばなりません。ところがその当時、イエス様が十字架の死の道を経て行かれる時まで、このように御言を頭で知ると同時に、心で知り、行動する人間が、一人も現れなかったのです。

 イスラエル民族、ユダヤ教、さらにはイエス様と三年の間も喜怒哀楽を共にして、ある誠心を注いで教えた弟子たちの中にも、そんな人間が一人も現れず、みな不信する立場になってしまったのです。このようにイエス様はある精誠を注いで教え、夢を通して神の事情を知らしめ、また神の摂理に無知であった彼らに「わたしを見た者は神を見た者」と語られ、強く目覚めさせようとしたのですが、当時のイエス様が愛された弟子たちは、このようなイエス様の背後の事情を、まるで知らなかったのです。聞いた言葉で、また見る眼で、知る頭ではなく、その御言を頭で悟り、心で感じ、体で行う人間が、一人もいなかったのです。
<つづく>

IMG_1750.jpg


真のお父様が1957年10月4日に語られたみことばです。37歳の時です。
イエス様の心情の世界を解放されておられる真のお父様のみことばが心に響きます。

今また、再臨のイエス様の前に不信を起こし、イスラエル民族と同じような状況が私たちの目前に迫ってきています。
原理により、イスラエル民族が悲惨な道に行かざるを得なくなった理由を知っていますが、当時の人々はそれを知り得ませんでした。

私たちは全てを知り、与えられています。あとはいかに早く実行し、結果を捧げることです。


よろしければクリックを
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村
スポンサーサイト



阿南信義
Posted by阿南信義

Comments 0

There are no comments yet.