公職者と給料と祭物
お父様のみことば 「牧会者の道」p77
皆さん、お父様に月給をもらうようになっていますか、ささげるようになっていますか? 祭物を、お父様からもらうようになっていますか、ささげるようになっていますか?
(ささげるようになっています)。はっきりと知らなければなりません。皆さんの新郎たちがそのような思想をもっているなら、滅びてしまうのです。工場職員と他の仕事をする人には、月給をあげたとしても、教会責任者に月給をあげないのは、原則を立てるためです。全部滅びたとしても、天道に従って三人だけでも残って、これだけ守っていけば、統一教会員は滅びたとしても、統一教会は滅びないというのです。皆さんが、みんな離れて出ていったとしても、滅びないのです。これをはっきり知るべきです。本部から送ってくれるお金でもって教会を立てることも、原則から外れたことです。そうではないですか?
(四三・二二一)
祭司長たちは、月給をもらって天の仕事をするのではありません。月給をもらって生活するのではありません。「私の生活がどれだけ乏しいのか……。もらわなければなりません」と思うのではありません。犠牲の代価をもらい生活しなければなりません。血を流すところには、皆が頭を下げるようになっています。そうでしょう? 涙を流さず、犠牲にならずに代価を求める祭司長は、腐った祭司長です。皆さんは、それを知らなければなりません。分かりますか?
(はい)。地域長夫人たち、手を挙げてみなさい。このようなことを、しっかりと分からなければなりません。地域長、地区長、しっかりと分からなければなりません。
今の家庭連合(旧統一教会)においてのアベル観は完全に間違っています。
アベルは神様に近い人である。
アベルに報連相しないと天に通じない。
アベルはご父母様の代身であるから、侍らないといけない。
アベルに対する中心性と一体化を守ること
アベルに伝道対象者のリストをあげなさい。
アベルに対して従順屈服しなさい。
お父様は特に日本のアベル観に対して間違っていると何度も指摘されておられます。
原理ではないからです。
お父様から原理を通して教えていただいていることは、アベルは神様の前に祭物を捧げた立場であるということです。
八大教材教本天聖経P1140に「アベルは祭物にならないといけない」とあります。
神様の前に完全に自分の所有意識、存在意識をなくすことによって、神様が臨むことのできる祭司長の位置に立つことができるわけで、所有意識、存在意識があるときにそうなることは有り得ません。
韓オモニからの命令ではじまったというCIGはなぜ失敗したか。
給料をもらって伝道の実績をあげることはできませんでした。それを企画した者たちが原理を理解していません。
祭物として、アベルとしての位置をたてることができないからカインである伝道対象者を救い出すことができなかったわけです。
救いは天が成すことであり、人間は神様が働くことのできる位置をいかにして立てるか、祭物としての条件を満たすことができるのかが人間の責任分担です。
イサクは完全に祭物としてその位置を勝利しました。イサクは給料をもらっていませんでした。
イエス様は十字架に祭物として行かれました。給料をもらってそうしたのではなく。
お父様が牢獄で血を流され、祭物としての路程を通過されたときも、もちろんそうです。
なぜ、家庭連合(旧統一教会)が限界なのかははっきりしています。
公職者が給料をもらってその位置に留まっているからです。
祭物でないものがアベルの位置にいるとき、神様は臨まれることは絶対にできないのが原理です。
私たちは、いかにしてお父様のように祭物で有り続けることができるかが生涯の目標です。
そのためには家庭教会を勝利するたたかいをしなければなりません。
それが天のみ意です。